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2018年07月06日

第159回直木賞直前予想(1) 『破滅の王』


さあ、それでは候補作をひとつずつ見ていきましょう。
まずは双葉社エントリー分のひとつ、上田早夕里さんの『破滅の王』から。
第二次世界大戦末期の上海を舞台にした歴史長編です。

上田さんといえば、SFの世界では大変な実力派として知られた作家です。
特に2011年に日本SF大賞を受賞した『華竜の宮』(早川書房)には、いまも鮮烈な印象が
残っています。地球上の陸地のほとんどが水没した25世紀の世界を描いているのですが、
特にこの中に出てくる<魚舟>という生き物(であり乗り物)のアイデアが秀逸で、読んだ当時、
「SF作家の想像力はなんて凄いんだ!」と度肝を抜かれました。

そんな豊かな想像力が、本作にどう生かされているのか、とても楽しみに読みました。
結論からいえば、史実のしばりに少々制約を受けてしまったかという印象です。

物語の主人公は科学者です。上海自然科学研究所で細菌学を研究していた宮本は、
あるとき領事館から呼び出しを受け、総領事代理の菱科と、陸軍武官補佐官の灰塚少佐から
機密文書の解読を依頼されます。その不完全な文書には、治療法のない細菌兵器の内容が
記されていました。

実はこの「キング」という名で呼ばれる細菌兵器を巡って、水面下で各国が血みどろの争奪戦を
繰り広げていたのです。キングの開発にはある日本人が関わっており、宮本は対抗するかたちで
治療薬の発見を任されます。
しかし治療法を見つけるためには、危険な細菌の株を手に入れなければなりません。
宮本は誰が味方かわからない状況の中、科学者としての良心にしたがって行動するのでした……。


上海自然科学研究所というのは実在した施設ですし、この他にも731部隊で知られる石井四郎や、
沖縄初の外交官・田場成義、中国の文学者・陶晶孫など、実在の人物が登場します。

いわば虚実入り乱れたかたちで、物語が進んでいくわけですが、この手の物語の場合、
虚の部分を思いっ切りふくらませるという書き方もあると思うのです。
でも、著者はそっちの方向は選ばず、どちらかといえば史実を太い幹のようにどーんと据えて、
架空の部分は枝葉のように付け足すような書き方をしている。

著者があえて選んだ方向ですからそれはそれでいいのですが、SF作品での目をみはるような
想像世界を知っている者からすると、なんだかもったいないなぁと思ってしまうのです。
これだと登場人物が歴史という大きなドラマ中の駒っぽくみえてしまうというか。
ひとりひとりの登場人物について、もう少し描き込まれているとよかったのに、と思いました。

もっとも戦争はすべての人の運命を巻き込む凄まじい力を持っていますから、あの時代の史実に
忠実であろうと思えば、登場人物の書き方も多少窮屈にならざるを得ないのかもしれません。

しかも著者が歴史ものに挑戦するのは初めて。
ならば、本作だけで判断せず、もう少しこの分野での作品を見てみたいと思いました。

投稿者 yomehon : 2018年07月06日 00:00