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2016年09月08日

『プライベートバンカー』 お金持ちは幸せか!?

くじ運には恵まれないにもかかわらず、
いつもジャンボ宝くじだけは買うようにしています。

もちろん1等なんて当たりっこありません。
数学的な思考について楽しく学べるタテノカズヒロ著、
『コサインなんて人生に関係ないと思った人のための数学のはなし』を参考に、
宝くじで1等が当たる確率をわかりやすく説明すると、こういうことになるようです。

たとえばあなたが誰かの携帯に電話をするとしましょう。
相手は昔のバイト仲間かなにか。とにかく何年ぶりかに電話する人物です。
ひさしぶりなので「090-2……」までしか番号を思い出せません。

宝くじの1等が当たる確率というのは、
ここで残りの番号を当てずっぽうに押したにもかかわらず、
1発で相手につながる確率と等しいのだそうです。(1000万分の1の確率)

ね?いかに宝くじで1等が当たるのが難しいかわかるでしょう。

にもかかわらず、なぜ宝くじを買い続けるのかといえば、それは妄想をするためです。

大金持ちになったあかつきには、いったいどんなコトをしてやろうか。

まず会社に辞表を叩きつけ、ヨメには1億ぐらいポンと手切れ金を渡して旅に出るな。
まずヨーロッパあたりをのんびりとまわろう。
気に入った街があったらそこで暮らしてみたりしながら、
定まった旅程のない気ままな旅を続けるのはどうだろう。

いや、いっそ日本にとどまって、住んでみたかった土地に家を建てるのもいいな。
いちど頼んでみたかった建築家が5人はいるから、
北海道から沖縄まで5箇所に土地を購入して5棟の家を建てるのはどうだろう。
その年の優れた建築作品のベスト5を自分の家が独占しちゃったりして。
それでもし『Casa BRUTUS』が特集を組みたいなんて言ってきたらどうしよう。

……などと、あれこれ妄想してはひとり悦に入るわけです。
ちなみに宝くじは発売初日に購入するのがマスト。
それだけ長い間、妄想タイムを楽しめるからです。
宝くじはいわばひとときの夢をみるためのチケットみたいなものかもしれません。


なってみたことがないがゆえに
なかなか想像の域を出ることがないのが、「お金持ちの生活」です。
実際に彼らはどんなことを考え、どんなふうに暮らしているのでしょうか。

その一端を明らかにしてくれるのが、清武英利さんの
『プライベートバンカー カネ守りと新富裕層』(講談社)

清武さんはすぐれたノンフィクション作品をいくつもお書きになっている方で、
当コラムでも以前、経営破たんした山一證券に残って最後まで撤退戦を戦い抜いた
12人を描いた傑作『しんがり 山一證券最後の12人』をご紹介したことがあります。
こちらからどうぞ

そんな優秀なノンフィクション作家が目をつけたのが、
お金持ちの「資産フライト」や租税回避を手助けする
プライベートバンカーの世界というのが面白い。
おりしも「パナマ文書」の公開によって、富裕層の資産の実態に
世間の注目が集まっているタイミングで、実にタイムリーな出版です。

本書によれば、プライベートバンカーが相手にするのは、
1億円以上の金融資産を持つお金持ちのみ。
1億円~5億円未満の資産を持つ者が富裕層で、
5億円以上の資産を持つ者は超富裕層と呼ばれます。
ここで言う資産は、不動産などを含まない金融資産のみの金額。
要するに「本当に手元にお金を持っている人々」です。

そんなスーパーリッチの中で本書がフォーカスするのが新富裕層と呼ばれる人々。
一代で財を成した不動産業者やパチンコ業者、IT長者などが典型で、
何代にもわたって資産を受け継いできた「オールドマネー」の人々と区別して、
「ニューマネー」とも呼ばれます。

何代にもわたるお金持ちに比べ、機を見るに敏、
フットワークも軽い彼らがいま注目しているのが、シンガポールなのだそうです。

天然資源のない都市国家であるがゆえに、
政府が外国人富裕層や外国企業の誘致に積極的で、
そのために相続税や贈与税などを廃止するなどの政策をとるシンガポールは、
治安が日本より良いうえに、永住権も事実上カネで買うことができる。
そして日本の税法のある抜け穴(通称「5年ルール」)を利用すれば、
子どもや孫に資産を目減りさせずに残せる可能性が高い、ということで、
多くの日本人新富裕層が彼の地へと居を移しているというのです。

本書は、野村證券を辞めてBank of Singapore(シンガポール銀行)へと転職した
杉山智一さんという実在のプライベートバンカーを主人公に、
新富裕層と彼らの資産を守るプライベートバンクの実態を浮かび上がらせます。

杉山氏が遭遇する驚くべき出来事の数々は本書の読みどころですので、
ぜひ本をお読みいただくとして、ここでは、
本書で知った意外なお金持ちの姿についてのみ触れておくことにしましょう。

この本を読んでとっても意外だったこと。
それは本章に登場するお金持ちたちが、全然ハッピーにみえないことです。

もともと税金逃れのための移住で、
シンガポールが好きで来たわけではないため、
しばらくすると「退屈で死にそう」「日本に帰りたい」と奥さんが言い出し、
一家で揉め始めるのがパターンだそう。
あげくのはてに離婚。中には自殺騒ぎを起こした人もいるそうです。

日本の税法では、被相続人(親)と相続人(子)が、
ともに5年を超えて日本の非居住者であるときは、
日本国内の財産にしか課税されません。(通称「5年ルール」)
だから彼らは、縁もゆかりもないシンガポールに渡って、
5年間をやり過ごそうとするのですが、
そんな彼らを待ち受けているのが「退屈」の二文字なわけです。
(本書にはあの村上ファンドで世間を騒がせた村上世彰氏の名前も出てきます。
現地の日本人たちがつけた彼のあだ名は「淋しいボス」だそう)

ただ国税当局も手をこまねいているわけではありません。

2012年度の税制改正に盛り込まれた「国外財産調書制度」では、
海外に5千万円を超す資産を持つ国民に対して、確定申告の際にその内訳明細書を
提出するよう義務付けました。
また2015年度の税制改正では、富裕層の海外資産を把握するために、
個人や法人が海外に持つ金融口座の情報を国家間で交換し合う
「自動的情報交換制度」を導入した他、「国外転出時課税制度(通称・出国税)」を
創設し、海外への税逃れに対抗しようとしています。
もちろん2016年1月から運用が始まったマイナンバーを銀行口座と
連動させることも検討されています。

持てる者と持たざる者との格差が、
今後ますます拡大すると言われる中、
富裕層がどんなことを考え、
どのような方法でカネを守ろうとしているかを知ることには意義があります。


これまでの清武作品を読んできて思うのは、
彼はいつも「グッドルーザー」(良き敗者)の姿を描こうとしているということ。

本作における「グッドルーザー」は誰か、ぜひ本を読んで確かめてください。

それにしてもこの本を読むと、
幸せとは何かについて思いを馳せないわけにはいきません。

桁外れの資産を手にした人生は果たして幸せなのか。

仕事のやりがいとは何か。

人生における勝ち負けとは何か―ー。

この本に登場するお金持ちをみて、
あなたが胸に抱くのは、
羨望の念でしょうか、それとも憐れみでしょうか……。

投稿者 yomehon : 2016年09月08日 18:00