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2019年01月08日

第160回直木賞直前予想② 『信長の原理』


なんだか凄いことになりそうな今回の直木賞、
続いての候補作は、垣根涼介さんの『信長の原理』です。

2000年に『午前三時のルースター』でサントリー・ミステリー大賞と読者賞をW受賞して華々しくデビューし、
2004年に傑作『ワイルド・ソウル』で大藪春彦賞と吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞をトリプル受賞、
2005年には『君たちに明日はない』で山本周五郎賞を受賞するなど順調にキャリアを重ねた後、
しばしのブランクを経て、近年は、歴史時代小説の世界で新たな境地を切り拓いています。
これまでの実績からいえば、もっとも直木賞に近い作家といえるでしょう。

さて、今回の候補作『信長の原理』ですが、この作品を取り上げるには
どうしても『光秀の定理』という作品に触れないわけにはいきません。

個人的な見解に過ぎませんが、
歴史時代小説というのは、非常に保守的なジャンルで、
あらゆる手法は、ほぼやり尽くされている感があります。
ところが垣根さんは、『光秀の定理』で、これまでにない手法を開発しました。

タイトルに「定理」とあることからもわかるように、
この『光秀の定理』で垣根さんは、数学を導入したのです。
この作品に繰り返し出てくるのは、「確率論」のお話。
四つの椀を使ったサイコロ賭博の話から発展して、
なぜ人間は誰もが必死に生きているにもかかわらず、
生き延びる者と滅びゆく者に分かれるのかという話へとつながっていきます。
『光秀の定理』は、思いもよらぬ角度から、
時代小説に新風を吹き込んだ作品でした。

ちょっと脱線しますが、生き延びる者と滅びる者といえば、
生物というのは「絶滅するのが当たり前」だという事実をご存知ですか?
これまで地球上に現れた生物の実に99・9%が絶滅しているんです。
言ってみれば、絶滅こそが生物の歴史ではデフォルトであり、
人間のように生き残っているほうが奇跡なのです。

詳しくは吉川浩満さんの『理不尽な進化』をどうぞ。
あなたの自然観、生命観をがらりと変えてくれるむちゃくちゃ面白い一冊です。
この地球上から消えていった膨大な生命に思いを馳せるたびに謙虚な気持ちになれるはず。

閑話休題。
あらためて『信長の原理』に話を戻しましょう。
時代小説に確率論を持ち込んだ垣根さんが、
今回は何を導入したかといえば、それは「進化生物学」です。

「働きアリ」の話をご存知でしょうか。ひとくちに働きアリといっても、
よく観察すると、実際に働いているのは全体の2割しかいないという話です。
そして、さらに働きものの2割だけを取り出して観察してみると、
さっきまでは全部働きものだったはずが、やっぱりその中の2割しか働かない。
そんな不思議な現象が見られるのです。
『働かないアリに意義がある』という本がベストセラーになったので、
ご存知の人も多いでしょう。(本作でも参考文献にあげられています)

なぜ命がけで戦う兵と、消極的にしか戦わない兵とに分かれるのか。
この疑問が、信長のオブセッションとなります。
上述した疑問の答えを得るために、アリを集めさせては、
働きアリとそうではないアリを選分けていく実験を繰り返します。
もちろんこのくだりは作者の考えたフィクションでしょうが、
本作で信長は、徹底した合理主義者として描かれます。

信長というと、残忍でサディスティックな人物をイメージする人が多いのではないでしょうか。
ところが最近の研究では、実際の信長は、
当時にしては珍しい合理的な思考の持ち主で、実力主義で部下を抜擢しては
(明智光秀はその典型でした)改革を推し進めていった人物だったことが明らかになっています。
(たとえば『信長革命』などがオススメです。)

本作は、そうした研究成果をもとに、
新しい信長像を創出することに成功しています。

でも、この合理主義をとことんまで徹底すれば、何が起きるでしょうか。
生い立ちも違えば、体つきも違うバラバラな個人に、
合理主義の網をかければどんな事態が起きるでしょうか。
部下の中にはそうした信長の危険性を見抜いて離反していったものもいます。
このあたりがこの小説のいちばんの読みどころでしょう。

そういえば本作は、安倍総理大臣が
お正月休みに読む本として挙げていましたね。
総理がこの小説を読んでどんな感想をお持ちになったかはわかりません。

ただ、信長というのは意外にも、民に対する税率は低く抑え、
その代わりにさまざまな規制を撤廃して、カネやモノが流通しやすいような
環境整備を行ったことが知られています。
部下に対しては苛烈に相対した信長でしたが、その治世において、人々の暮らしはそれ以前よりも豊かになったのです。
安倍総理が本書のそうした記述にも目を留められているといいのですが……。

投稿者 yomehon : 2019年01月08日 05:00