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2016年10月25日
『煽動者』 群集を操る知能犯vsキャサリン・ダンス
朝晩に少し肌寒さを感じるようになると、
それがJDことジェフリー・ディーヴァーの新刊が出る合図。
今年もそろそろかなと書店に行くと、やっぱり並んでいました。
おそるべしJDの法則。
さて、今回の新刊は『煽動者』池田真紀子訳(文藝春秋) 。
キャサリン・ダンスが主人公のシリーズ4作目です。
カリフォルニア州捜査局の捜査官キャサリン・ダンスは、
ボディランゲージを手がかりに相手の嘘を見抜くキネシクスという技術のエキスパート。
尋問の達人で、「人間嘘発見器」の異名を持ちます。
ところが今回は、事情聴取の末に彼女が「無実」と太鼓判を押した男が逃走、
実は麻薬組織の殺し屋だったことが判明します。
麻薬組織を壊滅させる糸口となる重要人物を取り逃がしたミスにより、
ダンスは捜査チームから外された上に拳銃も取り上げられ、
民事トラブルを担当する部署に異動させられます。
そこで担当することになったのが、
ライブハウスで観客が将棋倒しになり、多数の死傷者が出た事件なのですが、
調査するうちにいくつかの不可解な点が浮かび上がります。
観客はライブ会場の外で焚かれた炎の煙を火事だと誤認したこと。
非常口のドアがトラックに塞がれていたこと……。
キャサリン・ダンスは、観客のパニックは
何者かが意図的に仕組んだのではないかと疑います。
群集心理を自在に操る知能犯との知恵比べが始まります。
そして思いもよらない場所で起きる第二の犯行。
そしてその一方で進行する麻薬組織の殺し屋をめぐる捜査。
凶悪な犯罪者たちとの戦いにダンスは丸腰で臨むのでした……。
ジェフリー・ディーヴァーはその時々の社会問題や最新のテクノロジーなどを
いちはやく作品に取り入れることで知られています。
しかも、ドローンやビッグデータ、スマートグリッドといったトピックスを、
作品を今ふうに飾り立てるための単なる意匠として取り入れるのではなく、
それらを大胆に謎解きの核心にも使うのです。
今回、JDが描こうとしたものは何か。
それは、人びとが漠然と抱いている恐怖や不安です。
いまや私たちは、テロのニュースが報じられても
かつてのように腰を抜かすほどの衝撃をおぼえるようなことはなくなりました。
「またテロが起きたのか……」
その時胸底にあるのは、
またも悲劇が繰り返されてしまったという暗鬱な気分。
そして自分の無力さに対するやるせない思い。
残念なことではありますが、
私たちはそれほどまでにテロが日常化した世界に暮らしています。
テロが日常化するということは、
いつ私たちがテロに巻き込まれてもおかしくないということでもあります。
私たちはテロのニュースに見慣れた印象を持つ一方で、
自分たちも被害者になり得るかもしれない恐怖心を
恒常的に抱え込むことになったのです。
たとえば、人混みのなかで爆発音のような音が聞え、
誰かが「テロだ!!」と叫ぶ声を聞いたとしたら、あなたはどう思うでしょうか。
「あぁやっぱり」「ついに起きたか」
恐怖で心拍数が一挙に跳ね上がる一方で、
おそらくそんな思いも頭をよぎるのではないでしょうか。
JDはそんな「時代の気分」を描こうとしました。
そして見事に成功しています。
群集の中でいったんパニックが起きるともう誰にも止められません。
根拠のないデマに基づいたメールやツイッターの投稿が瞬く間に拡散し、
ネットメディアやテレビなどがその拡散に加担するという負の連鎖反応が起きます。
「大勢の人の集まりには見えなかった。大きな一つの生き物のようなものが
身をよじらせながら非常口に向かっていた……」
私たちひとりひとりの輪郭は、
パニックに陥った群集の中ではいとも容易く溶解し、
その結果、暴力的な本能を剥き出しにした恐ろしい生き物が姿を現します。
現代社会が抱え込んでいる弱点のひとつを
鮮やかに描き出した作品といえるでしょう。
もちろん本書からシリーズを読み始めたという人もじゅうぶんに楽しめますが、
もしあなたが過去の作品も読んでいるというのなら、
本作ではこれまで以上にキャサリン・ダンスのプライベートが描かれていますので、
そちらも読みどころのひとつになっています。
ふたりの子どもを育てるシングルマザーでもある彼女。
今回は子どもたちの行動にも翻弄されます。
「人間嘘発見器」と呼ばれるほどの尋問の達人であっても、
子育ての前ではひとりの無力な母親に過ぎません。
そうしたダンスの悩めるワーキング・マザーぶりがしっかり描かれていることも
本作の大きな魅力といえるでしょう。
投稿者 yomehon : 2016年10月25日 03:00