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2016年12月05日
『この世界の片隅に』 戦時下の日常を描いた傑作
もうご覧になった方も多いと思いますが、
映画『この世界の片隅に』が大ブレイクしていますね。
ぼくが観たのは公開から6日目のテアトル新宿でしたが、
その時点でも既に客席は完売御礼状態で、立ち見客も入れていました。
それにしてもこの作品を取り巻く熱気は凄い。
もちろん当初は上映館が少なくなかなか観ることができなかったせいもあるでしょうが、
やはりこれは作品の持つ力と言うべきでしょう。
「あの作品は今年いちばんの傑作」という情報がSNSでどんどん拡散して、
劇場に人が押し寄せた結果だと思います。
ご存じない方のために簡単に説明しておくと、
『この世界の片隅に』は、
こうの史代さんの同名漫画『この世界の片隅に』(双葉社刊・全3巻)。を原作にしたアニメ作品です。
こうのさんは広島市出身の漫画家で、
原爆投下以後の庶民の人生を3世代にわたって描いた傑作
『夕凪の街 桜の国』で高い評価を受けました。
いまわかりやすく漫画家と書きましたが、
個人的にはこうのさんのことを絵師と呼びたい気もします。
特に東日本大震災を受けて描かれた『日の鳥』シリーズなどは
こうのさんの絵師としての実力を存分に感じ取れる作品で、
スクリーントーンを使わず、描線の一本一本を
カリコリとペンで描き込んでいるところなんてまさに絵師という言葉がぴったりです。
さて、映画のほうに話を戻すと、
物語は「8年12月」からはじまります。
もちろん時代は昭和。舞台は広島です。
ちなみに原作では9年1月から物語が始まるのですが、
おそらく監督はあの時代の歳末の風景が描きたかったんでしょうね。
「もろびとこぞりて」が流れ、サンタクロースに扮した売り子がいて。
そんな昭和モダニズムの平和な町の光景から物語は幕を開けます。
主人公は、浦野すず。
兄と妹に挟まれ、絵を描くのが得意な、のんびりやの女の子です。
時代は、すずの成長を追いながら飛び飛びで進んでいくのですが、
(「8年12月」の次は「10年8月」というように)
もちろんぼくたちはこの数字がやがてどこに行き着くかを知っています。
破滅への予感を孕みながら、ひとりの女の子のみずみずしい日常が描かれていく。
「日常」――。
これこそが、この作品を読み解く上でのもっとも重要なキーワードです。
戦争が悲惨なものであることは論を俟ちませんが、
意外とぼくたちの認識から抜け落ちているのが、
戦時下にも庶民の日常生活があった、ということです。
たとえば斎藤美奈子さんの『戦下のレシピ』
などが教えてくれるように、、
戦時中にも婦人雑誌がちゃんと刊行されており、
そこには配給食などを利用したレシピが掲載されていました。
戦後しばらくのあいだは、軍国主義への反発もあって、
当時の日本を糾弾するかのような作品が数多くつくられましたが、
戦時下にあっても、庶民の生活は暗くて悲惨なだけではなかったということが、
この映画ではとても丁寧に描かれているのです。
もちろんだからといって
この映画があの時代を肯定しているわけではありません。
むしろ強い反戦のメッセージが読み取れます。
あの時代にも人びとの日常はあった。
でも戦争は、そんな日常の中にいつの間にか忍び込んでくる。
気がついたときには、
人びとの日常はかつてのようなものではなくなってしまっている。
映画ではそのプロセスが淡々としたトーンで描かれていきます。
けっして声高ではないけれど、
そこからははっきりと反戦のメッセージが読み取れる。
絶対的な正義の立場からあの時代を告発調で描いた作品などよりも、
よほどこちらのほうが製作者の誠実なスタンスを感じます。
物語に話を戻しましょう。
昭和19年にすずは18歳で呉に嫁ぎます。
嫁ぎ先でのちょっとした失敗や笑いが丁寧に描かれることによって、
ますます日常と戦争とのコントラストがくっきりと浮かび上がります。
呉は軍港ですから、連日激しい空襲に見舞われます。
この作品を監督した片渕須直さんは、
宮崎駿さんのもと『魔女の宅急便』で演出補を務めるなどして、
『マイマイ新子と千年の魔法』で注目された監督ですが、
空襲のシーンなどを観ていて思い出したのが、
彼がシリーズ構成と脚本、監督を手がけたアニメ『BLACK LAGOON』です。
『BLACK LAGOON』は、
商社マンから海賊の仲間になった日本人が主人公で、
毎度毎度の激しい銃撃戦がウリの海洋バイオレンスものでした。
この娯楽に徹した作品の中で存分に披露されているように、
銃器や兵器について抜群の知識を持つ監督だけあって、
『この世界の片隅に』でも米軍による攻撃の細部がとてもリアルに描かれます。
(たとえば砲弾の破片が畑に次々と刺さるシーンのシズル感を見よ)
作中、すずの身の上に起きる極めて重要な出来事なので
あまり詳しくは明かせないのですが、
ぼくが感心したのは、不発弾の描き方です。
あるところで不発弾が爆発するのですが、
原作での描かれ方よりも、より爆破理論に沿った描き方に変更されていて
さすがだと思いました。
こうした片渕監督の細部への目配りが、
作品を研ぎ澄ましたものにしていることも見逃してはなりません。
戦況が悪化するにつれて、すずの日常も戦争に侵食されていきます。
それにつれて、スクリーンを観るぼくたちの切なさも強まって行く。
彼らをどんなに過酷な運命が待ち受けているかをぼくらは知っているからです。
そしてあの日――。
昭和20年の8月6日がやってくるのです。
この日の描き方は、
映画と原作とで違いますので、ぜひ観比べてみてください。
爆風によって死んでしまった母親にすがりつく女の子が出てきます。
この涙なしでは観ることの出来ない一連のシーンを、
ぜひ原作と映画とで観比べて欲しい。
どちらが優れているというのではなく、
映画と漫画、どちらの描き方にも胸を揺さぶられるはずです。
最後に原作者のこうの史代さんが好きな言葉を紹介しておきましょう。
こうのさんは、
「私はいつも真の栄誉をかくし持つ人間を書きたいと思っている」
というジッドの言葉が好きなのだそうです。
あの戦争は多くの貴い命を奪い、人びとを深く傷つけたけれど、
あの時代には一方で、孤児をひきとって育てたり、
女手ひとつで必死に家族を養うような
「真の栄誉をかくし持つ人たち」がたくさんいました。
彼らの犠牲と努力があったからこそ、
いまぼくたちは平和に暮らすことができているわけですが、
そのことに思い至るとき、ぼくはふと不安に駆られるのです。
「ぼくたちの日常は確かなものだろうか。
気がつかないうちに、何か不穏なものが忍び寄っていないだろうか」と。
この作品は、
特定のイデオロギーに拠ることなく、
庶民の目の高さで、真っ直ぐにあの戦争を見つめた傑作です。
この作品のまなざしからぼくらが学べることはとても多い。
映画も原作も、ぜひたくさんの人に観てもらえることを願ってやみません。
投稿者 yomehon : 2016年12月05日 03:00