« 第158回直木賞直前予想(3) 『銀河鉄道の父』 | メイン | 第158回直木賞直前予想(5) 『ふたご』 »

2018年01月10日

第158回直木賞直前予想 『火定』


続いて澤田瞳子さんの『火定』です。

「火定(かじょう)」というのは、仏教の言葉で、
修行者が火の中に身を投げ入れて死ぬこと。
火の中で入定(にゅうじょう)することを言います。

物語の舞台は奈良時代。
時代小説ではあまり取り上げられることがありませんが、
澤田さんはこれまでも精力的にこの時代を手がけてきました。

時は天平、藤原氏が栄華を極める寧楽(なら)の都・平城京で、
天然痘が猛威を振るいます。
疫病の蔓延を食い止めようと絶望的な戦いに挑む医師たち、
そして偽りの神をでっちあげて徒に世間をかき回そうとする連中など、
感染症をめぐって繰り広げられる人間界の明と暗が描かれます。
いわば奈良時代のパンデミック(感染爆発)を描いたパニック小説です。

人類は長いこと天然痘に苦しめられてきました。
ジェンナーが種痘を発表したのが1796年、
WHOが天然痘の根絶を宣言したのが1980年とごく最近のことですから、
本作の舞台となっている時代(737年)ではまだ死の病でした。
古代の話ですから、なにしろ原因がわかりません。
苦しみながらバタバタと死んでいく患者たちを前に、
医師は常に自らの存在意義は何かという問いを突きつけられます。

この時代の都には、皇后が慈善事業としてつくった
貧しい病人の治療を行う施薬院や孤児などを収容する悲田院がありました。
当時、政治を我がものにしていた藤原四兄弟への世間の悪評を考慮して、
四兄弟は実の妹である皇后を菩薩のような慈悲深い存在に祭り上げることで、
人々の非難をかわそうとしたと言われています。

でも、いくら設立の動機が不純だろうが、
目の前に助けを求めて苦しむ患者がいれば、
全力で助けようとしてしまうのが医者というもの。
施薬院に次々に担ぎ込まれる患者たちをなんとかしたいと
医師たちは不眠不休で治療に当たりますが、
助けようとするそばから患者たちは死んでいく。

本作でまず圧倒されるのは、このバタバタと死んでいく人々の姿です。
現代は死を出来るだけ隠そうとしますが、
この時代は遺体が普通に河原に打ち棄てられていたりする。
死は常に目の前にあるものなのです。
だからこそ感染被害の凄まじさも一目瞭然でわかってしまう。
目の前の地獄こそが、いま起きていることなのです。

加速度的に事態が悪化していく中で、
医師はおのれの非力を痛感せざるを得ません。
作者は「医師とは何か」というテーマを、
主人公のひとり、施薬院で働く蜂田名代の目を通して描いていきます。
火定とは誰を指すのかということも、そこから見えてくる。

大災害が起こったときに個人に何が出来るかというのは今日的な問いですし、
災厄の原因を外国人のせいにして彼らを排斥しようとする動きも現代に通じます。

巻末の参考文献をみると書籍は少なく、
むしろ専門家による論文のほうが数多くあげられていて、
この古代のパンデミックについては
まだほとんど一般には知られていないのだということがわかります。

時代小説に資料との格闘は付きものとはいえ、
一部の専門家にしか知られていない歴史的な事実を
物語のかたちでわれわれに届けてくれた作者の努力に拍手をおくりたい一冊です。

投稿者 yomehon : 2018年01月10日 05:00