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2018年07月16日

第159回直木賞直前予想(6) 『未来』


いよいよ最後になりました。
湊かなえさんの『未来』にまいりましょう。

著者のデビュー10周年の記念作品ということで話題になっています。

父を病気で亡くし、心が壊れてしまった母とふたりで暮らすことになった
10歳の章子のもとに、ある日、20年後の自分から手紙が届きます。

母が時々人形のようになってしまうために、
なんでも自分でやらなければならない章子の生活は、過酷なものでした。
そこに追い討ちをかけるように、同級生からのいじめや、
祖母に打ち明けられた両親の過去などが、心の重りとして加わります。
とても10歳では立ち向かえないような絶望的な生活の中で、
章子は30歳の自分に向けて、未来の章子に向けて、
手紙の返事を書き続けるのでした……。

物語は、この章子の未来への手紙と、章子の友人と担任の告白、
そして章子の父親の秘密で構成されているのですが、
実はすべての候補作の中で、この作品を読むのにもっとも時間がかかりました。

それは、章子が未来への自分へと書き始めた手紙のせいです。
10歳の小学生が書く手紙のわりには、あまりにも上手すぎるのです。

この手紙を書いている章子は、まるで成熟した大人のような目でまわりを見ている。
もちろん子どもの目には、大人の濁った目では見えない物事の真実が
見えていることもあるでしょう。でもそれを差し引いても、この手紙は上手すぎます。

ここで言う上手さというのは、何かを見て感じた、あるいは心に浮かんだ、
かたちのないモヤモヤとした気持ちや感覚を、言葉に落とし込む能力のことです。
表現力や語彙力なども含めた言語化能力が、
とても子どもとは思えないレベルにある、といったらいいでしょうか。

ただ、あまりにも上手すぎることから、最初は、
これは意図されたものはないか?と疑ってもいたのです。
なにしろ湊さんの作品にはいろんな仕掛けが施されていますから、
「もしかしたらこれは10歳の章子が書いたように見せかけて、
実は誰か他の人が書いた手紙なのだろうか?」と怪しんでみたりもしました。

ところが読み進むうちに、どうやら仕掛けなどはなく、
10歳の少女が書いたという設定だということが判明。そこからが大変でした。
「こんなレベルの高い手紙、10歳に書けるかなぁ」という疑問が頭を占めてしまい、
なかなか物語の中に入っていけなかったのです。

もちろんこれは、個人的な嗜好にすぎません。
小説において、リアリティをどうとらえるかというのは、
読者の趣味のようなものですので、読む人が違えば、
ぼくが引っかかったところがまったく気にならないということもあるでしょう。

ぼく自身に関して言えば、小説というよりも、途中からはむしろ
舞台のお芝居を観ているような感覚で、この作品を読みました。

たとえば、登場人物の中に、あるお金持ちの息子が出てくるのですが、
自分の父親のことをパパンと呼んだり、アデューと別れの挨拶をしたり、
なかなかリアリティを感じづらいキャラクターなのです。
でもそんな芝居がかった台詞やふるまいも、
いっそ舞台上で演じられているものだと思えば、違和感もありません。

そんなわけで、小説として書かれたものを、
芝居を観るように読むという、これまで味わったことのない体験となりました。

湊かなえさんは、エンターテイメント小説の世界ではすでに
揺るぎないブランドですが、選考委員はこの作品をどう読むのでしょうか?
個人的に今回もっとも興味があるのは、その点かもしれません。  

投稿者 yomehon : 2018年07月16日 00:00