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2016年07月12日
直木賞直前予想その(2) 『海の見える理髪店』
続いては、荻原浩さんの『海の見える理髪店』(集英社)です。
この短編集をひとことで表現するなら、「普通の人の人生に起きる奇跡」でしょうか。
おすすめは「成人式」という一編。
5年前に一人娘を交通事故で亡くした夫婦の日常が描かれます。
ふたりとも娘を喪ったことが受け入れられず、
時間が止まってしまったような日々を送っています。
日航ジャンボ機墜落事故の遺族の心のケアにあたった
精神医学者の野田正彰さんに『喪の途上にて』という名著がありますが、
まさに愛娘を喪ったふたりも延々と続くかのような喪の途上にいます。
ある日、そこに成人式のダイレクトメールが届きます。
生きていれば娘は成人式を迎えていたのに……・。
業者は入手した個人情報をもとにDMを送っているだけなのでしょうが、
夫婦にとっては傷口からふたたび血が流れるかのような酷な仕打ちです。
ところが物語はここで意外な方向へと舵を切ります。
娘が出るはずだった成人式に夫婦で出席しようという話になるのです。
保護者としてではありません。
なんと新成人として参加しようというのです!
とはいえふたりともいい歳。
当然のことながら若づくりをしなければならず、
ここから夫婦の悪戦苦闘が始まります。
ここから先はぜひ本をお読みいただきたいのですが、
娘の代わりに夫婦で成人式に参加しようという突拍子もない思いつきが、
次第に喪の途上で足踏みをしている夫婦を変えていくんですね。
その「魂の再生」のプロセスはまさに奇跡としか呼べないような感動的なもので、
でも一方で中年夫婦の悪戦苦闘ぶりは可笑しくもあって、
泣いて笑って、読み終えたときにこんなにあたたかい気持ちになれる
作品というのもそうそうないなぁと思いました。
この他にも、
海辺の小さな町でひっそりと理髪店を営む店主の過去が明らかになる「海の見える理髪店」。
画家の母に反発して家を出た女性がひさしぶりに帰郷して目にしたものを描く「いつか来た道」。
赤ん坊を連れて実家に帰った若い母親に毎晩届く不思議なメールを描いた「遠くから来た手紙」。
両親が離婚して田舎に引っ越した少女の小さな冒険が楽しい「空はきょうもスカイ」。
父の形見を手に古い時計店を訪れた男が時計職人に聞かされた話を描く「時のない時計」といった
作品がおさめられています。
どの登場人物も、過去になんらかの過ちを犯していたり、
喪失を経験していたりという共通項を持っています。
そんな彼らの身の上にちょっとした奇跡が起きるというのが、この短編集の趣向です。
荻原浩さんは若年性アルツハイマーを描いた『明日の記憶』 (渡辺謙さん主演の映画を
ご覧になった方も多いでしょう)で山本周五郎賞を受賞するなど、
もともとストーリーテラーとしては定評のある方。
「大人が泣ける短編集」というのは、
直木賞が大好物なカテゴリーではありますが、
さて本作はどのように評価されるでしょうか。
投稿者 yomehon : 2016年07月12日 04:00