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2017年10月30日
カズオ・イシグロ入門
今年のノーベル文学賞はカズオ・イシグロ氏が受賞しましたね。
このニュースをきっかけに、「読んでみたいんだけど何を読めばいい?」と
何人かから訊かれましたので、あらためておススメ作品を紹介したいと思います。
初めて読む人におススメのイシグロ作品は、
なんといっても『わたしを離さないで』土屋政雄・訳(ハヤカワepi文庫)でしょう。
この作品は以前、文化放送の広報誌『fukumimi』でも取り上げたことがありますが、
まだ発売されたばかりだったし、とにかく少しでもネタバレを避けなくてはと、
ストーリーを紹介するのにとても苦労した記憶があります。
あれからテレビドラマ化もされるなど、ずいぶんメジャーな作品になりましたので、
当時よりは多少ネタバレをしても許されるでしょう。
この小説は、他人に臓器を提供するための
クローン人間として生まれた若者たちの物語です。
物語の語り手はキャシー・Hという女性。
彼女は介護人として「提供者」と呼ばれる人々の世話をしています。
優秀な介護人として働きながら、彼女は自らが育ったヘールシャムという
全寮制の施設のことを思い出しています。
寄宿生活を送りながら友情を育んだルースやトミーといった友人たち。
自分と同じ「提供者」の境遇にある彼らとのかけがえのない思い出。
ここで描かれるのは、未来がないことがあらかじめ運命付けられた人生。
未来に希望が見出せない子どもたちの物語です。
読後感はとても苦く、物悲しいものがあります。
発表当時もかなりのインパクトがあった作品ですが、
むしろこれだけ格差が拡大し、貧困家庭も増えている現在ほうが
この作品が読まれる意味があるかもしれません。
カズオ・イシグロ作品の大きな特色は、「日常の中で感じるふとした哀しみ」を描いていること。
日本語には「もののあわれ」というまさにぴったりの言葉がありますが、
こうした日常の中で心に浮かぶ繊細な感覚を掬い上げるのが非常に上手い作家です。
「もののあわれ」などというと、日本文化に特有の感性のように思えますが、
たとえばポルトガル語にはSaudade(サウダージ)という言葉があります。
以前、紹介した『翻訳できない世界の言葉』では、
「心の中になんとなくずっと持ち続けている、存在しないものへの渇望や、
または、愛し失った人やものへの郷愁」と訳されていますが、
カズオ・イシグロ作品がこれだけ広く読まれていることを考えると、
「もののあわれ」的な感性は世界中の人が共感できるものなのでしょうね。
子どもの頃、「わたしを離さないで」という曲が気に入っていたキャシーが、
後年その曲が入っていたカセットテープと再会する場面があります。
その場面の切なさといったらありません。
理不尽な人生を強いられた人間の存在意義はどこにあるか。
そんな難しいテーマを、これほどまでの美しく悲しい物語の中で描き出した
カズオ・イシグロは、やはり現代を代表する超一流の作家なのです。
投稿者 yomehon : 2017年10月30日 05:00