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2016年05月27日
『由布院の小さな奇跡』 ふるさとを襲った地震について
ふるさとに甚大な被害をもたらした地震からまもなく1ヶ月半がたとうとしています。
この間、たくさんの方から励ましの声をいただき本当に感謝しております。
この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございました。
今回の地震は、
ぼくが子ども時代を過ごした土地土地を
乱暴に塗りつぶすかのように広範囲にわたる被害をもたらしました。
風に波打つ草原で
赤牛たちがのんびりと草を食んでいる阿蘇も、
幾筋もの湯煙がたなびく別府も、
湖底から湯が湧き出る小さな湖のほとりに美しい宿が佇む湯布院も。
幼い頃から慣れ親しんだいくつもの大切な場所が地震によって蹂躙されたのです。
それらはみな、自分の心の奥にあるいちばん柔らかな部分を
形づくっていたのだということにいまさらながらに気づかされました。
阿蘇山系の火山灰層を通ってこんこんと湧き出る水の甘さや、
街のあちこちから聞こえてくる温泉が吹き出る蒸気の音や
ゆでたまごを思わせる硫黄のにおい、
朝日が差し込む中、湖面から湯気が立ち昇る湖の神秘的な光景。
幼い頃に触れたそうしたものが、
いかにみえないところで自分を支えてくれていたかということに
ようやく気づかれたのです。
ふるさとが破壊されるということはこういうことなのですね。
心にぱっくりと傷口が開き、実際にそこから血が流れるのですね。
これまで大規模な災害を受けた土地を何箇所も取材してきましたが、
いかに当事者意識が希薄だったのかを今回の地震で痛感しました。
メディアの中には早々に復興を唱えているところもありますが、
現実はそう簡単にはいきません。
ある親戚の家は補修するだけでも数百万かかると言われたそうです。
年寄りだからとこのまま直さずに住むようですが、
傷んだ屋根の下、余震に怯えながら
身を寄せ合っている年寄りたちのことを思うと胸が痛みます。
親戚や友人たちが大変な思いをしている中、
自分にはなにができるだろうとずっと考えていました。
お金や物資はすぐさま送ったし、
飲食業界の友人たちは彼の地の食材を優先的に使うよう快諾してくれたし、
思いつくことはすぐ行動に移したにもかかわらず、なにか足りない気がするのです。
いろいろ考えた末に気がついたのは結局、
可能な限り現地に足を運ぶのがいちばんだということですね。
言葉にするととても平凡なことなのですが。
「余震も収束したようだし行っても大丈夫かな」と
あなたが納得されたタイミングでかまいません。
ぜひ熊本や大分に足を運んでいただきたいのです。
たとえば、古代の巨大噴火口の名残である外輪山を車で走ってみてください。
眼下にひろがる阿蘇盆地のパノラマは日本屈指の雄大さです。
湯布院から久住を通って阿蘇に抜けるやまなみハイウェイもおすすめです。
変化に富む景色になんども歓声があがるはずです。
別府の温泉は昔から「別府八湯」といってバラエティ豊かです。
地球上には11種類の泉質がありますが、
このうち10種類が別府にあるといわれているのをご存知でしょうか。
屏風のように街の背後にそびえる活火山、鶴見岳と伽藍岳の地下から
海へと2つの断層がのび、
この断層に沿って流れる熱水が、街のそこかしこから噴出し、
その場所ごとの地層との化学反応によって多彩な泉質が生み出されています。
竹田市の長湯温泉は全国でも珍しい炭酸泉です。
まるでサイダーに漬かっているように全身に泡がつく不思議な温泉は、
かの大仏次郎をして「ラムネのよう」と言わしめました。
故・赤瀬川源平さんが愛した温泉でもあって、
建築家の藤森照信さんが設計したラムネ温泉館は
とてもかわいいので女子旅なんかには特におすすめです。
由布市の湯平(ゆのひら)温泉は、
漫画家つげ義春さんの傑作エッセイ『貧困旅行記』にも鄙びた温泉として登場します。
戦前は別府に次いで九州でも2番目に観光客の多い湯治場でした。
往時の勢いを偲ばせる寂れ具合が
なんともいえない味わいを醸し出していておすすめ。
観光地の喧騒はちょっと苦手というひとり旅の方などにいかがでしょうか。
さて、当欄では本もおすすめしているので、
一冊ふるさとにちなんだ本をご紹介いたしましょう。
由布岳の麓にある小さな町が
年間400万人の観光客を集める観光地へと成長した秘密を紐解いた
『由布院の小さな奇跡』木谷文弘(新潮新書)です。
別府につぐ全国2位の湧出量を誇りながら、
この名所旧跡もない盆地の田舎町には、
かつては観光客がほとんど寄りつきませんでした。
その街を変えたのが、
中谷健太郎さんと溝口薫平さんという名プロデューサーです。
「亀の井別荘」と「由布院 玉の湯」という日本を代表する名旅館を
それぞれ育て上げただけでなく、
「ゆふいん音楽祭」や「湯布院映画祭」などの名物イベントも生み出しました。
大資本によるゴルフ場建設計画を阻止して町の景観を守る一方で、
生産者を育て、土地の恵みを洗練された里山料理へと仕立て上げる。
亀の井別荘や旅館玉の湯がつくりあげたスタイルは、
いまでは全国の旅館に取り入れられています。
このキャラクターのまったく違うふたりの名プロデューサーにスポットを当て、
由布院が日本有数の温泉地に育つまでを追った本書は、
地域おこしに取り組む人たちへのヒントがぎっしり詰まっていると同時に、
すぐれたガイドブックにもなっています。
この本を読んで由布院を訪れていただくと、
町並みのつくりかたひとつとっても、
どれだけ地元の人の思いが込められているかを実感していただけるはずです。
(余談ですが、先ほどから湯布院と由布院を使い分けているんですが、
この使い分けについても本書で触れられています)
ちょっとマニアックなポイントかもしれませんが、
個人的には、ぜひ旅館「玉の湯」の庭をみていただきたい。
由布の野山がそのまま庭になったかのようなお庭で、
自然のままの山野草が生えているように見えますが、
実は職人さんがものすごく計算して丁寧に植えているのです。
人の手が入っているのにナチュラルにみえるあの庭は一見の価値あり。
ああいう細かいディテールへの心配りこそ、おもてなしの神髄ではないかと思います。
亀の井別荘か玉の湯でお昼を食べて、
食後のコーヒーを愉しんだ後は(どちらにも素晴らしい喫茶室があります)
ぜひぶらぶらとあたりを散策してください。
ぼくはいつも玉の湯の裏手にある木工クラフトの工房まで足を伸ばして、
口当たりのやさしい木のスプーンを買うのがお決まりのコースになっています。
聞いたところによると、
由布院の町づくりに関わった人々の多くが、
今回の地震で被災されたようです。
ご自宅や旅館の建物が壊れたりして、
中にはかなり気落ちしている方もいらっしゃると聞いています。
物資を送ることも大切ですが、
いちばんはやはり、
お目にかかって励ましの声を掛けて差し上げることだと思うのです。
だからみなさんもぜひ足をお運びください。
雄大な自然と溢れんばかりに湧き出る温泉、
豊かな土地の恵みとふるさとを心から愛する人たちが、
みなさんのお越しをお待ちしております。
投稿者 yomehon : 2016年05月27日 21:00