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2019年01月11日

第160回直木賞直前予想⑤  『熱帯』


最後はいよいよ森見登美彦さんの登場です。
下馬評では、直木賞の最有力候補との呼び声も高い『熱帯』 にまいりましょう。

なかなかストーリーを要約しづらい小説なのですが、
一言で言えばこれは、『熱帯』という「幻の本」をめぐる物語です。

『熱帯』は奇妙な小説で、偶然この本を入手して読み始めても、
なぜか手元から本が消えたりして、最後まで読み終えた人が誰もいません。
でもいちどでも読んだ人は、何かに魅入られたかのように
この「幻の本」の謎を解く行為に没頭してしまうのです。

『熱帯』の魔力にとらわれてしまった人々を導き手に、
作者はぼくたちを物語の迷宮へと誘うのです。

もういちど言いますが、この本は、『熱帯』という「幻の本」をめぐる小説です。
つまり「本をめぐる本」であると言えます。
しかも、ひとつの物語が、また別の物語を生むような構成になっている。
要するに「入れ子構造」になっているわけです。

この構造のモデルとなっているのは、『千一夜物語』です。
その昔、ペルシアにシャハリヤールという王様がいました。
彼は妻の不貞をきっかけに女性不信に陥り、夜ごと生娘を連れて来させては
純潔を奪い、首を刎ねて殺すというひどいことをしていました。

これをみかねた大臣の娘シャハラザードは、みずから王のもとへ出向き、
不思議な物語を王に語って聞かせます。ところがシャハラザードはいつも
いいところで物語を止めてしまうので、つづきが気になって仕方ない王は、
彼女の首を刎ねることができません。こうしてシャハラザードは命をつなぎ、
最後には王も改心させてしまうのです。

このシャハラザードが王に語った物語が『千一夜物語』であるとされます。
もっともこの『千一夜物語』のオリジナルは残っておらず、
後世の人々によってさまざまな物語がプラスされたり
数々の異本がつくられたりしました。
かの有名な「シンドバッド」や「アラジン」「アリババ」なども
後世になってつけくわえられた物語です。

『熱帯』は、この「千一夜物語」のように、
ひとつの物語がまた別の物語を呼び寄せ……というように続いて行き、
気がつけば、読者自身が、逃れようのない物語の迷路の中に
迷い込んでしまうという仕掛けになっているのです。

でも読者はただ迷子になるわけではありません。
この『熱帯』 という作品で、作者がぼくらを連れて行くのは、
「物語が生まれる場所」とでも呼ぶべきところです。

そもそも作家はどのように物語を生み出すのでしょうか。
もっと根本的なことを言えば、物語ってなんでしょうか。
なぜ人間は物語に魅せられるのでしょうか。
物語を、小説を、本を読むという行為には、どんな意味があるのでしょうか。
そんな根源的な問いに、この作品で作者は答えようとしています。

たとえば、あなたの目の前に、真っ白な紙があったとしましょう。
そこには何もありません。でも見方を変えると、何もないということは、
そこには何でもあるということでもあります。
なぜなら真っ白な紙の上には、何だって書くことができるからです。

「何もないということは何でもあるということなのだ。魔術はそこから始まる」

この本の中に、なんども登場する言葉です。
魔術というのは「創造の魔術」のこと。
何もない紙の上に、物語を生み出す小説家は、
さしずめ魔術の遣い手であるといえるでしょう。

森見登美彦という作家はきわめて知的な作家です。
彼が書く物語は、一見とぼけた設定でも、そのバックボーンには
古今東西の文学作品を読み込んできた経験があります。
文章だって(そうは見えないかもしれませんが)実は入念に彫琢されている。

そんな知性派の作家が、「物語ること」の根源へ迫ろうというのですから、
面白くないわけがありません。選考委員のみなさんも、
創造の魔術のくだりにはおおいに共感するのではないでしょうか。

ただ、この知的たくらみに満ちた小説が、読む者を選ぶことも事実。
本が好きな人ほどこの小説を楽しむことができるでしょう。
その点、ポピュラリティの面ではどうなのだろう?という疑問も。

また、他の4つの候補作が、ある史実をもとに物語を構築しているのに対し、
この『熱帯』だけが、幻想小説やファンタジー小説に分類されるものです。
ただ1作、独自路線を歩む作品として高く評価されるのか、
それとも悪目立ちしてしまうのか、これもフタを開けてみないとわかりません。

いずれにしろ、この作品を選考委員がどう読むかで、
今回の選考会の議論の行方が決まるような気がします。

投稿者 yomehon : 2019年01月11日 05:00