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2019年07月12日

第161回直木賞直前予想⑤ 『美しき愚かものたちのタブロー』

原田マハさんの『美しき愚かものたちのタブロー』にまいりましょう。

本書の出版は今年の5月30日。
ということは、出て間もないタイミングで候補作に加えられたということになります。
文藝春秋社の本気をひしひしと感じますね。原田さんのこれまでの候補作はすべて読んでいますが、
それほどまでに版元が自信を持つ作品とはどんな内容なのでしょうか。

この小説は、国立西洋美術館誕生にまつわる物語です。
上野にある国立西洋美術館といえば、近年では2016年にル・コルビュジェの建築が
世界文化遺産に指定されたことで話題になりました。

戦後この美術館が創設されるにあたり、その礎となったのは「松方コレクション」でした。
松方コレクションとはいまから100年近く前に実業家だった松方幸次郎がが私財を投じて
ヨーロッパ各地で買い求めた美術品のことで、その数は1万点を超えるとも言われていますが、
第二次大戦中に散逸したり焼失したりしてしまって、コレクションの全貌はいまだにわかっていません。

現在、国立西洋美術館に収蔵されているのは、コレクションのうちフランス政府が
「フランス国内にある敵国の財産」として没収していたものです。
没収されたことでコレクションの一部が奇跡的に守られたわけです。
戦後日本側の粘り強い働きかけによって寄贈というかたちで返還されました。
その返還のプロセスにどんなドラマが隠されていたのか。
史実をもとにしながら、作家は歴史の空白をフィクションで埋めていきます。

主人公のひとりは、かつて松方の水先案内人を務めた美術史家の田代雄一。
松方が絵画を買い漁るのに同行し、作品選びの手助けをした田代は、
戦後は吉田茂の命を受け、フランス政府との返還交渉に臨みます。

もうひとりの主人公が日置釭三郎。飛行機乗りだった彼は
松方に見出された後フランスに移り住み、戦時下に命がけでコレクションを守ります。

松方、田代、日置の三人を中心人物として、作者が描こうとしたこと。
それは「タブロー(絵画)とは何か」ということでしょう。

松方は人を見る目は抜群に持っているけれど、絵画に関しては素人です。
日置もしかり。でもこのふたりがそれぞれタブローの魅力のとりこになるのです。
松方はロンドンで偶然出会ったある作品によって運命を変えられますし、
日置も愛する妻の死に直面したところをタブローによって救われます。

人はなぜタブローに魅せられるのか。
作者はこのふたりを通してそのことを丁寧に描いていきます。
モネの自宅で松方が作品の率直な感想を告げる場面などは特に素晴らしい。
美術史の知識は持ち合わせていなくても、嘘偽りのない感情を伝えようとする松方の言葉に、
モネのハートは真っすぐに射抜かれるのです。

現在まさに国立西洋美術館で「松方コレクション」展が開催中です。
小説の中に出てくる名画を実際に見ることができるまたとない機会ですので、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。

投稿者 yomehon : 2019年07月12日 07:00