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2019年01月09日

第160回直木賞直前予想③ 『宝島』


続いては『宝島』にまいりましょう。

真藤順丈さんは、デビュー時には、ダ・ヴィンチ文学賞大賞や電撃小説大賞、
日本ホラー小説大賞などを立て続けに受賞して、大変な注目を集めました。
言ってみれば、ドラフト1位のピッチャーとして入団し、
いきなり二桁勝利をあげて新人賞を受賞したような状態だったわけです。

ただ、その後は、玄人好みのプレーをする選手にとどまっていた、という印象でした。
ところがこの『宝島』 は(引き続き野球のたとえで申し訳ないけれど)、
入団から10年目に突然20勝をあげ、最多勝、最優秀防御率はもちろん、
沢村賞にいたるまでのタイトルを総なめにしたような、もの凄い作品なのです。

この小説は、沖縄の戦後をまるごと描いた大作です。
戦後まもない沖縄では、米軍の施設から物資を盗み出す
「戦果アギヤー」と呼ばれる人々がいました。
「戦果アギヤー」というのは、「戦果をあげる者」という意味です。

「戦果アギヤー」のリーダーであるオンちゃんは、
弱冠20歳の若者でありながらコザの街の英雄でした。
なぜ英雄視されていたのか。それは盗んだ物資を貧しい人々に配っていたから。
一種の義賊だったわけです。人々は、故郷を占領した米軍の鼻を明かす 
オンちゃんに拍手喝采していました。

ところが1952年の夏の夜、オンちゃんは、嘉手納基地に狙いをつけるものの、
米軍に発見され、その後、逃走する過程で行方がわからなくなります。
捕まったわけではなく、基地の外に出ることは出来たらしいのですが、
なぜか忽然と姿を消してしまうのです。

ここで注意してほしいのは、
この小説は、英雄オンちゃんの物語ではない、ということ。

描かれるのは、オンちゃんがいなくなってからの幼馴染たちの人生。
襲撃に加わったグスク、オンちゃんの弟のレイ、オンちゃんの恋人のヤマコ。
この3人の、沖縄返還までの20年の人生が物語のメインとなります。

3人はそれぞれ、刑事、テロリスト、教師の道を歩みます。
それぞれの人生に、戦後の沖縄で実際に起きた数々の事件が絡んでいく。

米兵による凶悪な犯罪、米軍と沖縄の人々との理不尽なまでの地位的な格差、
このような現在も繰り返され、いまだ解消されていない問題はもちろんのこと、
米軍施設からの毒ガス漏洩事件(1969年、米軍施設内でVXガスが漏洩した
事件が明るみに出ました)や、これら度重なる事件への怒りが頂点に達して
起きたコザ暴動(1970年)。この小説を読む人はみな言葉を失うはずです。

この物語が、「英雄不在」であるという点に大きな意味があると思います。
3人はオンちゃんを探し続けます。でも彼は見つかりません。

英雄が不在のまま、その後の人生を懸命に生きなければならなかった3人に、
おそらく作者は、戦後の沖縄の人々の人生を重ねているのでしょう。
それはなんと困難な歩みだったことか。
激動の戦後を生き抜いた沖縄の人々が味わった艱難辛苦は、想像を絶します。

でも、ここで急いで付け加えておきたいのですが、
この小説は、ただただ、重苦しい現実を描いただけのものではありません。

消息を絶ったオンちゃんの行方を探すミステリーの面白さもありますし、
それになにより、この作品からは、沖縄の土地の力を感じます。

「ゲニウス・ロキ」という言葉をご存知でしょうか。
ラテン語で「地霊」、つまり「土地を守護する霊」といった意味の言葉です。
沖縄に行ったことがある人、中でも御嶽(うたき)と呼ばれる聖地に行ったことがある人は
特におわかりいただけると思いますが、沖縄には、
長い時間をかけて蓄積された記憶を感じさせる場所がたくさんあります。

ひとたびそこに立てば、個人の力を超えたものの気配を感じさせる場所。
粛然とし、自然と頭を垂れてしまうような場所。
目の覚めるような光景に息をするのさえ忘れて見入ってしまうような場所。
人々の祈りや悲しみ、あるいは、太古の昔から繰り返されてきた自然の営み。
沖縄の「ゲニウス・ロキ」は、それらが渾然一体となったものなのでしょう。

本書で描かれる沖縄の戦後史には“激動”という言葉しか思いつきませんが、
一方でその背後に、どこか悠久の時間が流れているように感じられるのは、
このような沖縄の土地の力がなせるわざなのかもしれません。

この物語を読み終えた時、あなたは気がつくことでしょう。
英雄のいなくなったこの島で、
懸命に生き抜いてきた市井の人々こそが英雄なのではないかと。

紛うことなき傑作。この先も長く読み継がれることになる作品です。

投稿者 yomehon : 2019年01月09日 05:00