« 『つまをめとらば』 第154回直木賞決定! | メイン | 『呼び覚まされる霊性の震災学 』 死者とともに生きるということ »
2016年02月05日
『小倉昌男 祈りと経営』 弱く小さな、でもとてつもなく強い父の物語
いくら読んでもその面白さがいっこうにわからない本があります。
個人的にはその最たるものが経営者の書いた本です。
自慢話の羅列と安っぽい処世訓を押し付けてくるのがだいたいのパターンで、
それなりに売れているみたいだから読んでみようと手にとってみて、
激しく後悔したことがこれまで何度もありました。
やはり社会的成功をおさめたと自負している人の威勢のいい話よりも、
人生うまくいかないとぐずぐず悩んでいる人の話のほうが圧倒的に心に響くものです。
ただ、経営者本のほとんどが読む価値のないものだといっても、
やはり超一流の経営者の本となるとモノが違います。
たとえば本田宗一郎さんの『私の手が語る』(講談社文庫)なんて
モノづくりの楽しさや苦しさがまるで子どものような純粋さで語られていて
なんど読んでも素晴らしい。
「私の手は、私がやってきたことのすべてを知っている」なんて
みずからモノづくりに汗を流してきた経営者にしか言えない言葉ではないでしょうか。
実際、この本には本田宗一郎さんの手がイラストで載っているのですが、
カッターで削ったりキリが突き抜けたり、その手は歴戦の兵のように傷だらけです。
もうひとり、素晴らしい経営者といえば、小倉昌男さんも忘れるわけにはいきません。
いまも読み継がれる『小倉昌男 経営学』(日経BP社)には、
「個人向けの宅配便ビジネス」という
これまでになかった新しい分野を生み出すまでの
官との戦いがつぶさに描かれていて心を動かされました。
ちなみにその当時、小倉昌男さんに抱いていたイメージは、
まずは霞ヶ関と対峙して一歩もひかない「硬骨漢」、「闘士」といったところ。
さらに私財を投じて福祉財団をつくったりもされていましたから、
「お上にはたてつくくけれど、困っている人には優しく手を差し伸べる人格者」
という好ましい印象をずっと抱いていました。
そう、ずいぶん長い間、小倉昌男さんという人物には
そういうパーフェクトなイメージを持っていたのです……。
ジャーナリストの森健さんによる評伝
『小倉昌男 祈りと経営 ヤマト「宅配便の父」が闘っていたもの』(小学館)は、
小倉昌男という偉大な経営者のこれまでのパブリックイメージを大きく覆す一冊です。
小倉昌男さんは2005年に80歳でお亡くなりになっていますが、
亡くなってもなおヤマト関連本の出版が続くことに
著者がふと興味を持ったのがこの本を書くきっかけでした。
ところがあらためて小倉氏自身の著作を読み直してみると、
著者はさらなる疑問を抱くことになります。
ひとつ目はなぜ私財を投じてまで福祉の世界に入ったのか。
その動機です。
二つ目は、小倉氏への外部からの人物評と、本人による自己評価の落差。
理不尽な規制と戦う勇気ある人という世間でのイメージに対して、
小倉氏は自分のことを「気が弱い人間」だと正反対の評価をしています。
そして三つ目が、小倉氏が亡くなった場所。
亡くなったのはロサンゼルスにある長女の自宅でした。
後に判明することですが、この時小倉さんはがんで体が弱っていたにもかかわらず、
渡米を強行しています。
それらの疑問の背景に、
まだ語られていない人物像があるのではないかと考え、著者は取材を始めます。
そしてこの取材は結果的に
名経営者と謳われた小倉昌男という人物の
心の痛みを共有するプロセスそのものでもありました。
取材によって明らかにされる
小倉氏の知られざる姿について、
ここで多くを明かすわけにはいきません。
ただギリギリ許される範囲で言うならば、それは家庭の問題でした。
長女による凄まじい言葉の暴力、
そして娘と対立するなかで目につくようになった妻の飲酒癖。
信じがたいことに、
霞ヶ関とのあいだであれだけの戦いを繰り広げてきた小倉氏が
家族の問題に関してはまったくといっていいほど無力でした。
荒れる家族を前に途方に暮れるその姿には読んでいてしばしば痛みをおぼえました。
やがてある不幸な出来事があって
小倉氏は筆舌に尽くしがたい悲しみを経験することになります。
夫妻は敬虔なクリスチャンでしたが、
それでいうなら、小倉氏が遭遇する数々の困難は、まるで旧約聖書のヨブ記を思わせます。
ただ、ここがこの本のもっとも素晴らしいところなのですが、
弱く、無力な父であった小倉氏が、
実はとてつもなく強い父親だったのではないかと思えてくるのです。
嵐が吹き荒れる家庭の中にあっても、
この父親は家族の前から逃げませんでした。
どうしていいかわからなくても、
なんとかして家族のことを理解しようとあがいていました。
晩年に私財を投じて福祉財団を設立したのも、
実は家族の問題が大きく関わっていました。
周囲が驚くほどの力の入れようの背後には、
愛する家族を理解したいという切実な思いがあったのです。
もしかすると、人間の真の強さというのは、
己の弱さや卑小さを認めるところから生まれるのではないだろうか――。
この本を読んでいると、そんな思いが腹の底から湧きあがってくるのです。
無力であることを自覚しながら、
それでも家族に寄り添い続ける小倉氏の姿は、
ぼくには心理学者の河合隼雄さんとも重なってみえました。
わが国におけるカウンセリングの第一人者である河合隼雄さんは、
カウンセリングで大切なのはただ相手とともにいることだとおっしゃっています。
小倉さんが河合さんのような偉大なる治癒者だったかどうかはわかりませんが、
たしかに傷ついた家族とともにいようとしていました。
そして、そのような小倉氏の姿は、
結果的に子どもにも大きな影響を及ぼしているように思えます。
本書は、長女の暴力的な傾向には理由があったことを明らかにしています。
著者が発掘したその事実は、きわめてセンシティブな領域に属することで、
小倉氏のプライベートを知る側近たちでさえ知らなかったことでした。
ただこの真相を知った時、
読者はきっと「あぁ……そうだったのか」と言葉を失うとともに、
目の前の霧が晴れていくような思いを味わうことでしょう。
小倉家で本当は何が起きていたのか、
小倉氏が何を背負っていたのか、
ぼくたちは結局、何も知らなかったのです。
「お上と戦う闘士」といったパブリックイメージがいかに表面的なものに過ぎなかったか。
そして同時に、やはり小倉氏は、
誰よりも自分が弱い存在であるかを自覚しているがゆえに、
強い人でもあったのだなぁと思うのです。
著者は小倉氏が家族の問題と向き合う際に胸に秘めていたのは、
アメリカの神学者、ラインホルト・ニーバーの言葉ではないかと述べています。
一般に「ニーバーの祈り」として知られる言葉は次のようなものです。
「神よ
変えることができるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受け容れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、
変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ。」
終章の「最期の日々」は涙なしには読めません。
修羅の日々を経て、人生の最期にようやく小倉氏に平穏が訪れるのです。
そしてその傍らには、愛する娘と孫たちが寄り添っていました……。
この作品は、第22回小学館ノンフィクション大賞を、
賞の歴史上はじめて選考委員が全員満点をつけて受賞しました。
それも当然。まごうことなき傑作です。
森健さん。
先日、お目にかかった際、
まだ他にも評伝を書いてみたい人物がいるとおっしゃっていましたが、
こんな素晴らしい作品が読めるのだったらこの先、何年待ってもかまいません。
それまできっと何度もこの本を読み返すことでしょう。
家族について、信仰について、そして人生について。
こんなにも深く考えさせられたのは初めてです。
素晴らしい作品を届けてくれて、本当にありがとうございました。
投稿者 yomehon : 2016年02月05日 15:41