« 『小倉昌男 祈りと経営』 弱く小さな、でもとてつもなく強い父の物語 | メイン | 『ガラパゴス』 この国を蝕むものの正体 »

2016年03月07日

『呼び覚まされる霊性の震災学 』  死者とともに生きるということ

こんな不思議な話があります。


あの震災から半年ほどたったある朝、
仕事に出かけようとすると、玄関先に結婚指輪の箱が置かれていました。
指輪は震災時に失くしてしまっていました。
旦那さんは津波で行方不明のままで、現在も見つかっていません。
もう亡くなっているだろうと心のどこかで思い始めていた矢先、
なくしたはずの結婚指輪が形見のように戻ってきたのです。


これは2014年当時に石巻市で31歳だった女性が語ったお話。
この女性は指輪を届けてくれたのは旦那さんに違いないと信じています。

東日本大震災以降、東北の被災地を中心に
このような不思議な体験談が数多く語られるようになりました。

東北学院大学の金菱清教授(災害社会学)のゼミでは、
「震災の記録プロジェクト」と題して、
学生たちが被災地で綿密なフィールドワークを行っていますが、
そのなかで工藤優花さんが試みたのが石巻市での聞き取り調査です。

被災地での奇妙な体験談や噂話はとりわけ石巻市に多いそうで、
ネット上でも大量の書き込みがなされていることから、
工藤さんは石巻市で話を聞いてみることにしたのです。


怪奇現象にまつわる話にはひとつのパターンがあります。
それは「(幽霊を)見たかもしれない」「体験したかもしれない」といったような
「~かもしれない」という推測の域にとどまっているもの。

ところが、工藤さんが話を聞いて回るうちに、
それとは異質な現象を体験した人々がいることがわかりました。

それは、タクシードライバーのみなさんの体験談でした。

「震災から3ヶ月くらいかな?記録をみればはっきりするけど、初夏だったよ。
いつだかの深夜に石巻駅あたりでお客さんの乗車を待ってたら、
真冬みたいなふっかふかのコートを着た女の人が乗ってきてね」

この女性に目的地を尋ねると「南浜まで」と答えました。
深夜だし不審に思い、
「あそこはもうほとんど更地だけど構いませんか?どうして南浜まで?コートは暑くないですか?」
と尋ねたところ、
「私は死んだのですか?」
と震えた声で応えたため、
驚いて「え?」とミラーから後部座席に目をやると、
そこには誰も座っていませんでした……。


いかがですか?
あなたは運転手さんの勘違いだと思いますか?
あるいは夢でもみたのではないかと一笑に付すでしょうか。

ではこんな体験談はどうでしょうか。

「巡回してたら、真冬の格好の女の子を見つけてね」

2013年の8月頃の深夜、手を挙げている人を見つけ車を寄せると、
小さな小学生くらいの女の子が季節はずれのコート、帽子、マフラー、ブーツを着て立っていました。
不審に思い、「お母さんとお父さんは?」と聞くと、
「ひとりぼっちなの」と答えます。
迷子かと思い、家の場所を尋ね、その付近まで乗せていくと、
「おじちゃんありがとう」と言ってタクシーを降りたと思ったら、その瞬間に女の子は姿を消しました。
確かに会話をし、降りるときには手をとってあげて触れたのに
突如消えるようにスーッと姿を消したというのです……。


こんな話もあります。


2014年6月のある日の正午、
手を挙げている人を発見してタクシーを停めると、
真冬に着るようなダッフルコートを着た青年が乗車してきました。
目的地を訪ねると「彼女は元気だろうか?」と応えてきたので、
知り合いだったかなと思い、「どこかでお会いしたことありましたっけ?」と聞き返すと、
「彼女は……」と言い、気づくと姿はなく、男性が座っていたところには、
リボンがついた小さな箱が置かれてあったそうです。

運転手さんは彼女へのプレゼントと思われるその箱を開けることなく、
いまでもタクシーのなかで保管しているそうです。


「~かもしれない」などというレベルをはるかに超えて、彼らの体験談には、
「降りるときに手をとってあげた」とか「リボンのついた小箱が残されていた」とか、
具体的な接触の痕跡や証拠が残っていることになにより驚かされます。

もっと言えば、タクシーの場合、
乗客を乗せた時点で「実車」になってメーターが切られるわけですし、
GPSもあれば、無線で連絡を取り合ったりもするし、はっきりとした証拠が残るのです。
(彼らが乗せたお客さんも「無賃乗車扱い」状態で記録に残っていました)

しかも上で紹介したドライバーのみなさんは、
自分の体験したことがにわかには信じられず、
しっかりとメモや書類も残していたため、
さらに客観的に確認することができたそうです。


この工藤優花さんの報告は、
「死者たちが通う街―タクシードライバーの幽霊現象」と題して、
金菱ゼミがまとめた
『呼び覚まされる霊性の震災学 3.11生と死のはざまで』(新曜社)
おさめられています。


彼女のレポートを読んでなにより心を揺さぶられたのは、
石巻のタクシードライバーのみなさんの死者に対する態度でした。

たとえば最初に紹介したコートを着た女性を乗せた運転手さんは、

「この世に未練がある人だっていて当然だもの。あれ(乗客)はきっと、
そう(幽霊)だったんだろうな~。今はもう恐怖心なんてものはないね。
また同じように季節外れの冬服を着た人がタクシーを待っていることがあっても乗せるし、
普通のお客さんと同じ扱いをするよ」

と語っています。
(ちなみにこの運転手さんご自身も、震災で娘さんを亡くされています)

リボンがついた小箱をいまもとってあるという運転手さんも、

「ちょっとした噂では聞いていたし、その時は“まあ、あってもおかしなことではない”と、
“震災があったしなぁ”と思っていたけど、実際に自分が身をもって
この体験をするとは思っていなかったよ。さすがに驚いた。
それでも、これからも手を挙げてタクシーを待っている人がいたら乗せるし、
たとえまた同じようなことがあっても、途中で降ろしたりなんてことはしないよ」

と話し、いつかあの時の青年に再会できたときにプレゼントを返してあげたいと思っているそうです。
(ちなみにこの運転手さんは、震災でお母様を亡くされています)


また「幽霊」が手を挙げて乗ってきたとしても、
普通のお客さんと同じように乗せてあげるよ、と穏やかに語る人々……。

ここにあるのは、
亡くなった人たちの霊魂とごく当たり前のように共存している感覚です。

運転手さんたちの言葉に心を打たれながら、
ぼくは深く恥じ入ってもいました。

震災から月日がたつなかで、
自分は無念の思いを抱えたまま亡くなった方たちのことを忘れつつあるのではないかと――。


今回ご紹介した工藤優花さんによるレポートは、
運転手さんたちが霊に対して畏敬の念を抱いていたり
霊に寄り添う感覚を持っていることなどをさらに掘り下げています。
ほかにも死者をめぐる学生たちの優れた報告が載っていますので、
ぜひ本を手にとってお読みください。


ところで、書店でこの本のタイトル『呼び覚まされる霊性の震災学』を目にしたとき
ただちに想起したのは、鈴木大拙の名前でした。

禅の精神について英文で発表して世界的にも著名な鈴木大拙が
昭和19年に発表した代表作が、『日本的霊性』(角川ソフィア文庫)です。

大拙は当時、
軍部が盛んに宣揚していた「日本精神」に対抗して
「日本的霊性」を唱えました。

大拙は「精神は分別意識を基礎として居るが、霊性は無分別智である」として、
「霊性の直覚力は精神のよりも高次元のものであると謂ってよい」と述べています。

考えてみれば、
「幽霊なんて科学的にありえない」などと「分別意識」で切り捨てるのではなく、
当たり前のようにその存在を受け容れている石巻のタクシードライバーのような人こそが、
大拙の言うところの日本的霊性を持った人々であると言えるのではないでしょうか。


今年もまたあの日がめぐってきます。

きっと政治家たちは声高に「復興」を言い募り、その成果を喧伝するのでしょう。

彼らの言葉からは距離を置き、
静かに亡くなった人たちに思いを寄せながら過ごしたいと思います。

投稿者 yomehon : 2016年03月07日 20:34