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2016年07月14日

直木賞直前予想その(4) 『暗幕のゲルニカ』

続いては原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』 (新潮社)

原田さんは、ベストセラーとなった『楽園のカンヴァス』以降、
美術ミステリーという新ジャンルを切り拓きつつある期待の作家です。

『楽園のカンヴァス』ではアンリ・ルソーの幻の絵をテーマにした作者が
本作で取り上げるのは、もちろん書名にもあるようにピカソの傑作『ゲルニカ』です。


1937年4月26日、ナチス空軍によって
スペインのバスク地方最古の町として知られるゲルニカが爆撃されました。

町が廃墟と化すほどの凄まじい爆撃は、
人類史上初めての無差別空爆であるとも
初めて焼夷弾が使用された空爆であるとも言われています。
(空からの無差別攻撃の歴史については、
前田哲男さんの『戦略爆撃の思想」』が多くのことを教えてくれます)


このゲルニカ爆撃に大きなショックを受けたのがピカソでした。

フランコ軍との内戦のさなかにある共和国政府からの依頼を受け、
ピカソは5月に開幕するパリ万博のスペイン館に展示する絵画を制作することになっていました。

ピカソはゲルニカの悪夢を世界に伝えるために絵を描き始めます。

この傑作が生まれるまでのドラマを、
ピカソの愛人で、傑作「泣く女」などのモデルにもなった写真家
ドラ・マールの視点で描いたパートが、物語のひとつの柱になります。
(ドラはゲルニカの貴重な制作過程をすべて写真におさめたことで歴史に名を遺しました)


そしてもうひとつ、ピカソの物語のかたわら、
現代を舞台にした物語も並行して語られます。

こちらの主人公は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の絵画彫刻部門で
アジア人初のキュレーターとなった瑤子。

瑤子は9・11のテロで夫を喪います。

ゲルニカの空爆とニューヨークでの9・11テロ、
20世紀と21世紀の悲劇が物語のなかで対置され、
両者をピカソの『ゲルニカ』がつなぎます。

第二次大戦とイラク戦争。
並行していた物語は、
やがて『ゲルニカ』を軸に思いもよらないかたちで交差するのです。


国連本部のロビーには、「ゲルニカ」を精巧に模したタペストリーが飾られているのですが、
2003年2月、ここで当時のパウエル国務長官がイラクへの空爆を示唆する演説をした際、
このタペストリーが布で覆い隠されたことがありました。
この史実をもとに、作者は「暗幕のゲルニカ」という物語を生み出したのです。


意表を突く展開と巧みな構成でぐいぐいと読ませる手際はお見事。

また毎日のようにテロに巻き込まれて
犠牲になった人々の痛ましいニュースが伝えられているように、
テロは非常に今日的なテーマでもあります。

作中、「ゲルニカは誰のものか」という問いが繰り返されるのですが、
この問いは、読者の胸に重く響くはず。

まさにこんな時代だからこそ読まれるべき小説です。


ところで、読みながら気になって仕方なかったのが、
20世紀パートの登場人物がほぼ実在するのに対して、
21世紀パートでは、ブッシュ大統領やパウエル国務長官のような
誰もが知っている人物でさえ架空の名前に置き換えられていたこと。

9・11テロは現実の事件なのに、
ここだけ読みながら「なぜ?」と引っかかってしまいました。

ブッシュやパウエルまで架空の人物にするのには
なにか作者の意図があるのかもと思いましたが、最後までその理由はわからず。

もうひとつ、物語がやや唐突に終わる感があります。
ラストに至るまでが重厚なだけに、
この幕切れは選考委員のあいだで議論になるような気がしました。

投稿者 yomehon : 2016年07月14日 15:00