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2018年01月09日

第158回直木賞直前予想(3) 『銀河鉄道の父』


続いては、門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』にまいりましょう。
タイトルから推測できるように、宮沢賢治の父親を主人公に据えたこの物語、
「宮沢賢治を描く方法がまだあったなんて!」とまさに虚を衝かれた一冊です。

ご存知のように宮沢賢治その人については、
これまで膨大な数の本が書かれてきました。
昨年はその中でも決定版といっていい評伝
『宮沢賢治の真実 修羅を生きた詩人』今野勉(新潮社)が出版され、
読んで深く感動させられた記憶も新しかったので、
もうこれ以上、宮沢賢治の新しい本と出合うことはないだろうと思っていました。

それがまさか父親の視点をとおして描く手があったとは。
宮沢賢治の父・政次郎にフォーカスした本は、
ぼくの知る限り小説はもちろん研究書も評伝も存在しないはずです。
つまり本書は、本邦初の試みになるわけです。

これまで賢治について書かれた本では、
生家が質屋を営んでいたことや、
裕福で父親は地元の名士でもあったことなどについて
わずかに触れられる程度でしたが、
著者はこの部分に命を吹き込み、豊かな父と子の物語をつくりあげました。

宮沢政次郎は明治7年(1874年)生まれ。
幼い頃から学業優秀で進学を希望するものの
父親の喜助から「質屋に、学問は必要ねぇ」と一蹴され家業を継ぎます。

この時代の父親のパブリックイメージといえば「厳父」と相場が決まっていますが、
いくら表面上はしかつめ面を取り繕っても、内心は賢治のことが心配でたまりません。

物語の冒頭、7歳の賢治が赤痢にかかったと聞いて取り乱した政次郎が、
病院に押しかけて泊り込みで看病をする場面が出てきます。
その後、政次郎も感染してベッドの上で苦しむことになり、
見舞いに来た喜助から「お前は、父でありすぎる」と嘆かれる始末ですが、
父が息子を必死に看病するこの場面は微笑ましい上にとても美しく、
その後もこの幸福な記憶は、物語の随所で絶妙な効果を生むことになります。


ですが、私たちはやがて悲しい出来事がこの一家を襲うことを知っています。
賢治が心から愛した妹トシの死、あの名詩「永訣の朝」に結実する悲しい別れは、
読んでいて胸を締め付けられるような思いがしました。

ああ、そうか、それは思いが至らなかった、と不意を突かれたことがあります。
トシを看取った後、政次郎はトシの葬儀を取り仕切っているのですね。
父親なのだから当たり前と言われればそうなのですが、
この時、賢治はといえば、自室に引きこもって弔問客に顔も見せなかったといいます。

政次郎だって娘の死にとてつもないショックを受けていることを読者は知っています。
にもかかわらず、彼は悲しみをその胸に秘め、
立派に葬儀を取り仕切り、父親としての役割を全うするのです。

この小説の素晴らしいところは、
こんなふうに世間の中で立派な社会人として生きてきた父親と、
生涯にわたり夢を追い続け、天性の才能に恵まれた息子を、
等しく価値を持つものとして扱っているところにあります。

世間で揉まれてきた父親には、
世の中で認められるには並大抵の努力ではダメだということがわかっています。
だからこそ、芸術のことはわからずとも、息子の背中を押すことができる。
胸を病んで伏せってしまい、気力が出ないと弱音を漏らす賢治に
政次郎はこんな言葉をかけるのです。


「机に向かえません」
その口調はさっぱりしている。
ほとんど自慢そうだった。政次郎は頭にきた。さらしを丸めて右手ににぎると、
頬をたたいて、
「あまったれるな」
「え?」
賢治は、まばたきした。政次郎は二度、三度とたたきながら、厳父の顔で、
「くよくよ過去が悔やまれます。机がないと書けません。宮沢賢治はその程度の
文士なのか?その程度であきらめるのか?ばかめ。ばかめ」
内心では
(何も、そこまで)
自分でも嫌になるのだが、どうしようもなかった。口も手もやまない。
父親の業というものは、この期におよんでも、どんな悪人になろうとも、
なお息子を成長させたいのだ。
「お前がほんとうの詩人なら、後悔のなかに、宿痾のなかに、
あらたな詩のたねを見いだすものだべじゃ。
何度でも何度でもペンを取るものだべじゃ。人間は、寝ながらでも前が向ける」
賢治は目を見ひらいた。
わずかな瞼のうごきだったが、たしかに瞳は、かがやきを増した。


心の中では、何もそこまで言わなくても、と思っているのに、
息子をなお成長させたいと願い、強い言葉をかけてしまう――。
ものすごくよくわかります。
この小説にはこういう世の父親たちが共感できるところが随所に出てきます。

けれども父親の激励の言葉も空しく、賢治は次第に衰弱していきます。
鉛筆がしっかり握れなくなり、ある日は、カタカナで詩を書いていて、
ちらりと見ると、――マケズ、――マケズという文句が見えました。

父親を主人公にしたことで、
私たちは賢治の臨終の場面にも立ち会うことができます。
「これから、お前の遺言を書き取る。言い置くことがあるなら言いなさい」
と愛する子どもに詰め寄る場面の凄まじさ。
最期まで息子の遺志を聞き漏らすまいという政次郎の覚悟には迫力があります。

本書を読み終えて思うことは、
国民的作家・宮沢賢治は父親なくしてはあり得なかったということです。
しかも政次郎は何か特別なことをしたわけではありません。

ただ息子のことを深く愛し、時には我を忘れて怒り、時には心から褒め、
また時にはみっともなくうろたえながら、接したのです。

つまり政次郎は、ごく普通の父親となんら変わらなかった。
そこにこの作品の普遍性があるように思います。

投稿者 yomehon : 2018年01月09日 05:00