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2017年11月20日
幕末維新を新しい視点で描く 『西郷の首』
来年の大河ドラマは西郷隆盛が主人公とあってか、
いま書店にはずらりと西郷本が並んでいます。
そんな一連の西郷本と一緒に棚に並べられているのを見て、
思わず「それ違う!」と声をあげてしまった一冊をご紹介いたしましょう。
『西郷の首』伊東潤(KADOKAWA)がそれ。
だってこの作品、「西郷の首」とタイトルがついていながら、
西郷が登場する場面はほんのわずかなのですから。
歴史小説を舞台に活躍する伊東潤さんといえば、
いまもっとも直木賞に近い作家といえるでしょう。
この『西郷の首』は、タイトルからは想像できないかもしれませんが、
加賀前田藩からみた明治維新を描いた作品なのです。
これまでにない角度から幕末維新の時代を描こうと試みた意欲作です。
主人公は、
島田一郎朝勇と千田文次郎登文というふたりの若者。
ふたりとも足軽身分の侍です。
幕末・明治維新を描いた作品は数あれど、
加賀前田藩をもってきたところがまず独創的です。
というのも、加賀前田藩というのは、
幕末維新においてどっちつかずの態度をとり続け、
あげく維新後の流れにも乗り遅れてしまった藩なのです。
でも特定の流れに与さなかったからこそ見えてくるものがあります。
少し外れたところにいたからこそ、客観的に幕末期の混乱を見ることができる。
加賀前田藩を通して見ることで、この作品は、
これまでにない視点で幕末を描くことに成功しています。
そしてそんな中途半端な態度の藩だからこそ、主人公のキャラクターが際立つ。
島田一郎は、若さゆえの性急さで、自分も何かしなければといつも焦っています。
その思いはやがて自らも革命に身を投じたいという熱い思いへと育っていきます。
何も持たない若者が、何事かをなしたいという気持ちだけを燃え上がらせていく。
このあたりは現代でいえばテロ活動に身を投じてしまう若者のようです。
一方の文次郎は冷静で、常に一郎を諌める役目。
理想主義の一郎に比べ、文次郎は地に足のついたリアリストです。
ふたりは幼い頃からの親友でしたが、やがて進む道が分かれます。
「侍の時代」の終焉と近代国家のはじまりをそれぞれ体現するように、
まったく別の道へと分かれるのです。
そして一方の明治政府の中でも対立と離反が生じます。
大久保利通と対立した西郷は西南戦争へと突き進み城山で自害します。
そして西郷亡き後、大久保利通もまた暗殺されてしまうのです。
この西郷と大久保の死に、一郎と文次郎はそれぞれ深く関わることになるのですが、
ここに至る長い紆余曲折が本書の読みどころです。
この紆余曲折がすなわち近代国家の誕生をめぐる混乱そのものでもあるからです。
手垢に塗れた幕末・明治維新というテーマについて、
まだこんな描き方があったのかと思わされたことへの新鮮な驚き。
そして歴史の流れに翻弄される人間の哀しさと、
それでも精一杯生きようとする人々の気高さとを味あわせてくれた一冊でした。
ただ、歴史という大きなものを描こうとしているせいか、
伊東作品にしては人間の姿が時に小さく思えるときもありました。
でもそれでもこの果敢な挑戦は買いたいと思います。
著者が直木賞を受賞する前に読んでおいたほうがいいかもしれない一作です。
投稿者 yomehon : 05:00
2017年11月16日
作家の想像力の凄さ 『ヒストリア』
物語が作家の想像力から生みだされるものであるならば、
これ以上ないというくらい自由に想像力を羽ばたかせた物語を読んでみたい。
「よくこんなこと考えつくなー」となかば呆れてしまうくらいに
壮大な法螺話を読んでみたい。小説好きなら誰もがそう願うはずです。
いまもっとも自由奔放に物語を紡ぎだす作家いえば、
池上永一さんをおいて他にありません。
このほど第8回山田風太郎賞を受賞した
『ヒストリア』のストーリーはなにしろぶっ飛んでいます。
1945年の沖縄戦で、住んでいた村も家族も失った美少女・知花煉が主人公。
彼女は米軍の爆撃に遭う中で、自分のマブイ(魂)を落としてしまいます。
戦後の沖縄で商売が成功するも、裏切りにあい逃亡の身となった煉は、
移民船に潜り込みボリビアへと向かいます。
ところが楽園を想像していたボリビアでの移民の生活は過酷なものでした。
与えられた土地は未開拓で、やっと作物ができたと思ったら、
河の氾濫ですべて流されてしまいます。
しかし煉は持ち前の頭の良さと度胸で、ここでも成り上がっていきます。
ラテンアメリカ文学には、シュルレアリスムの影響を受けて生まれた
「魔術的リアリズム」と呼ばれる一群の作品がありますが(このあたりの歴史は
『ラテンアメリカ文学入門』という素晴らしい本が中公新書から出ていますからぜひお読みください)、
この『ヒストリア』もまさにそういった文学の系列に連なるような作品です。
なにしろ煉が落としたマブイは、煉の知らないところでいろいろな騒動を引き起こすのですから。
プロレスのリングに上がったかと思えば、若きチェ・ゲバラと恋に落ちゲリラ戦に参加し、
キューバ革命に立ち会ったかと思えば、キューバ危機で世界を救う働きをする煉。
そして終戦から27年後の沖縄本土復帰後、煉はふたたび故郷の地を踏むのでした。
自分が落としたマブイを取り戻すために――。
沖縄やボリビアの現代史はもちろん、その間の世界情勢なども材料としてぶち込んで、
作者の想像力でこれでもかと攪拌して美味しいジュースにしてみせたような作品です。
ファンタジーの要素もあわせもち、ぐいぐいと面白く読める作品ですが、
実は煉の人生はずっと戦争とともにあります。この小説には反戦小説としての顔もあるんです。
反戦小説といっても決してイデオロギッシュなものではありません。
左だとか右だとかといった立場には到底おさまりきらない、
もっと大きな、神話的な時間とでも呼びたくなるような壮大な時の流れの中で
戦争を見つめているようなところが、この小説にはあります。
そこがこの作品を読んでいちばん圧倒させられたところです。
それにしてもここまでスケールの大きな物語を思いつく作家の頭の中は、
いったいどうなっているのでしょうか。
スマートだけれど、こぢんまりとした作品しか書けない作家が世に溢れる中、
池上永一の突き抜けっぷりは、いっそ清々しいくらいです。
壮大な法螺話に身を委ねるうちに、
戦後史のひとつの姿が浮かび上がってくることにも気づかされる。
ここには人類の愚かな行為も、人間にしか見せることの出来ない勇気も、
すべてが書かれています。
いやはや凄い小説を読まされてしまった。
池上さんの想像力に脱帽です。
投稿者 yomehon : 21:00
2017年11月06日
権力とジャーナリズム 『トップリーグ』
「事実は小説より奇なり」という言葉があります。
一見、事実とフィクションは対立するもののように思われがちですが、
むしろ事実に小説家の手が加わることで、
より事柄の真実が伝わるということだってあるのです。
相場英雄さんの小説がまさにそうです。
これまで食品偽装や労働者派遣法、企業の不適切会計の問題などを
扱ってきましたが、どれも重厚なストーリーでずっしりと心に残る作品ばかりでした。
ニュースの裏側を知り尽くした元新聞記者ならではの着眼点と、
巧みなストーリーテリングを武器に、
新しい社会派小説のジャンルを切り拓きつつある作家であるといえるでしょう。
そんないま注目の作家が次に目をつけたのは、ジャーナリズムの世界でした。
書名にある「トップリーグ」というのは、総理大臣や官房長官などの
政権幹部に食い込んだごく一部のスター記者たちのことを指します。
そんなグループほんとにあるの?と思う人もいるかもしれませんが、
実はあるんです。実際は「トップグループ」と呼ばれますが。
そういう記者は政権幹部との距離の近さを利用してしばしばスクープを飛ばします。
ただその一方で、単に政権幹部に気に入られただけじゃないかという見方もできます。
例えば、わざわざ読むほどではないので書名はあげませんが、
数年前にトップグループに属するあるジャーナリストが本を出したことがありました。
その本のあとがきだったと思いますが、
このジャーナリストは、政権との距離の近さを批判する人たちに対して、
スイカを例にあげながら奇妙な反論を試みていました。
つまりスイカの色や甘さは外側からではわからない。
実際に食べて感じた甘さまで書いてはじめてジャーナリズムと言える、
というようなことがそこには書かれていました。
政権の内側に入り込んでみないと見えないことがあるのだ、と言いたいのでしょうね。
ところが本を読んでみると、このジャーナリストがやっていることといえば、
内閣の人事案をある大臣に託されて総理の自宅まで届けにいっただとか、
そういったことだったりします。
この方にとってはインサイダーであることが誇らしくてたまらないようですが、
本を読む限りでは政治家にうまく利用されているだけにしか見えませんでした。
ジャーナリストにとって権力との距離のとり方というのは実に難しいものです。
本書の主人公のひとり、大和新聞の松岡直樹はある日、
経済部から畑違いの政治部への異動を命じられますが、
官房長官の記者会見である質問をしたことをきっかけに、
思いがけずトップリーグの記者たちの仲間入りをすることになります。
この松岡の目を通してみた政治とジャーナリズムとの関わりが読みどころのひとつ。
これに加えて、本書のもうひとりの主人公である週刊新時代の記者・酒井祐治が
追いかける謎が、この小説のさらなる読みどころのひとつです。
酒井が追いかけるのは、オリンピックに向けた開発が進む臨海地区の
工事現場から現金1億5千万円が入った金庫が発見されたというニュース。
酒井はかつて大和新聞で松岡と同期で、政治部のエースと呼ばれた男でした。
謎を追ううちに酒井は、昭和史に残る一大疑獄事件との関わりをつかみます。
政界の深い闇に記者が斬り込んだとき、はたして権力の側はどう動くのか。
いまでも新聞社の花形部署で活躍する男と、
泥臭い週刊誌の現場に戦いの場を移した男、
このふたりにとってジャーナリストの矜持とは何か。
これまでの作品同様、今回も重い問いを読者に突きつけてくる作品です。
個人的には謎の真相よりも、
本章で描かれるジャーナリズムの問題点の数々のほうが興味深かったです。
例えば政治記者の間では「あわせ」という作業がごく普通に行われています。
政治家へのぶらさがりなどの後に、みんなでメモの内容をすり合わせるのです。
政治家の言葉を間違えないために確認しているのだといえば聞えはいいけれど、
裏を返せば他社の抜け駆けを排除するための馴れ合いともとれます。
また官房長官などの記者会見などでいまやお馴染みの光景となりましたが、
あそこに座っている記者は、官房長官が話しているときに、その顔をみることなく
ただひたすらパソコンのキーを叩いています。
官房長官談話をいち早く記事にして配信するためといえば
これも聞えはいいけれど、これでは記者の質問に対する官房長官の
ちょっとした表情の変化などは見逃してしまうことになるのではないでしょうか。
作者は元新聞記者の経験をもとに、
そうしたちょっとした事柄をもとに、
現在のジャーナリズムの足腰が
どれだけ鍛えられているだろうかと問いを突きつけてきます。
残念ながらその問いに対する答えは、あまりポジティブなものとは言えません。
記者の世界ではともすれば速報性ばかりが優先されがちですが、
言うまでもなくただ伝えるだけがジャーナリズムの役割ではありません。
大切なことは、権力の側に対して「それ、おかしいんじゃないですか」と言えることです。
ジャーナリズムに課せられたもっとも重要な使命は、
権力に対するチェック機能なのですから。
本書の登場人物からは、どれも実在の人物を容易に想像できます。
それゆえに読んでいると、権力者が追い詰められた時に
どんな行動に出るかを想像して、ちょっと空恐ろしくなるかもしれません。
さて、政権にとって命とりになるような情報を手にした主人公たちは
果たしてどんな決断を下すのでしょうか。それは本書を読んでのお楽しみ。
ジャーナリズムにわずかに残された希望と、
権力者の狡猾さや恐ろしさをまざまざと見せつけてくれる好著です。
投稿者 yomehon : 23:00