« 第157回 直木賞直前予想(4) 『あとは野となれ大和撫子』 | メイン | 第157回直木賞直前予想 受賞作は(たぶん)これ! »

2017年07月14日

第157回 直木賞直前予想(5) 『BUTTER』 


最後は、柚木麻子さんの『BUTTER』(新潮社)です。

木嶋佳苗死刑囚が引き起こしたとされる
首都圏連続不審死事件をモデルにしているということで、
刊行直後から大きな話題となっている一冊です。


週刊誌の記者をしている町田里佳は、
首都圏で起きた三件の殺人事件に関与した疑いで逮捕された
カジマナこと梶井真奈子の取材を進めていました。

被害者はいずれも40代から70代の独身男性で、
彼らは真剣に梶井との結婚を望みながら、
彼女に言われるがまま多額の金銭を渡していました。
三人とも自殺とも事故ともとれる死に方で物証はなかったものの、
直前まで彼女が傍にいたことが決め手となり、逮捕に至りました。

当初、取材の要請に応じることのなかったカジマナですが、
里佳が友人の伶子のアドバイスに従ってある一文を書いた手紙を送ったところ、
面会に応じると返事を寄越してきました。

里佳が記した一文。それは、「あなたが被害者の山科さんに作ったビーフシチューの
レシピがとても気になっています。一度、教えていただけないでしょうか」というものでした。

拘置所で初めて面会がかなったカジマナから、
里佳は「バター醤油ご飯を作りなさい」と告げられます。
カジマナはご丁寧にバターの銘柄も指定した上で、里佳がその味がわかるかどうか、
わかるような人間であればまた会ってもいい、ということを匂わせるのです。

里佳は言われた通りに、バター醤油ご飯をつくり、
その感想をもってカジマナに会いに行きます。

カジマナによって指定される食べ物を食べていくうちに、
次第に彼女が抱えていたものが里佳にも見えてくるようになります。
そして里佳自身も、徐々に変わり始めるのでした――。


柚木麻子さんは、女同士の人間関係を描くのが上手ですが、
今回も、梶井真奈子という闇の深い人物を中心に、
里佳、伶子それぞれが抱えた問題が巧みに炙り出されていきます。

そこからみえてくるこの小説のテーマは、
ひと言でいえば、「女はなぜ生き辛いのか」ということになるでしょうか。

それぞれの女性が抱えているものを炙り出すために、
柚木さんは登場人物がどんな女性なのか、
そのディティールを徹底して細かく描いているですが、これが舌を巻くほど上手い。

たとえば里佳が伶子の新婚家庭を訪れた時に、玲子が出すメニューが、

「こくのあるアンチョビソースとたっぷりの蒸した冬野菜のバーニャカウダ、
塩漬けした豚をゆでて薄く切ったもの、長ネギの豆乳グラタン、
土鍋で炊いた牡蠣の炊き込みご飯にお味噌汁」
「デザートは手作りだという栗の渋皮煮と、甘酒と米粉のシフォンケーキ、しょうがの効いたチャイ」

なのです。これだけでもう、伶子がどういう人物かが伝わってきます。
オシャレでセンスのいい女性、ただしかなりの「意識高い系」であるということが。

対する伶子の夫の亮介は、人の好いスポーツマンだけれど、
食卓の話題がカジマナに及んだときに、
無邪気にカジマナの容姿を「デブ」と表現して、伶子がほんのわずかに眉をひそめたりする。

読者はキャリアを断念して専業主婦になった伶子のほうが、
明らかに亮太よりも知的であることに気づかされる。
また男が無意識に女性の容姿をあげつらうことが、いかに女性を不快にさせるかも。

この作品はこういう細かい、繊細な感覚というものがひとつの鍵になっています。

カジマナが食べろと言った「バター醤油ご飯」にしても、
エシレバターとカルピスバターの違いが事細かに語られたりする。

作者は、女性が抱く世間や男たちへの違和感を丁寧に掬い上げ、言語化していきます。
その積み重ねの結果、本書はまさに高級なバターのような濃厚な読み口に仕上がっている。

でも、バターに引っ掛けて決してふざけて言うわけではないのですが、ちょっとくどい。
この執拗で、細かい描写の連続は、読むのに覚悟がいります。

もう少し作品を刈り込んでも良かったのでは?と思いました。


それともうひとつ。
作品本来の価値とはなんら関係のないことではありますが、
やはりモデル小説って難しいですね。

すでに木嶋死刑囚本人がブログであれこれ本書を批判しております。

昔、取材の一環で、彼女が逮捕前に書いていたブログを一気読みしたことがあります。
その時の印象をもとにいえば、彼女は自分に注目が集まれば集まるほど嬉しいはずです。

確定死刑囚ですので、自由に情報発信はできないとはいえ、
近況を伝える最新のブログのエントリーでも、さりげなく直木賞の選考会に触れている。
これが受賞ともなれば、きっとこれまで以上にテンションが上がるんだろうなーと思うわけです。

木嶋佳苗死刑囚のブログを読んだときにどうにも「いたたまれなさ」を感じてしまうのは、
フェイスブックやインスタなどで、リア充ぶりをアピールせずにはおれない我々自身のイタさを
眼前に突きつけられたような気がするからだと思うのです。

つまり「木嶋佳苗的なるもの」は、我々自身の中にもある、というわけで。
だからこそ、本書が受賞して彼女がまたブログではしゃぎ……という流れを考えると、
なんだかなぁと思ってしまうのであります。

この作品は、木嶋佳苗事件に材をとっているとはいえ、
「梶井真奈子」というキャラクターは作者のオリジナルです。
ですので、メディアは本書が受賞したとしても、
あまりモデルのことだけをいたずらにクローズアップしないでほしいと思います。

それは作者が伝えたかったこととはほとんど関係のないことであるばかりか、
そうした騒ぎこそ木嶋佳苗死刑囚が望んでいることだと思うからです。

まあこれは作品の評価とはまったく別の話、余談もいいとこでした。

投稿者 yomehon : 2017年07月14日 07:00