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2017年07月06日

第157回 直木賞直前予想(1) 『敵の名は、宮本武蔵』


では候補作を順にみていきましょう。

まずは木下昌輝さんの『敵の名は、宮本武蔵』 (KADOKAWA)です。

木下さんといえば、デビュー作『宇喜多の捨て嫁』(文春文庫)
いきなり第152回直木賞の候補作に選ばれたのが記憶に新しいところ。

この作品は直木賞こそ逃しましたが、
第2回高校生直木賞や第9回船橋聖一文学賞といった
複数の賞を受賞するなど、高い評価を受けました。
デビュー作で即、要注目作家になった並々ならぬ実力の持ち主です。

この『宇喜多の捨て嫁』の何が凄いって、
肉親を平気で裏切るなど戦国時代屈指の謀略家として知られた宇喜多直家を、
巷間伝えられている悪評とはまったくかけ離れた人物として描いてみせたことでしょう。

血の匂いふんぷんたるダーク・ヒーローが、
作者の筆によって浄化されていく様はまさに圧巻でした。


そんな実力派が剣豪・宮本武蔵を描くというのですから、面白くないわけがありません。

ただ、宮本武蔵は、信長や利休のように時代小説では手垢にまみれた題材であることも事実。
吉川英治から井上雄彦まで、これまで多くの作家によって描かれてきた武蔵像とどう差別化するのか、
興味津々で手に取りました。


ここで作者がとった手法は、武蔵その人を正面から描かないことでした。
武蔵に敗れた人物を描くことで、彼らの目に映った武蔵像を浮かび上がらせようとしたのです。

このたくらみは見事に成功しています。
敗者の目に映る武蔵は、これまで我々がみたことのない新しい宮本武蔵像です。


本書を読みながら思い出したのが、長谷川穂積さんのことでした。

長谷川さんは、バンタム級、フェザー級、スーパーバンタム級の3階級を制覇し、
昨年世界王者のまま現役を引退したボクシング界のレジェンドです。

以前、テレビ番組で彼が、敗者について語っていたことがとても印象的だったのです。

長谷川さんが語っていたのは、「自分が負かした相手のために戦う」ということでした。

もし自分が無様な負け方を喫してしまうと、
自分が負かした相手も「あんな弱い奴に負けたのか」と言われてしまう。
だから恥ずかしくない戦いをしたい。自分は敗者の人生も背負って戦っているのだ……。

長谷川穂積さんは大略、そんなことを述べていました。

本書で描かれる宮本武蔵は、まさにこの偉大な世界チャンピオンの言葉と重なります。

生死をかけて剣を交えた相手の最期はさまざまです。
ある者は武蔵によって死に場所を見つけ、またある者は武蔵に遺志を託して逝きます。
なかには生涯剣を手にすることが出来なくなり、別の道を見出す者もいる。

そうした者たちについて、武蔵自身が直接なにかを語ることはありませんが、
彼らの人生も背負って武蔵が歩き続けていることは、十二分に伝わってきます。
このあたりの作者の描き方は、あいかわらず上手い。

上手いといえば、武蔵の父親の宮本無二の描き方は、
『宇喜多の捨て嫁』における宇喜多直家の描き方を彷彿とさせます。

戦国最低の梟雄の呼び声も高い宇喜多直家を
純粋な魂の持ち主として描いてみせて読者をあっと言わせたように、
血も涙もない凶暴で粗野な宮本無二も、
読んでいるうちにまったく違った人物に見えてくるから驚きます。

この筆力は、もはや安定の域。
作者には怒られてしまうかもしれませんが、
野球にたとえるなら、7割ぐらいの力で剛速球を投げているような感じがするんですよね。

宮本武蔵は有名な人物ですし、佐々木小次郎はもちろん、
クサリ鎌のシシドだとか、吉岡憲法だとかの登場人物もよく知られています。

そのような読者とある程度共有できている知識をベースに書いているところが、
7割ぐらいの力に見えるところなのかもしれません。


宇喜多直家などはそれほど一般に知られた人物ではありませんから、
やはりデビュー作のほうが本作よりも、もっと全力投球している感じはありました。

本作は、安定銘柄です。
ただし、安定していればそれで良しかと言えば、そうでもないわけです。

すいすいと安定したピッチングをしている投手に対して、
「もっと全力投球したら、いったいどんなピッチングをするんだろう」と思ってしまうような、
そんな一読者としてのワガママな思いも抱いてしまうのでした。

投稿者 yomehon : 2017年07月06日 00:00