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2016年07月16日
直木賞直前予想その(6) 『真実の10メートル手前』
いよいよ最後の候補作、
米澤穂信さんの『真実の10メートル手前』(東京創元社)です。
米澤さんはミステリーファンのあいだでは
以前からその才能を高く評価されてきた作家です。
古今東西にわたる文学作品を読んで蓄えられた知識と、
その膨大な知識を背景にした批評精神、そして確かなテクニック。
このところ『満願』(2014年に各種ランキングでベストミステリーに選出)や、
『王とサーカス』(2015年ベストミステリー)といった素晴らしい作品を
立て続けに出しているし、いまもっとも勢いのある作家といっていいでしょう。
『真実の10メートル手前』は、
フリージャーナリスト・太刀洗万智(たちあらい・まち)を主人公にした連作短編集。
彼女は『さよなら妖精』という初期の米澤作品にヒロインとして初登場し(このときは高校生でした)、
その後『王とサーカス』で成長してジャーナリストになった姿をみせてくれました。
本書には太刀洗万智がフリージャーナリストになる前と後のお話、
つまり前日譚と後日談とがおさめられていますが、
もちろん本書で初めて米澤作品に触れるという方でも支障なく読めます。
表題作の「真実の10メートル手前」は、
経営破たんしたベンチャー企業で「美人広報」としてスポットライトを浴びていた
女性が姿を消し、わずかな手がかりをもとに太刀洗万智がその足取りを追うお話。
少ない手がかりから彼女がどのように女性の居場所を導き出すか。
そのプロセスはひじょうに論理的で、
ミステリーの謎解きとしてもなるほどと納得の出来。
ただラストはちょっと苦くて、
ぼくはこの苦さがこの作品集のひとつのトーンになっているように思います。
というのも、ここで描かれているのは、ある種の諦念のようなものだからです。
事件の謎解きの面白さはもちろんあるんですが、
それ以上に、凶悪事件を前にしてジャーナリストに出来ることの限界というか、
後からやって来た単なる部外者に過ぎないにもかかわらず、事件に首を突っ込むこと、
その胡散臭さへの自覚、みたいなものが、この作品の通奏低音としてずっとあるのです。
要するに太刀洗万智はジャーナリストとしてものすごく倫理的だということです。
「知る権利」という言葉を免罪符のようにこれみよがしに掲げながら、
事件の関係者のもとに平気で土足で踏み込んでいく
覗き見趣味のゲスな連中とは一線を画す人物なのです。
そのような人物だからこそ、
人々が見落としている真相に気づくことができる。
世間で美談として伝えられていることの裏にある、
事件の当事者が隠している真相を見破ることができるのです。
真実が明らかになることで、真犯人が突き止められることもあれば、
胸につかえていたことを吐露して関係者が救われることもある。
そのあたりのバリエーションはぜひ本書でお楽しみいただきたいのですが、
ひとつ難点があるとすれば、
主人公の太刀洗万智はひじょうに頭が切れ、かつ倫理的な人物であるがゆえに、
読者の中には、彼女に感情移入しづらいと感じる人もいるのではないかということです。
シャーロック・ホームズはおそろしく優秀な人物ですが、
読者が安心してこの物語を楽しめるのは、
そこにワトソンというごく普通の人間が寄り添っているからではないでしょうか。
(ちょっと話が脱線しますが、BBCのドラマ『SHERLOCK』が魅力的なのは、
その優秀なホームズの愛すべき欠陥人間ぶりを徹底的に描いてみせたからだと思います)
ワトソンのような存在がいないがゆえに、
読者にしてみれば、
何を考えているのが表情からは読み取れない太刀洗万智という冷静な人物が
スパッと事件の謎解きをするのを、ただただ「すごいなぁ」と脇から眺めているだけのような、
そんな置いてけぼり感があるんですよね。
そういう意味では、やや読者を選ぶようなところもある作品かなと思います。
さて、これですべての候補作をご紹介しました。
最終予想は、選考会当日の朝、
7月19日(火)オンエアの『福井謙二 グッモニ』
「グッモニ文化部エンタメいまのうち」のコーナーにて発表いたします。
ぜひお聴きください!
投稿者 yomehon : 2016年07月16日 05:00