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2016年07月25日
『Forbes JAPAN』書評 第2回が公開されました
今回、『フォーブス ジャパン』の書評で取り上げたのは、
『丹下健三 戦後日本の構想者』です。
新しく東京のリーダーを選ぼうというタイミングでもありますので、
未来を構想するたぐいまれな能力の持ち主だった丹下健三から
ぼくたちが学べることは多いのではないかと考えました。
よろしければこちらからどうぞ!
投稿者 yomehon : 00:00
2016年07月20日
直木賞は『海の見える理髪店』に決定!
第155回直木賞は、
荻原浩さんの『海の見える理髪店』(集英社)が受賞しました。おめでとうございます!
先日のエントリーでもご紹介したとおり、
この短編集をひとことで表現すると、「普通の人の人生に起きる奇跡」ということになります。
オンエアでは、この短編集のなかから「成人式」のあらすじを紹介しながら作品の説明をしました。
スタジオの福井さんと水谷さんもウルッっとくる場面があったりしたものですから、
リスナーのみなさんにも印象に残った人が多かったみたいですね。
そんなこともあって、「あそこまで説明しておきながら……」というツッコミを
たくさんいただきましたが、そこが直木賞予想の難しさなのです!!
さて、受賞作の『海の見える理髪店』ですが、
これはもう、抜群の安定度を誇るウェルメイドな作品集です。
個人的には「成人式」がイチ押しですが、「遠くから来た手紙」もおススメです。
赤ん坊を連れて実家に帰った若い母親のもとに
毎晩のように届く不審なメールの謎を描いたこの作品は、
(詳しくはネタバレになるので申せませんが)
ぜひこの季節、夏だからこそ読んでいただきたい作品です。
「空はきょうもスカイ」もおススメ。
両親が離婚して田舎に引っ越した少女の小さな冒険を描いたこの作品。
貧困だったり虐待だったり、子どもを取り巻く大変な環境というのもうっすら背景として出てくるし、
結末も大人の視点でみればちょっとビターだったりするのですが、
そんなことをものともしない主人公の伸びやかな感性が眩しい作品です。
さすがストーリーテラーとして名高い荻原浩さんだけあって、
バラエティに富んでいるし、読み心地はいいし、
「泣ける短編集」という直木賞の王道を行く作品でもあります。
万人に受けるという意味では、
きわめて直木賞的な作品が選ばれたのではないでしょうか。
でも個人的には、テロが横行する世の中に向けて
選考委員がメッセージを発するような場面を見てみたかったなぁ……。
投稿者 yomehon : 20:00
2016年07月19日
第155回直木賞受賞予想作はこれ!
今回の候補作のラインアップは、
初エントリーの方がひとりもいないという極めて珍しいケースでした。
(調べたらどうやら戦後では過去に1例だけあるようですが)
ということはつまり、誰がとってもおかしくないわけで、予想はとても迷いました。
あれこれ検討した結果、最終的に残ったのは、
伊東潤さんの『天下人の茶』(文藝春秋)と、
原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』 (新潮社)の2作品。
その中から、『暗幕のゲルニカ』を当欄の受賞予想作として推すことにします。
他の候補作がすべて短編集なのに対して、
『暗幕のゲルニカ』だけが長編で、
それだけ強い印象を残したということももちろんありますが、
それ以上に、このところ世界中でテロが続いていることから、
やはりこういう作品こそがいま読まれるべき小説ではないかと考えました。
同じようなことは芥川賞にも言えて、
こちらは政治に翻弄される在日朝鮮人の女の子の青春の日々を描いた
崔実さんの『ジニのパズル』(講談社)が受賞するのではないかと思います。
直木賞や芥川賞はしばしば時代を反映します。
世界が急速に不安定化しつつあるいま、
ぼくたちを正気に踏みとどまらせるような作品こそが
選ばれるのではないか(いや、選ばれて欲しい)と考えるのですがいかがでしょうか。
選考会は本日午後5時から、築地の新喜楽でひらかれます。
投稿者 yomehon : 09:00
2016年07月16日
直木賞直前予想その(6) 『真実の10メートル手前』
いよいよ最後の候補作、
米澤穂信さんの『真実の10メートル手前』(東京創元社)です。
米澤さんはミステリーファンのあいだでは
以前からその才能を高く評価されてきた作家です。
古今東西にわたる文学作品を読んで蓄えられた知識と、
その膨大な知識を背景にした批評精神、そして確かなテクニック。
このところ『満願』(2014年に各種ランキングでベストミステリーに選出)や、
『王とサーカス』(2015年ベストミステリー)といった素晴らしい作品を
立て続けに出しているし、いまもっとも勢いのある作家といっていいでしょう。
『真実の10メートル手前』は、
フリージャーナリスト・太刀洗万智(たちあらい・まち)を主人公にした連作短編集。
彼女は『さよなら妖精』という初期の米澤作品にヒロインとして初登場し(このときは高校生でした)、
その後『王とサーカス』で成長してジャーナリストになった姿をみせてくれました。
本書には太刀洗万智がフリージャーナリストになる前と後のお話、
つまり前日譚と後日談とがおさめられていますが、
もちろん本書で初めて米澤作品に触れるという方でも支障なく読めます。
表題作の「真実の10メートル手前」は、
経営破たんしたベンチャー企業で「美人広報」としてスポットライトを浴びていた
女性が姿を消し、わずかな手がかりをもとに太刀洗万智がその足取りを追うお話。
少ない手がかりから彼女がどのように女性の居場所を導き出すか。
そのプロセスはひじょうに論理的で、
ミステリーの謎解きとしてもなるほどと納得の出来。
ただラストはちょっと苦くて、
ぼくはこの苦さがこの作品集のひとつのトーンになっているように思います。
というのも、ここで描かれているのは、ある種の諦念のようなものだからです。
事件の謎解きの面白さはもちろんあるんですが、
それ以上に、凶悪事件を前にしてジャーナリストに出来ることの限界というか、
後からやって来た単なる部外者に過ぎないにもかかわらず、事件に首を突っ込むこと、
その胡散臭さへの自覚、みたいなものが、この作品の通奏低音としてずっとあるのです。
要するに太刀洗万智はジャーナリストとしてものすごく倫理的だということです。
「知る権利」という言葉を免罪符のようにこれみよがしに掲げながら、
事件の関係者のもとに平気で土足で踏み込んでいく
覗き見趣味のゲスな連中とは一線を画す人物なのです。
そのような人物だからこそ、
人々が見落としている真相に気づくことができる。
世間で美談として伝えられていることの裏にある、
事件の当事者が隠している真相を見破ることができるのです。
真実が明らかになることで、真犯人が突き止められることもあれば、
胸につかえていたことを吐露して関係者が救われることもある。
そのあたりのバリエーションはぜひ本書でお楽しみいただきたいのですが、
ひとつ難点があるとすれば、
主人公の太刀洗万智はひじょうに頭が切れ、かつ倫理的な人物であるがゆえに、
読者の中には、彼女に感情移入しづらいと感じる人もいるのではないかということです。
シャーロック・ホームズはおそろしく優秀な人物ですが、
読者が安心してこの物語を楽しめるのは、
そこにワトソンというごく普通の人間が寄り添っているからではないでしょうか。
(ちょっと話が脱線しますが、BBCのドラマ『SHERLOCK』が魅力的なのは、
その優秀なホームズの愛すべき欠陥人間ぶりを徹底的に描いてみせたからだと思います)
ワトソンのような存在がいないがゆえに、
読者にしてみれば、
何を考えているのが表情からは読み取れない太刀洗万智という冷静な人物が
スパッと事件の謎解きをするのを、ただただ「すごいなぁ」と脇から眺めているだけのような、
そんな置いてけぼり感があるんですよね。
そういう意味では、やや読者を選ぶようなところもある作品かなと思います。
さて、これですべての候補作をご紹介しました。
最終予想は、選考会当日の朝、
7月19日(火)オンエアの『福井謙二 グッモニ』
「グッモニ文化部エンタメいまのうち」のコーナーにて発表いたします。
ぜひお聴きください!
投稿者 yomehon : 05:00
2016年07月15日
直木賞直前予想その(5) 『ポイズンドーター・ホーリーマザー』
次は湊かなえさんの『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(光文社)です。
湊さんはよく「イヤミスの女王」などと評されます。
「イヤミス」というのは、後味の悪いミステリーのこと。
読み終えた後、イヤ~な気持ちになるミステリーのことです。
読んだことのない人にとってみれば、
「なにを好き好んでそんなものを読むんだ」と疑問に思うかもしれませんね。
もう少し丁寧に説明すると、
「イヤミス」というのは、
ぼくらがふだん目を背けがちな心の暗黒面を描くジャンルなのです。
先ほど「読み終えた後、イヤ~な気持ちになる」と書きましたが、
それは「不快感を覚える」という意味ではなくて、
それまで気がつかなかった(もしくは気がつかないフリをしていた)
自分自身の醜い部分を目の前に突き付けられて、
動揺したり、落ち込んだりする、という意味だと思ってください。
イヤミスを読んだ後の副作用は、
もはや素直な目で世界を見ることができなくなること。
職場に誰もが絶賛するような人物がいたとしましょう。
その人は男性で、どんな困難な状況でも決してあきらめず、
部下を励まし、上司ですらその人を頼りにしてしまうような
どこから見ても非の打ち所のない魅力あふれる人格者だとしましょうか。
もしそんな人物がいたとすれば、
普通は憧れや称賛の目でその人のことを見るはずです。
しかしイヤミス読者(たとえばぼくのような)は違います。
「ほんとは家で奥さんに暴力を振るっているんじゃないだろうか」とか、
「実は幼児性愛者なんじゃないか」などと、裏の顔を想像してしまうのです。
誰がみても善人にみえるような人物こそ、
とんでもないダークサイドを心の中に隠し持っているかもしれない・・・・。
イヤミスが教えてくれるのは、そういう人間の見方だったりするのです。
さて、『ポイズンドーター・ホーリーマザー』ですが、
こちらは湊かなえさんの原点回帰の一冊。
最近は毛色の違う作品にも手を広げていた湊さんが、
ひさしぶりに堂々たる「イヤミスの女王」っぷりを見せつけてくれました。
もちろんここにおさめられた6編すべてが、人間の暗部に光を当てた作品です。
でも、早とちりしていただきたくないのは、
湊さんの書く作品は、ただ単純に善い人の裏の顔を描いたようなものではない、ということ。
たとえば、「罪深き女」という作品をみてみましょう。
警察の事情聴取に答えて女性が過去を振り返るなかで、
徐々に事件のあらましがみえてくるという構成になっています。
この女性は子どもの頃、シングルマザーの母と小さなアパートで暮らしていて、
当時、同じアパートに住む年下の男の子のことを気にしていました。
男の子が淋しそうにアパートの階段付近に座っていたからです。
男の子は母親にネグレクトされていて、
食事も満足にとれないような境遇にあったのですが
この女性は当時、そんな状況にあるということにまでは気がつきませんでした。
その時のことを女性はこんなふうに警察に説明します。
「児童虐待やDVの起きた家の近隣に住む人たちが、
声が聞こえていたはずなのにどうして通報しなかったのかとか、
見て見ぬフリをしたのかと暗に責められているのを、情報番組などで見かけることがあります。
その度に、専門家は近所づきあいが希薄になったとか、
他者に無関心な人が増えているとか、したり顔で言ったりするものですが、
私は決してそれだけではないと思います」
「気にはなるけど、それよりも自分の問題で精一杯な人はたくさんいるはずです。
退屈な人がじっと耳をすましていれば、怒鳴り声や泣き声と解る音でも、
気持ちを外に向けていない人にとっては、窓の外を車が通り過ぎるような、
無音ではないけれど、耳まで届くことがない音になってしまうのです」
「自分だって毎日が精一杯」という人にとっては、
同じような境遇にある隣人が助けを求めていても、
その声は「窓の外を車が通り過ぎるような」音と同じようなものになってしまう……。
こういう細かいところまで分け入って人間心理を描くのが湊さんの真骨頂です。
そもそも人間に二面性があるなんて当たり前の話です。
湊さんの凄さというのは、
この当たり前の地点から、
さらにさらに深いところまで掘り進んで、「真実」を掘り出してくるところにあります。
しかも、そうして湊さんがぼくたちに見せてくれる「真実」という名の石は、
光を当てる角度が変わるたびに、次々と色が変わるようなものなのです。
人間が持つ複雑さを描かせたらピカイチの
「イヤミスの女王」による原点回帰の短編集。
選考委員がどのように評価するか楽しみです。
投稿者 yomehon : 04:00
2016年07月14日
直木賞直前予想その(4) 『暗幕のゲルニカ』
続いては原田マハさんの『暗幕のゲルニカ』 (新潮社)。
原田さんは、ベストセラーとなった『楽園のカンヴァス』以降、
美術ミステリーという新ジャンルを切り拓きつつある期待の作家です。
『楽園のカンヴァス』ではアンリ・ルソーの幻の絵をテーマにした作者が
本作で取り上げるのは、もちろん書名にもあるようにピカソの傑作『ゲルニカ』です。
1937年4月26日、ナチス空軍によって
スペインのバスク地方最古の町として知られるゲルニカが爆撃されました。
町が廃墟と化すほどの凄まじい爆撃は、
人類史上初めての無差別空爆であるとも
初めて焼夷弾が使用された空爆であるとも言われています。
(空からの無差別攻撃の歴史については、
前田哲男さんの『戦略爆撃の思想」』が多くのことを教えてくれます)
このゲルニカ爆撃に大きなショックを受けたのがピカソでした。
フランコ軍との内戦のさなかにある共和国政府からの依頼を受け、
ピカソは5月に開幕するパリ万博のスペイン館に展示する絵画を制作することになっていました。
ピカソはゲルニカの悪夢を世界に伝えるために絵を描き始めます。
この傑作が生まれるまでのドラマを、
ピカソの愛人で、傑作「泣く女」などのモデルにもなった写真家
ドラ・マールの視点で描いたパートが、物語のひとつの柱になります。
(ドラはゲルニカの貴重な制作過程をすべて写真におさめたことで歴史に名を遺しました)
そしてもうひとつ、ピカソの物語のかたわら、
現代を舞台にした物語も並行して語られます。
こちらの主人公は、MoMA(ニューヨーク近代美術館)の絵画彫刻部門で
アジア人初のキュレーターとなった瑤子。
瑤子は9・11のテロで夫を喪います。
ゲルニカの空爆とニューヨークでの9・11テロ、
20世紀と21世紀の悲劇が物語のなかで対置され、
両者をピカソの『ゲルニカ』がつなぎます。
第二次大戦とイラク戦争。
並行していた物語は、
やがて『ゲルニカ』を軸に思いもよらないかたちで交差するのです。
国連本部のロビーには、「ゲルニカ」を精巧に模したタペストリーが飾られているのですが、
2003年2月、ここで当時のパウエル国務長官がイラクへの空爆を示唆する演説をした際、
このタペストリーが布で覆い隠されたことがありました。
この史実をもとに、作者は「暗幕のゲルニカ」という物語を生み出したのです。
意表を突く展開と巧みな構成でぐいぐいと読ませる手際はお見事。
また毎日のようにテロに巻き込まれて
犠牲になった人々の痛ましいニュースが伝えられているように、
テロは非常に今日的なテーマでもあります。
作中、「ゲルニカは誰のものか」という問いが繰り返されるのですが、
この問いは、読者の胸に重く響くはず。
まさにこんな時代だからこそ読まれるべき小説です。
ところで、読みながら気になって仕方なかったのが、
20世紀パートの登場人物がほぼ実在するのに対して、
21世紀パートでは、ブッシュ大統領やパウエル国務長官のような
誰もが知っている人物でさえ架空の名前に置き換えられていたこと。
9・11テロは現実の事件なのに、
ここだけ読みながら「なぜ?」と引っかかってしまいました。
ブッシュやパウエルまで架空の人物にするのには
なにか作者の意図があるのかもと思いましたが、最後までその理由はわからず。
もうひとつ、物語がやや唐突に終わる感があります。
ラストに至るまでが重厚なだけに、
この幕切れは選考委員のあいだで議論になるような気がしました。
投稿者 yomehon : 15:00
2016年07月13日
直木賞直前予想その(3) 『家康、江戸を建てる』
門井慶喜さんの『家康、江戸を建てる』(祥伝社)にまいりましょう。
これはですね、一言で言うと「江戸のインフラ小説」。
江戸という都市がどのようにつくられたかをインフラの視点から描いたユニークな時代小説です。
天正18年(1590年)、小田原攻めの陣中で、
家康は豊臣秀吉から北条家の領地だった関八州をやると言われます。
北条征伐の功に報いるとみせかけて、
代わりに現在の領地である駿河や遠江、三河などを差し出させるという老獪なやり口でしたが、
家臣たちが反発する中、家康はこの国替えに応じます。
「関東には未来(のぞみ)がある」
家康は家臣たちにそう宣言するのです。
居城となるのは武州千代田の地にある江戸城。
とはいえ、家康がはじめて江戸に足をふみいれたとき、
そこには未来の繁栄を予想させるようなものは何ひとつありませんでした。
「これが江戸じゃ」
灰色の土地。
としか、言いようがなかった。
江戸城の東と南は、海である。いまは干潮のため砂地が露出しており、
竹の棒が何十本も立てられている。網でも巻きつけて魚をとるのか、
あるいは棒そのものに付着した海苔のたぐいを集めるのか。
いずれにしても、沿岸のところどころに藁葺の民家がさびしそうにかたまっているのは、
漁師町にちがいなかった。
西側は茫々たる萱原。
北は多少ひらけている。みどり色にもりあがった台地にそって農家がぽつぽつならんでいるのは、
唯一、心なごませる光景だった。
とはいえ、百軒あるだろうか。せいぜい七、八十軒くらいではないか。
駿府や小田原の城下町とくらべると、五百年、六百年も発展を忘れたような
古代的な集落でしかなかった。
その後、江戸は世界最大の人口を抱える都市へと変貌します。
(たとえば『歴史人口学で見た日本』など速水融さんの一連の著作をお読みください)
しかしこの時点では、誰もが「そんな未来はあり得ない」と考えたことでしょう。
「江戸の地ならし」をするために、
家康は次々と壮大なプロジェクトを命じます。
洪水の原因となる利根川の流れを東へと捻じ曲げ、
肥沃な大地を出現させたかと思えば(「流れを変える」)、
武蔵野に湧き出る清水を市中へと引っ張ってくる(「飲み水を引く」)などなど。
ぼくが面白く読んだのは、江戸独自の貨幣を鋳造するプロジェクトの話(「金貨を延べる」)。
独自の通貨を鋳造することで、水面下で上方との通貨戦争が起きるのですが、
金融もまた都市のインフラのひとつなのだという視点を教えられました。
物語はプロジェクトごとに連作短編のかたちでまとめられていますが、
まるっきりフィクションというよりは、ノンフィクションノベルと言ってもいいかもしれません。
江戸の街づくりに関しては、
鈴木理生さんの『江戸はこうして造られた』(ちくま学芸文庫)という凄く面白い本がありますが、
この小説を読むだけでもかなり当時の街づくりのダイナミズムがわかるのではないでしょうか。
それにしても切り口がユニークですね。
築城を描いた小説というのは他にもあるんですが、
都市を造りだすプロセスを小説にした例は
ぼくの乏しい知識ではちょっと思い浮かびません。
江戸時代というのは、
260年あまりも戦のない世の中が続いた日本史上でも稀な平和な時代でした。
戦に明け暮れた半生を送り、
「灰色の土地」と評された広大な土地を前にした家康の目には、
いったいどんな未来が見えていたのでしょうか。
天守閣の色をめぐる謎解きを描いた一編(「天守を起こす」)で明かされる家康のビジョン。
そこに作者は混迷する現代社会へのメッセージを込めているように思います。
ただ、今回の候補作のなかで、
もっともユニークな切り口で描かれた作品ではありますが、読み口はわりとあっさりした感じ。
そこが選考委員にどう評価されるかではないでしょうか。
投稿者 yomehon : 16:00
2016年07月12日
直木賞直前予想その(2) 『海の見える理髪店』
続いては、荻原浩さんの『海の見える理髪店』(集英社)です。
この短編集をひとことで表現するなら、「普通の人の人生に起きる奇跡」でしょうか。
おすすめは「成人式」という一編。
5年前に一人娘を交通事故で亡くした夫婦の日常が描かれます。
ふたりとも娘を喪ったことが受け入れられず、
時間が止まってしまったような日々を送っています。
日航ジャンボ機墜落事故の遺族の心のケアにあたった
精神医学者の野田正彰さんに『喪の途上にて』という名著がありますが、
まさに愛娘を喪ったふたりも延々と続くかのような喪の途上にいます。
ある日、そこに成人式のダイレクトメールが届きます。
生きていれば娘は成人式を迎えていたのに……・。
業者は入手した個人情報をもとにDMを送っているだけなのでしょうが、
夫婦にとっては傷口からふたたび血が流れるかのような酷な仕打ちです。
ところが物語はここで意外な方向へと舵を切ります。
娘が出るはずだった成人式に夫婦で出席しようという話になるのです。
保護者としてではありません。
なんと新成人として参加しようというのです!
とはいえふたりともいい歳。
当然のことながら若づくりをしなければならず、
ここから夫婦の悪戦苦闘が始まります。
ここから先はぜひ本をお読みいただきたいのですが、
娘の代わりに夫婦で成人式に参加しようという突拍子もない思いつきが、
次第に喪の途上で足踏みをしている夫婦を変えていくんですね。
その「魂の再生」のプロセスはまさに奇跡としか呼べないような感動的なもので、
でも一方で中年夫婦の悪戦苦闘ぶりは可笑しくもあって、
泣いて笑って、読み終えたときにこんなにあたたかい気持ちになれる
作品というのもそうそうないなぁと思いました。
この他にも、
海辺の小さな町でひっそりと理髪店を営む店主の過去が明らかになる「海の見える理髪店」。
画家の母に反発して家を出た女性がひさしぶりに帰郷して目にしたものを描く「いつか来た道」。
赤ん坊を連れて実家に帰った若い母親に毎晩届く不思議なメールを描いた「遠くから来た手紙」。
両親が離婚して田舎に引っ越した少女の小さな冒険が楽しい「空はきょうもスカイ」。
父の形見を手に古い時計店を訪れた男が時計職人に聞かされた話を描く「時のない時計」といった
作品がおさめられています。
どの登場人物も、過去になんらかの過ちを犯していたり、
喪失を経験していたりという共通項を持っています。
そんな彼らの身の上にちょっとした奇跡が起きるというのが、この短編集の趣向です。
荻原浩さんは若年性アルツハイマーを描いた『明日の記憶』 (渡辺謙さん主演の映画を
ご覧になった方も多いでしょう)で山本周五郎賞を受賞するなど、
もともとストーリーテラーとしては定評のある方。
「大人が泣ける短編集」というのは、
直木賞が大好物なカテゴリーではありますが、
さて本作はどのように評価されるでしょうか。
投稿者 yomehon : 04:00
2016年07月11日
直木賞直前予想その(1) 『天下人の茶』
お待たせいたしました!
今回より直木賞の候補作をみてまいります。
トップバッターは、伊東潤さんの『天下人の茶』(文藝春秋)です。
秀吉と利休との相克を描いたこの作品。
戦国の世を舞台にした小説ではお馴染みといいますか、
むしろ手垢にまみれたといっていい題材で選考会に挑みます。
このテーマでは過去に山本兼一さんが
『利休にたずねよ』という素晴らしい作品で直木賞を受賞しています。
当然のことながらこの作品と『天下人の茶』は比較されます。
『利休にたずねよ』は、利休が死ぬところから物語が始まり、
そこから時間が遡って行くという凝った構成になっていました。
これに対して『天下人の茶』は、
帝の前で自ら能を舞う秀吉の心中を描くところから始まります。
無心で能を舞おうとしながらも、
秀吉はまるで傀儡子に操られているかのような感覚にとらわれていきます。
傀儡子、つまり人形遣いですね。
「わしは豊臣秀吉だ。まごうかたなき天下人ではないか!」
疑念を打ち払うかのように、
そう自分に言い聞かせようとすればするほど、
その胸には疑いが黒い雲のようにわいてくるのです。
その疑念とは、「いったい、わしは誰なのだ」という問いです。
死してなお、秀吉の精神をここまで支配する傀儡子とは、もちろん利休のことです。
千利休とはいったい何者なのか。
作者は、利休の高弟だった牧村兵部、瀬田掃部、
古田織部、細川忠興らの視点を通して、
利休の姿を浮かび上がらせるという手法をとります。
これが見事にハマりました。
他人の目を通して描くことで、
本作は利休のミステリアスな部分を際立たせることに成功しています。
しかも作者はここに利休の「死の真相は何か」という謎解きをもってくる。
茶の湯の席では、
帝だろうが庶民だろうがみな平等であるという
当時としては珍しい利休の平等思想に、
武家社会のヒエラルキーを崩壊させられるおそれを抱いた秀吉が
切腹を命じたというのがよく言われる「真相」ですが、
作者はここに加えて、さらに驚くような死の真相を持ってくるんですね。
それは作者のいわば独創的な歴史解釈をもとにしたもので、
いまとなっては事実を確かめようのない仮説に過ぎませんが、
なるほど利休ほどの人物であればそういうことを企んだかもしれないと
思わせるだけの説得力を持った説になっています。
そしてその死の真相に至ったとき、
ミステリアスだった利休が、
こちらの背筋が寒くなるような凄みのある人物へと変貌するのです。
伊東潤さんはかつて渾身の一作
『巨鯨の海』で直木賞を逃しています。
直後に番組でお目にかかる機会があったのですが、
やはり御本人にとっても手応えのある作品だったようで
落胆の色は隠せないなと感じたことを覚えています。
秀吉と利休という手垢にまみれた題材を
ここまでの物語へと昇華してみせた手腕は、
はたして今回はどのように評価されるでしょうか。
投稿者 yomehon : 17:00