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2019年01月17日
直木賞は『宝島』に決定!
第160回直木賞は、真藤順丈さんの『宝島』が選ばれました。おめでとうございます!
本書については先日のエントリーに書いたとおりで、
占領下の沖縄を逞しく生き抜いてきた人々の物語と
沖縄という土地が持つ力が見事に融合した傑作です。
選考委員を代表して記者会見した林真理子さんによれば、
この作品は最初の投票で圧倒的な支持を集めたようです。
文句なしの受賞ということのようです。
それにしても今回の候補作はすべて面白かった。
正直、いつもだったら、「なぜこれが候補に?」と思う作品がひとつはあるものですが、
今回は読んでいて楽しかったです。
個人的には深緑野分さんの『ベルリンは晴れているか』推しだったわけですが、
林さんの会見で、「ん?」と思ったのが、この作品についての議論。
高く評価する声がある中、「この方は軍事マニアっぽい」という意見もあったとか。
どなたの意見かはわかりませんが、思わず笑ってしまいました。ピント外れすぎ!
『宝島』と『ベルリンは晴れているか』は、アプローチは違えど、どちらも戦後を描いています。
戦後を描くことで、現代にも通じる問題を読者に考えさせようとしている作品です。
『宝島』はもちろんのこと、残念ながら受賞に至らなかった他の候補作もぜひ手にとってみてください。
芥川賞は上田岳弘さんのみ的中。
上田さんの小説からはいつも未来を感じます。
人間の役割がどんどん縮小していく未来というか。
町屋良平さんは青春小説の新しい地平を切り拓いている方。
登場人物の会話がとってもいいんですよ。
どちらも受賞作の発売はこれからですが、ぜひ読んでいただきたい作家です。
投稿者 yomehon : 05:00
2019年01月15日
直木賞受賞作はたぶんこれ!
候補作5作をみてきました。
あらためて作品を(ページ数つきで)振り返ると、
今村翔吾さん『童の神』(361ページ)
垣根涼介さん『信長の原理』(587ページ)
真藤順丈さん『宝島』(541ページ)
深緑野分さん『ベルリンは晴れているか』(469ページ)
森見登美彦さん『熱帯』(523ページ)
いつもだったら候補の中に一作くらい連作短編集が入るのですが、
今回はすべて分厚い長編、しかも力作揃いで、なかなか読み応えがありました。
分厚いと聞いた途端、腰が引けてしまった人のために急いで付け加えておくと、
「長い=読むのが苦痛」ということはありませんのでご心配なく。
どれも物語の世界にどっぷりと浸る楽しみを味わえる素晴らしい作品です。
さて、前置きはこのくらいにして、直木賞の受賞作予想にまいりましょう。
今回はどうしたって森見登美彦さんが有力とされていますよね。
文藝春秋の威信をかけて送り出したという雰囲気も伝わってきますし、
「森見最有力」ということはぼくにだってわかります。わかるんだけど……、
あえてここで異を唱えてみたい!(ああ、また天邪鬼が顔を出してしまった)
『千一夜物語』を下敷きに新たな物語をつくってみせた文学的教養。
幻の本『熱帯』が『千一夜物語』の異本であるという卓抜なアイデア。
「物語る」という行為の根源へと読者を連れていくという途方もないたくらみ。
この小説が辿り着こうとした頂がどれだけ高いところにあるかは、
よくわかっているつもりです。
にもかかわらず、この作品に異を唱えようというのは、
ひとえに「直木賞はマスに向けた文学賞である」と考えるからに他なりません。
『熱帯』で森見さんが書こうとしたことは、とても高度なことです。
人はなぜ物語をつくるのか。アイデアはどんなところから生まれくるか。
小説のかたちをとりながら、「創造」という行為の秘密を解こうという試みが
なされているのが、この『熱帯』という作品なのです。
先のエントリーでも書きましたが、これは読者を選ぶ小説ではないか。
上級者向けという感じがします。直木賞をきっかけに手に取る人は多いと
思いますが、この物語が入れ子状態になった構造は、小説をそれなりに
読み慣れた人でないと戸惑うのではないでしょうか。
かつては本を読む行為には、ちょっと背伸びをするようなところがありました。
知的なものに憧れ、よくわからなくても手に取って、
頑張って読むという行為が成立していた時代があったのです。
でもいまはそういう時代ではありません(残念なことでありますが)。
直木賞は、普段本をあまり読まない人が読んでも、
「面白い!」と思わせるようなものであってほしい。
森見さんの作品が素晴らしいことに異論はないけれど、
直木賞として考えた場合には、間口がちょっと狭いと思うのです。
ぼくが今回、推したいのは、深緑野分さんの『ベルリンは晴れているか』です。
同じ第二次大戦を扱っても、前回の候補作に比べ格段に深みを増した
この作品は、まさに現代のような不穏な時代にこそ広く読まれるべき小説です。
しかも万人の心を動かす力を持っている。
それも、世界中の読者の心を、です。
直木賞は保守的なところがあって、
日本人が一切登場しない作品にはことのほか冷たいという印象があります。
でももしこの作品に対して、選考委員がそんな態度をとるのならば、
それは選考委員の感覚がもはや時代遅れだというほかありません。
この作品を読むと、戦争はある日突然始まるわけではなく、
長く続いたグレーゾーンの状態から、気がつくといつの間にか
引き返せない状況になっているものなのだということがよくわかります。
グレーゾーンにあることに社会が慣れ始めている今こそ
読まれてほしい作品だと思うのです。
最後に芥川賞にも触れておきましょう。
話題になっている古市憲寿さんの受賞はさすがにないのではないでしょうか。
個人的に注目している作家は、
上田岳弘さんと高山羽根子さん、それに町屋良平さん。
今回、ぼくは上田岳弘さんの受賞を予想します。
直木賞、芥川賞ともに、16日(水)夜に決まります。
投稿者 yomehon : 05:00
2019年01月11日
第160回直木賞直前予想⑤ 『熱帯』
最後はいよいよ森見登美彦さんの登場です。
下馬評では、直木賞の最有力候補との呼び声も高い『熱帯』 にまいりましょう。
なかなかストーリーを要約しづらい小説なのですが、
一言で言えばこれは、『熱帯』という「幻の本」をめぐる物語です。
『熱帯』は奇妙な小説で、偶然この本を入手して読み始めても、
なぜか手元から本が消えたりして、最後まで読み終えた人が誰もいません。
でもいちどでも読んだ人は、何かに魅入られたかのように
この「幻の本」の謎を解く行為に没頭してしまうのです。
『熱帯』の魔力にとらわれてしまった人々を導き手に、
作者はぼくたちを物語の迷宮へと誘うのです。
もういちど言いますが、この本は、『熱帯』という「幻の本」をめぐる小説です。
つまり「本をめぐる本」であると言えます。
しかも、ひとつの物語が、また別の物語を生むような構成になっている。
要するに「入れ子構造」になっているわけです。
この構造のモデルとなっているのは、『千一夜物語』です。
その昔、ペルシアにシャハリヤールという王様がいました。
彼は妻の不貞をきっかけに女性不信に陥り、夜ごと生娘を連れて来させては
純潔を奪い、首を刎ねて殺すというひどいことをしていました。
これをみかねた大臣の娘シャハラザードは、みずから王のもとへ出向き、
不思議な物語を王に語って聞かせます。ところがシャハラザードはいつも
いいところで物語を止めてしまうので、つづきが気になって仕方ない王は、
彼女の首を刎ねることができません。こうしてシャハラザードは命をつなぎ、
最後には王も改心させてしまうのです。
このシャハラザードが王に語った物語が『千一夜物語』であるとされます。
もっともこの『千一夜物語』のオリジナルは残っておらず、
後世の人々によってさまざまな物語がプラスされたり
数々の異本がつくられたりしました。
かの有名な「シンドバッド」や「アラジン」「アリババ」なども
後世になってつけくわえられた物語です。
『熱帯』は、この「千一夜物語」のように、
ひとつの物語がまた別の物語を呼び寄せ……というように続いて行き、
気がつけば、読者自身が、逃れようのない物語の迷路の中に
迷い込んでしまうという仕掛けになっているのです。
でも読者はただ迷子になるわけではありません。
この『熱帯』 という作品で、作者がぼくらを連れて行くのは、
「物語が生まれる場所」とでも呼ぶべきところです。
そもそも作家はどのように物語を生み出すのでしょうか。
もっと根本的なことを言えば、物語ってなんでしょうか。
なぜ人間は物語に魅せられるのでしょうか。
物語を、小説を、本を読むという行為には、どんな意味があるのでしょうか。
そんな根源的な問いに、この作品で作者は答えようとしています。
たとえば、あなたの目の前に、真っ白な紙があったとしましょう。
そこには何もありません。でも見方を変えると、何もないということは、
そこには何でもあるということでもあります。
なぜなら真っ白な紙の上には、何だって書くことができるからです。
「何もないということは何でもあるということなのだ。魔術はそこから始まる」
この本の中に、なんども登場する言葉です。
魔術というのは「創造の魔術」のこと。
何もない紙の上に、物語を生み出す小説家は、
さしずめ魔術の遣い手であるといえるでしょう。
森見登美彦という作家はきわめて知的な作家です。
彼が書く物語は、一見とぼけた設定でも、そのバックボーンには
古今東西の文学作品を読み込んできた経験があります。
文章だって(そうは見えないかもしれませんが)実は入念に彫琢されている。
そんな知性派の作家が、「物語ること」の根源へ迫ろうというのですから、
面白くないわけがありません。選考委員のみなさんも、
創造の魔術のくだりにはおおいに共感するのではないでしょうか。
ただ、この知的たくらみに満ちた小説が、読む者を選ぶことも事実。
本が好きな人ほどこの小説を楽しむことができるでしょう。
その点、ポピュラリティの面ではどうなのだろう?という疑問も。
また、他の4つの候補作が、ある史実をもとに物語を構築しているのに対し、
この『熱帯』だけが、幻想小説やファンタジー小説に分類されるものです。
ただ1作、独自路線を歩む作品として高く評価されるのか、
それとも悪目立ちしてしまうのか、これもフタを開けてみないとわかりません。
いずれにしろ、この作品を選考委員がどう読むかで、
今回の選考会の議論の行方が決まるような気がします。
投稿者 yomehon : 05:00
2019年01月10日
第160回直木賞直前予想④ 『ベルリンは晴れているか』
ふぅ〜、今回の直木賞の予想は、むちゃくちゃ疲れますね。
全部、分厚いというのもありますけど、
近年これほど候補作が粒ぞろいのことってなかったかもしれません。
でもこういうのは嬉しい悲鳴というやつです。
さて、次は 『ベルリンは晴れているか』にまいりましょう。
いやー、これまたものすごい作品が出てきました。
深緑野分(ふかみどり・のわき)さんは、
『戦場のコックたち』で直木賞の候補になったことがあります。
第二次大戦に従軍したアメリカ陸軍の特技兵(コック)を主人公に、
戦地で起きる「日常の謎」(食材が消えたとか)をめぐる謎解きと、
悲惨な戦場の描写を見事に融合させた作品で、高い評価を得ました。
当時の直木賞予想でも書きましたが、
深緑さんの小説というのは、即、世界市場でも勝負できる作品です。
なにしろ日本人がひとりも登場しない。
いや、早合点しないでほしいのですが、なにも日本人を登場させたら
世界市場で通用しない、などと言っているわけではありませんよ。
要するに、日本人の読者あいだでしか通用しないような、
ローカルなアイテムや社会通念などが一切出てこないのです。
「日本人だったらこれ、わかるよね?」といった、
共同体のコンセンサスに安易に寄りかかったところがまったくありません。
少し脱線しますけど、昨年読んだミステリの中で特に印象に残ったのが、
『IQ』という小説でした。物語の主人公は、通称IQと呼ばれる黒人の青年です。
ロサンゼルスの黒人コミュニティを舞台に、IQが活躍するこの小説は、
いわば黒人版の“シャーロック・ホームズ”なのです。
作者ジョー・イデは、貧しい日系アメリカ人の家に生まれ、ロスの中でも
犯罪の多い黒人街で育ちました。友人のほとんどは黒人だったそうです。
ジョー・イデのような複雑なアイデンティティを持った作家が、これからは
当たり前のようになるでしょう。限られた共同体に向けてではなく、
複数の共同体を横断するような開かれた作品が書かれていくでしょう。
おそらくSNSを眺めてばかりいる人は、
これからどんどん取り残されていくのではないか。
自分と似たような意見ばかりに接し、世界は自分の味方だと
思い込んでいるうちに(エコー・チェンバー現象といいます)、
いつのまにか姿を変えてしまった世界に置き去りにされてしまうのです。
深緑さんは、最初から狭い共同体の外側に向けて、
開かれた扉の外側に向けて、小説を書いている人だと思います。
『ベルリンは晴れているか』は、
第二次大戦の敗戦で焦土と化したベルリンが舞台。
17歳のアウグステは、アメリカ統治区域の兵員食堂で働いていました。
共産主義者だった両親はナチスに殺され、
妹のように面倒をみていたポーランド人の少女も失い、
毎日をなんとか生きていたアウグステのもとに、
ある男の死の報せがもたらされます。
その男クリストフは、ソ連統治区域で不審な死を遂げていました。
アメリカ製の歯磨き粉に仕込まれていた青酸カリによる死でした。
クリストフ殺害の容疑をかけられたアウグステは、ソ連軍の大尉の命令で、
行方のわからないクリストフの甥を探すことになります。
謎めいた身元の泥棒カフカを相棒に、混沌としたベルリンの街を駆け回る
アウグステの前に、次々と困難が立ちはだかるのでした……。
人探しとそれに伴う謎解きの面白さはもちろんですが、
この小説を読むなによりの醍醐味は、
当時のベルリンの街とそこで暮らす人々の圧倒的に細やかな描写にあります。
その取材力と文章力には、ただただ感嘆のため息しか出てきません。
ほんとうにすごい。そして素晴らしい。
この小説は、謎を追うアウグステの物語の合間に、
「幕間(まくあい)」と称する物語パートが挟まれる構成になっています。
「幕間」では、アウグステの生い立ちが時系列で語られるのですが、
読者はここで、ナチスがどのように人々の生活に浸透していったかを
知ることになります。
先ほどぼくは、この小説には日本人が一切、登場しないと書きました。
でもこの作品を読む人はみな、気がつくはずです。
この小説で描かれているのは、私たちのことでもあるのだ、と。
力を持った政権の威を借りて、すすんで他者を糾弾する。
政権に異を唱える人は、すべて敵だとみなす。
ひとたびSNSをのぞいてみれば、
そうした人々の姿を簡単に見つけることができます。
それは当時、ナチスの名のもとに、ユダヤ人や共産主義者、
障がいのある人たちを率先して迫害した人々の姿となんら変わりません。
『戦場のコックたち』と同様、
この 『ベルリンは晴れているか』も世界に通用する作品ですが、
前者になくて後者にあるのは、
現代の日本をもとらえるような射程を持っていることではないか。
『戦場のコックたち』に比べ、
明らかに 『ベルリンは晴れているか』で作者の視点は深化しているのです。
より深みを増したこのワールドクラスの作品を、
多くの人に手にとってほしいと願わずにはいられません。
なぜなら、ぼくたちの暮らす社会は、
この作品に描かれた社会と、そう遠くないところにあるからです。
投稿者 yomehon : 05:00
2019年01月09日
第160回直木賞直前予想③ 『宝島』
続いては『宝島』にまいりましょう。
真藤順丈さんは、デビュー時には、ダ・ヴィンチ文学賞大賞や電撃小説大賞、
日本ホラー小説大賞などを立て続けに受賞して、大変な注目を集めました。
言ってみれば、ドラフト1位のピッチャーとして入団し、
いきなり二桁勝利をあげて新人賞を受賞したような状態だったわけです。
ただ、その後は、玄人好みのプレーをする選手にとどまっていた、という印象でした。
ところがこの『宝島』 は(引き続き野球のたとえで申し訳ないけれど)、
入団から10年目に突然20勝をあげ、最多勝、最優秀防御率はもちろん、
沢村賞にいたるまでのタイトルを総なめにしたような、もの凄い作品なのです。
この小説は、沖縄の戦後をまるごと描いた大作です。
戦後まもない沖縄では、米軍の施設から物資を盗み出す
「戦果アギヤー」と呼ばれる人々がいました。
「戦果アギヤー」というのは、「戦果をあげる者」という意味です。
「戦果アギヤー」のリーダーであるオンちゃんは、
弱冠20歳の若者でありながらコザの街の英雄でした。
なぜ英雄視されていたのか。それは盗んだ物資を貧しい人々に配っていたから。
一種の義賊だったわけです。人々は、故郷を占領した米軍の鼻を明かす
オンちゃんに拍手喝采していました。
ところが1952年の夏の夜、オンちゃんは、嘉手納基地に狙いをつけるものの、
米軍に発見され、その後、逃走する過程で行方がわからなくなります。
捕まったわけではなく、基地の外に出ることは出来たらしいのですが、
なぜか忽然と姿を消してしまうのです。
ここで注意してほしいのは、
この小説は、英雄オンちゃんの物語ではない、ということ。
描かれるのは、オンちゃんがいなくなってからの幼馴染たちの人生。
襲撃に加わったグスク、オンちゃんの弟のレイ、オンちゃんの恋人のヤマコ。
この3人の、沖縄返還までの20年の人生が物語のメインとなります。
3人はそれぞれ、刑事、テロリスト、教師の道を歩みます。
それぞれの人生に、戦後の沖縄で実際に起きた数々の事件が絡んでいく。
米兵による凶悪な犯罪、米軍と沖縄の人々との理不尽なまでの地位的な格差、
このような現在も繰り返され、いまだ解消されていない問題はもちろんのこと、
米軍施設からの毒ガス漏洩事件(1969年、米軍施設内でVXガスが漏洩した
事件が明るみに出ました)や、これら度重なる事件への怒りが頂点に達して
起きたコザ暴動(1970年)。この小説を読む人はみな言葉を失うはずです。
この物語が、「英雄不在」であるという点に大きな意味があると思います。
3人はオンちゃんを探し続けます。でも彼は見つかりません。
英雄が不在のまま、その後の人生を懸命に生きなければならなかった3人に、
おそらく作者は、戦後の沖縄の人々の人生を重ねているのでしょう。
それはなんと困難な歩みだったことか。
激動の戦後を生き抜いた沖縄の人々が味わった艱難辛苦は、想像を絶します。
でも、ここで急いで付け加えておきたいのですが、
この小説は、ただただ、重苦しい現実を描いただけのものではありません。
消息を絶ったオンちゃんの行方を探すミステリーの面白さもありますし、
それになにより、この作品からは、沖縄の土地の力を感じます。
「ゲニウス・ロキ」という言葉をご存知でしょうか。
ラテン語で「地霊」、つまり「土地を守護する霊」といった意味の言葉です。
沖縄に行ったことがある人、中でも御嶽(うたき)と呼ばれる聖地に行ったことがある人は
特におわかりいただけると思いますが、沖縄には、
長い時間をかけて蓄積された記憶を感じさせる場所がたくさんあります。
ひとたびそこに立てば、個人の力を超えたものの気配を感じさせる場所。
粛然とし、自然と頭を垂れてしまうような場所。
目の覚めるような光景に息をするのさえ忘れて見入ってしまうような場所。
人々の祈りや悲しみ、あるいは、太古の昔から繰り返されてきた自然の営み。
沖縄の「ゲニウス・ロキ」は、それらが渾然一体となったものなのでしょう。
本書で描かれる沖縄の戦後史には“激動”という言葉しか思いつきませんが、
一方でその背後に、どこか悠久の時間が流れているように感じられるのは、
このような沖縄の土地の力がなせるわざなのかもしれません。
この物語を読み終えた時、あなたは気がつくことでしょう。
英雄のいなくなったこの島で、
懸命に生き抜いてきた市井の人々こそが英雄なのではないかと。
紛うことなき傑作。この先も長く読み継がれることになる作品です。
投稿者 yomehon : 05:00
2019年01月08日
第160回直木賞直前予想② 『信長の原理』
なんだか凄いことになりそうな今回の直木賞、
続いての候補作は、垣根涼介さんの『信長の原理』です。
2000年に『午前三時のルースター』でサントリー・ミステリー大賞と読者賞をW受賞して華々しくデビューし、
2004年に傑作『ワイルド・ソウル』で大藪春彦賞と吉川英治文学新人賞、日本推理作家協会賞をトリプル受賞、
2005年には『君たちに明日はない』で山本周五郎賞を受賞するなど順調にキャリアを重ねた後、
しばしのブランクを経て、近年は、歴史時代小説の世界で新たな境地を切り拓いています。
これまでの実績からいえば、もっとも直木賞に近い作家といえるでしょう。
さて、今回の候補作『信長の原理』ですが、この作品を取り上げるには
どうしても『光秀の定理』という作品に触れないわけにはいきません。
個人的な見解に過ぎませんが、
歴史時代小説というのは、非常に保守的なジャンルで、
あらゆる手法は、ほぼやり尽くされている感があります。
ところが垣根さんは、『光秀の定理』で、これまでにない手法を開発しました。
タイトルに「定理」とあることからもわかるように、
この『光秀の定理』で垣根さんは、数学を導入したのです。
この作品に繰り返し出てくるのは、「確率論」のお話。
四つの椀を使ったサイコロ賭博の話から発展して、
なぜ人間は誰もが必死に生きているにもかかわらず、
生き延びる者と滅びゆく者に分かれるのかという話へとつながっていきます。
『光秀の定理』は、思いもよらぬ角度から、
時代小説に新風を吹き込んだ作品でした。
ちょっと脱線しますが、生き延びる者と滅びる者といえば、
生物というのは「絶滅するのが当たり前」だという事実をご存知ですか?
これまで地球上に現れた生物の実に99・9%が絶滅しているんです。
言ってみれば、絶滅こそが生物の歴史ではデフォルトであり、
人間のように生き残っているほうが奇跡なのです。
詳しくは吉川浩満さんの『理不尽な進化』をどうぞ。
あなたの自然観、生命観をがらりと変えてくれるむちゃくちゃ面白い一冊です。
この地球上から消えていった膨大な生命に思いを馳せるたびに謙虚な気持ちになれるはず。
閑話休題。
あらためて『信長の原理』に話を戻しましょう。
時代小説に確率論を持ち込んだ垣根さんが、
今回は何を導入したかといえば、それは「進化生物学」です。
「働きアリ」の話をご存知でしょうか。ひとくちに働きアリといっても、
よく観察すると、実際に働いているのは全体の2割しかいないという話です。
そして、さらに働きものの2割だけを取り出して観察してみると、
さっきまでは全部働きものだったはずが、やっぱりその中の2割しか働かない。
そんな不思議な現象が見られるのです。
『働かないアリに意義がある』という本がベストセラーになったので、
ご存知の人も多いでしょう。(本作でも参考文献にあげられています)
なぜ命がけで戦う兵と、消極的にしか戦わない兵とに分かれるのか。
この疑問が、信長のオブセッションとなります。
上述した疑問の答えを得るために、アリを集めさせては、
働きアリとそうではないアリを選分けていく実験を繰り返します。
もちろんこのくだりは作者の考えたフィクションでしょうが、
本作で信長は、徹底した合理主義者として描かれます。
信長というと、残忍でサディスティックな人物をイメージする人が多いのではないでしょうか。
ところが最近の研究では、実際の信長は、
当時にしては珍しい合理的な思考の持ち主で、実力主義で部下を抜擢しては
(明智光秀はその典型でした)改革を推し進めていった人物だったことが明らかになっています。
(たとえば『信長革命』などがオススメです。)
本作は、そうした研究成果をもとに、
新しい信長像を創出することに成功しています。
でも、この合理主義をとことんまで徹底すれば、何が起きるでしょうか。
生い立ちも違えば、体つきも違うバラバラな個人に、
合理主義の網をかければどんな事態が起きるでしょうか。
部下の中にはそうした信長の危険性を見抜いて離反していったものもいます。
このあたりがこの小説のいちばんの読みどころでしょう。
そういえば本作は、安倍総理大臣が
お正月休みに読む本として挙げていましたね。
総理がこの小説を読んでどんな感想をお持ちになったかはわかりません。
ただ、信長というのは意外にも、民に対する税率は低く抑え、
その代わりにさまざまな規制を撤廃して、カネやモノが流通しやすいような
環境整備を行ったことが知られています。
部下に対しては苛烈に相対した信長でしたが、その治世において、人々の暮らしはそれ以前よりも豊かになったのです。
安倍総理が本書のそうした記述にも目を留められているといいのですが……。
投稿者 yomehon : 05:00
2019年01月07日
第160回直木賞直前予想① 『童の神』
では候補作をみていきましょう。
今村翔吾さんの『童(わらべ)の神』です。
今村さんは1984年生まれ。時代小説の世界で今乗りに乗っている期待の星です。
『火喰鳥 羽州ぼろ鳶組』『くらまし屋稼業』などの作品がいずれも好評で
シリーズ化されるなど、ブレイク間近な注目作家といえるでしょう。
これまでの作品をもとにした今村さんの印象は、
佐伯泰英さんのように文庫書き下ろしを基本に江戸を舞台にした
シリーズものを書き継いでいくのだろうな、というものでした。
ところが『童の神』は堂々たる長編、
しかもあまり他の作家が手を出さない平安時代を舞台にした作品です。
これがとてつもなく面白い!
いや、マジ面白すぎて、興奮のあまり鼻血が出るかと思いました。
この作家はまだこんな物凄い小説を書く能力を秘めていたのか!
……とはいえ、本当はこんなふうに「面白い」を連発していてはダメです。
プロの文芸批評であれ、当コラムのような素人の稚拙な書評であれ、
およそ批評と名のつくものは、この「面白さ」がいかなる要素から
成り立っているかを、言葉を尽くし説明するものでなければならないからです。
でもそれでも、それはわかっていても、「面白い!」と連呼したい。叫びたい。
「この作品はとんでもなく面白いぞーーーー!!」
なんの芸もなく、ただただ「面白い!」とだけ叫びたくなるのは、
ここで言う「面白さ」が、ぼくたちの原体験に近いものだからです。
ほら、あなたにもありませんか?
子どもの頃に「この物語、めっちゃ面白い!」と感じた経験が。
「次はどうなるんだろう?」とワクワクしながらページをめくったこと。
「ご飯だよ」と呼びかけられても気がつかないくらい物語に没頭したこと。
「もういい加減に寝さない」と叱られても、本を手放せなかったこと。
こんなふうに物語の魅力にとらわれてしまった経験が誰にでもあるはずです。
『童の神』はそんな物語に夢中になった感覚を思い出させてくれる作品です。
ぼくが思い出したのは「水滸伝」。
英雄や豪傑がこれでもかと登場するあの無類に面白い物語を引き合いに出したくなるくらい、
この小説は「面白い」のです。
簡単にストーリーを紹介しておきましょう。
舞台は平安時代。この時代、世の中は大きくふたつに分かれていました。
ひとつは京の都に住む京人(みやこびと)、
そしてもうひとつは、鬼、土蜘蛛、滝夜叉、山姥などと呼ばれる人々でした。
彼らは「まつろわぬ人々」、つまり朝廷に従わない人々です。
京人からはあたかも人でないような名前をつけられ蔑まれていますが、
もともと独自の文化のもとに暮らしていたところを京人に侵攻された人々でした。
「童」というのは彼らの総称です。
ある時、安倍晴明(彼も重要な登場人物)が「有史以来の凶事」とした
皆既日食が起きます。日中にもかかわらず、世界が暗闇に覆われた
この凶事の日に生まれた桜暁丸(おうぎまる)が本作品の主人公。
身体が大きく目の色や髪の色が他の者と違う桜暁丸は、
邑人から時に“禍の子”などと陰口を叩かれていますが、
頭が良く、武術にも飛び抜けた才能を発揮する若者に育ちました。
そんな桜暁丸の故郷も京人の襲撃を受けてしまいます。父と故郷を奪われ、
ひとり落ち延びた桜暁丸は、さまざまな仲間たちとの出会いを経て、
彼らとともに朝廷への戦いに挑むのでした……。
平安時代を舞台にしながら、非常に現代的なテーマが反映された作品です。
現代的なテーマ、それは「社会の分断」です。
自分たちとは異質の文化を持つ人々に対していたずらに恐ろしげなイメージを
付与し、恐怖心を煽るという光景は、現代でも普通に見ることができます。
(たとえば移民に対してEU各国の極右政党がやっていることがそうでしょう)
社会に分断をもたらす差別の問題は、本作を貫く太い背骨になっています。
皆が手をたずさえて生きられる世の中を熱望して戦いに挑む桜暁丸に、
あなたもきっと深く心を動かされることでしょう。
それからもうひとつ、本作が舞台としている平安時代について。
平安時代を舞台にしたメジャーな作品は、夢枕貘さんの『陰陽師』シリーズなど
数えるほどしかありません。おそらく史料が少ないからだと思いますが、
本作を読んでこの時代は意外と鉱脈かもしれないと思いました。
歴史の空白部分が多い時代だからこそ、史実をきっかけに
作者の想像力を自由に飛躍させたぶっ飛んだ物語が書けるのではないか。
(いま思い出したのですが、まさにこの時代を素材にぶっ飛んだ物語を書いた
先例が氷室冴子さんの名作『なんて素敵にジャパネクス』ではないでしょうか。
なにしろこの作品は宮廷を舞台にしたラブコメなのですから)
作者はまだ小説を書き始めて2年半ほどだと聞きます。
にもかかわらず、これほどスケールの大きな作品を書いてしまうのは凄い。
この先、歴史時代小説の世界を背負っていく逸材であることは間違いなし。
いまからチェックしておくことをおススメします。
それにしてものっけからこんな迫力ある作品と出会えるとは。
今回の直木賞レース、とんでもないことになるかも……。
投稿者 yomehon : 05:00