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2018年07月09日
第159回直木賞直前予想(2) 『宇喜多の楽土』
木下昌輝さんは、デビュー作『宇喜多の捨て嫁』がいきなり直木賞候補になったのも記憶に新しい実力派です。
戦国時代の備前(岡山県)で、下克上と仕物(暗殺)を繰り返し他国から恐れられた宇喜多直家を描いた
『宇喜多の捨て嫁』は、異様な迫力を湛えた作品でした。
異様な迫力というのは、まず直家その人が異様な人物であるということがあります。
他家に娘を嫁がせておきながらその寝首をかくというような行為を、平気でやってのける人物の内面というのは、
いったいどうなっているのか。凡人からすれば、それはまるで底知れない闇を覗き込むかのようです。
ただ、そのような最低・最悪の人物でありながら、読み進めるうちに、そのイメージが変わってくるんですよね。
詳しくは明かせませんが、最後は「えっ!?」という驚きが待っている。
この人物像を180度ひっくり返してみせる作者の力業にも、大変な迫力がありました。
さて、そんな前作を受けての続編が、今回の候補作『宇喜多の楽土』です。
本作の主人公は、宇喜多秀家。直家の嫡男です。
ただ、父親のような謀略家でもなければ、冷酷な人物でもありません。
豊臣秀吉に仕え、関ヶ原では西軍の要として徳川家康と戦い、敗れ去ります。
道理をわきまえた秀家は、父親のような異常性はない代わりに、小粒な人物だとも言えるかもしれません。
でも、だからといって、秀家の生涯を描いたこの続編が面白くないかといえば、そんなことはありません。
前作とは描かれているものがまったく違うからです。
前作で描かれているのは、直家その人です。
“戦国の梟雄”と恐れられたその人生は、ある意味“英雄の人生”いっていいでしょう。
ここで言う“英雄”とは、一般の物差しでは測れないような良くも悪くもスケールの大きな人物、
という意味です。
一方、秀家の人生というのは、常に状況との関係の中にあります。
敵対する毛利家との関係、当主に逆らう家臣との関係、そしてもちろん強大な力を持つ秀吉との関係……。
秀家の人生というのは常に内憂外患とともにあった人生といえるでしょう。
この作品を読みながら考えていたのは、「小説の歴史」のことです。
長い間、物語では、英雄が活躍するような勧善懲悪的なストーリーが基本でした。
主人公が持てる知恵や力をフルに使って活躍する物語に、読者は胸を躍らせたわけです。
人間ドラマを描くということがまず基本にありました。
ところが、次第に社会が複雑になっていくにつれて、人間は後景へと退きます。
代わりに前面へと躍り出てきたのが、「システム」です。
いま、小説が売れなくなったと盛んに言われていますが、その理由のひとつはおそらく、
人間が描きにくくなったことだと思うのです。
宇喜多直家の物語は、ある意味、遠い過去の英雄譚(それも悪の英雄ですが)として楽しむことができますが、
この『宇喜多の楽土』の秀家は、英雄には程遠い、むしろどこにでもいるような中間管理職のような存在です。
でもだからこそ、現代を生きるぼくたちに身近な物語として読むことができるような気がします。
賞の選考というのは、本来、候補作単独で判断すべきものでしょう。
でも長いこと直木賞をみていると、作品以外の要素、たとえばこれまでのキャリアなどが
選考に影響を与えることもよくあることがわかります。
それで言えば、『宇喜多の楽土』は、間違いなく前作からのつながりを踏まえて、
評価すべき作品であると思います。
この父と子のタイプの違い、そしてそれぞれのキャラクターにあわせた物語の書き分け方を、
選考委員はどう判断するのか。
実力は申し分ないだけに、そのあたりの選考会での議論が楽しみです。
投稿者 yomehon : 2018年07月09日 00:00