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2017年01月23日

『蜜蜂と遠雷』 音楽の奇跡をみせてくれる一冊


第156回直木賞は恩田陸さんの 『蜜蜂と遠雷』に決まりました。
候補6回目での受賞、本当におめでとうございます。

直木賞は間が悪いことでも知られていて、
過去何回も候補になった人などに、
「えっ!?この作品で?」というタイミングであげちゃうことも多いんですが、
今回の 『蜜蜂と遠雷』は、これまでの恩田さんの作品の中でも最高傑作ですから、
長年の読者としても、まさに待ったかいがある慶事となりました。


あらためてこの素晴らしい作品について紹介させてください。

舞台となるのは、3年にいちど開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。
これは実在する浜松国際ピアノコンクールがモデルになっています。

「ここを制した者はやがて世界最高峰のS国際ピアノコンクールでも優勝する」という
ジンクスもあり、近年は世界の音楽関係者から若手の登竜門として注目されています。
この芳ヶ江に、各国のオーディションで選ばれた精鋭たちが集いしのぎを削る、
その約2週間にわたるドラマを描いたのがこの小説です。

物語はパリのオーディションから始まります。

風間塵という16歳の少年が彗星のごとく現れ、審査員の度肝を抜く演奏をみせます。
彼はまったくの無名であるにもかかわらず、ユウジ・フォン・ホフマンという
いまは亡き伝説のピアニストの推薦状を持っていました。
世界中の音楽家がリスペクトするホフマンは、
弟子をとらないことで有名だったにもかかわらず、風間塵にだけは推薦状を書いた。
これだけでも事件です。
しかもホフマンの推薦状には、次のような謎めいた言葉が書かれていました。


「皆さんにカザマ・ジンをお贈りする。文字通り、彼は『ギフト』である。
恐らくは、天から我々への。だが、勘違いしてはいけない。
試されているのは彼ではなく、私であり、皆さんなのだ。
彼を『体験』すればお分かりになるだろうが、彼は決して甘い恩寵などではない。
彼は劇薬なのだ。中には彼を嫌悪し、憎悪し、拒絶する者もいるだろう。
しかし、それもまた彼の真実であり、彼を『体験』する者の中にある真実なのだ。
彼を本物の『ギフト』とするか、それとも『災厄』にしてしまうのかは、
皆さん、いや、我々にかかっている」


審査員に恐怖心すら抱かせるほどの途方もない才能を持つ風間塵は、
驚くべきことに、養蜂家の父親とともに各地を転々としながら暮らしていて、
正規の音楽教育を受けたことがありませんでした。
しかもそんな少年のもとに、あのホフマンがわざわが出かけていき
稽古をつけていたことまでわかって、審査員たちはますます混乱します。

この推薦状にあった言葉、風間塵が「ギフト」であるとはどういう意味か。
これが、本書を貫くひとつの大きなテーマになっています。

既存の音楽界を破壊する爆弾みたいな意味かと思いきやそうではありません。
この「ギフト」には、もっとスケールの大きな意味が込められているんです。

読者は物語の終盤に、深い感動とともにその意味するところを知ることになります。
そこはぜひ本書でお読みいただきたいのですが、
ここでは「才能を覚醒させることができるのは優れた才能だけ」とだけ言っておきましょう。

さて、となれば必要となるのが、ライバルの存在です。
芳ヶ江には風間塵のほかにも、天才たちが集まっていました。

かつて天才少女として国内外のコンクールを制したにもかかわらず、
母親の突然の死以来、ピアノが遠ざかっていた20歳の元天才少女・栄伝亜夜。

完璧なテクニックとカリスマ性を兼ね備え、未来のスターの地位が約束された
名門ジュリアード音楽院の天才、マサル・C・レヴィ・アナトール19歳。

楽器店に勤めながら音楽家の夢をあきらめられずにいる
28歳の妻子持ち、高島明石。

彼らコンテスタントが芳ヶ江の地に集い、ドラマティックな2週間が幕を開けるのです。


本書を開くとまず目に留まるのは、
それぞれの登場人物が弾く曲目が冒頭に掲げられていること。
第一次~三次の予選と本選の課題曲です。

コンクールの描写のほとんどが、これらの曲の演奏シーンになるわけですが、
この小説の凄いところは、そのすべてのシーンを作者が「書き分けている」ことです。

これは大変なことです。
たとえば、一次予選の課題曲バッハの
「平均律クラヴィーア曲集第一巻第一番ハ長調」であるならば、
4人の演奏をすべて違う書き方で表現してみせるのですから。

それだけではありません。
それぞれの演奏シーンをまったく違った表現法で書き分けた上に、
「読者の頭の中にその音楽を響かせる」という離れ業をやってのけるのです!

この小説が傑作であるゆえんはここにあります。
この作品は、文章から本当に「音楽が聴こえてくる」のです!!

これまでいろんな小説を読んできましたが、
こんな読書体験は生まれて初めてです。

彼らの演奏シーンを文字で追いながら、
ぼくの頭の中ではいつも最高の音楽が鳴っていました。
彼らの演奏になんども鳥肌が立ち、時には目頭が熱くなったりもしました。

もちろんその音はぼくにしか聴こえないもの。
でも、たしかにぼくの中では美しい音楽が鳴り響いています。
これを神業といわず、なんと言えばいいでしょう。

本書の書評の中には、
「ドラマ化すればヒット間違いなし」というようなことが
書かれたものもありましたが、とんでもない!
これ、映像化したら間違いなく興ざめです。
だって本を読んだ読者の頭の中では、
もうすでに最高の音が鳴っているんですから。
それ以上の演奏を、映像で表現できるとは思えません。


ある時は、演奏者の人生のいちページを回想しながら、
またある時は、波乱万丈の物語になぞえらえながら――。

作者はあらゆるテクニックを惜しげもなく注ぎ込んで、
それぞれのコンテスタントの演奏シーンを書き分けて行きます。
同じ曲目なのにもかかわらず、
演奏者ごとにまったく違う音が読者の頭の中で鳴るというこの奇跡。

本書を読むのにクラシック音楽の知識は必要ないのでご安心を。
ぼくも知っている曲のほうが少なかったけれど、まったく支障はありませんでした。
曲を知らなくても頭の中で音が鳴るからこそ、この小説は凄いのですから。

そんな素晴らしい演奏の果てにこの小説がみせてくれるのは、音楽の秘密。
次の一節に、作者のメッセージが凝縮されているように思います。


「本当に、音楽とは不思議なものだ――改めて、彼はそのことを思う。
演奏するのは、そこにいる小さな個人であり、
指先から生まれるのは刹那刹那に消えていく音符である。
だが、同時にそこにあるのは永遠とほぼ同義のもの。
限られた生を授かった動物が、永遠を生み出すことの驚異。
音楽という、その場限りで儚い一過性のものを通して、
我々は永遠に触れているのだと思わずにはいられない。
そう思わせてくれるのは、本物の演奏家だけであり、
今目の前にいるのは紛れもない本物の演奏家なのだ」(416ページ)


本書を読み終えたときに感じるのは、
素晴らしい音楽にどっぷりと身を浸した心地よい疲れと、
身体の奥底にいつまでも残る深い感動の余韻です。

めったに本を読まないという人、
小説はずいぶんご無沙汰という人、
そんな人にこそぜひこの小説を手にとってほしいと思います。

音楽に負けないくらい、小説も素晴らしいものだと知ってほしいから。

投稿者 yomehon : 2017年01月23日 00:00