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2016年01月13日
直木賞候補作を読む(3) 『戦場のコックたち』
深緑野分(ふかみどり・のわき)さんの『戦場のコックたち』(東京創元社)にまいりましょう。
昨年、ミステリーファンのあいだでもっとも話題になった作品です。
なぜ話題になったのか。
それを説明するには、少しだけミステリーのお勉強が必要です。
ミステリーの中には「日常の謎」と呼ばれるジャンルがあります。
ごく簡単に言うと、凶悪犯罪ではなく、日常の中にあるささいな謎をテーマにした作品のこと。
具体的な例があったほうがわかりすいと思うので、
宮部みゆきさんの短編集『我らが隣人の犯罪』におさめられた
ぼくの大好きな「サボテンの花」という作品を例にご説明しましょう。
この作品は、卒業を前にした小学6年生と教頭先生のお話です。
学校では卒業研究の発表が毎年恒例となっているのですが、
6年1組のテーマは「サボテンの超能力の研究」。
怪しげな研究テーマに、
卒業研究に相応しくないと先生たちからは反対の声が挙がります。
そんな中、教頭先生は子どもたちの真意をさぐるべく調査を始めます。
ここで明らかになる真相は実にハートウォーミングなもので、
読む者の心をほっこりさせる名作です。
バイオレンスはいっさい出てこないところがポイント。
にもかかわらずこれも正真正銘のミステリーなのです。
現代のミステリー作家では、 北村薫さんなんかがこの「日常の謎」の名手ですから
関心のある方はぜひお読みください。
さて、話を戻しましょう。
『戦場のコックたち』は、この「日常の謎」を、
戦場という極端な非日常の舞台に持ち込んだところが画期的だったのです。
物語は、第二次世界大戦における連合軍のノルマンディー上陸作戦から始まります。
ご存知の通り、連合軍がナチスの手からフランスを奪回しようという作戦です。
主人公のティモシー・コール(通称キッド)は、
合衆国陸軍のパラシュート部隊に属する兵士ですが、
彼は一兵士であると同時に、仲間たちの胃袋を満たすコックでもあります。
ティムが戦場で遭遇する謎というのが、
料理に使う粉末の卵(戦場では卵の代表品としてこういうものが使われるのですね)が
約3トンも姿を消しただの、酒と引き換えに他の隊員たちから密かに装備のパラシュートを
回収しているイケメン兵士の目的は何かだのといった類いの、まさに「日常の謎」に属するもの。
そういう「日常の謎」が
酸鼻を極める戦場の描写とともに描かれていく。
ここがこの小説の新しいところでした。
もっとも、所属部隊の戦況が悪化するにつれてミステリー色は後退して、
物語も半ばを過ぎたあたりから、こんどは戦争小説の色がぐっと濃くなってきます。
戦場というのは、
人の理性を吹き飛ばすような恐ろしい場面が続いたかと思えば、
間の抜けた日常のような時間もあったりもする不思議な空間ですが、
読み進むうちに読者は、
そんな悲惨と日常が同居した戦場という空間が
リアルに脳裏に立ちあがってくるのを感じることでしょう。
悲惨なほうでいえば、
映画『プライベート・ライアン』を観たことがある人は、
あの冒頭の20分以上も続く凄まじい戦闘シーンを思い出してください。
ノルマンディー上陸作戦がいかに過酷なものであったかがわかるでしょう。
この小説はそのような戦争の残酷さ、悲惨さも十分に体感させてくれます。
それを可能にしているのは、作者の文章力。
この小説の優れているところは、
読者に痛みを感じさせるような文書力を
作者が標準装備している点ではないでしょうか。
たとえば、敵の対空砲火の中、
輸送機からパラシュート降下する場面をみてみましょう。
「エドが飛び、ついに僕の番になった。冷や汗がどっと噴き出す。
降下口のレールから一歩先は、真っ暗な大地が口を開けている。
曳光弾が次々飛んで目の前をかすめた。
「さっさとしろよ、キッド!」
真後ろの衛生兵、スパークに背中を押された。はずみで足が滑って宙へと飛び出し、
あっという間に重力に引っ張られる。僕は思わず叫んだ――「お前の左腕の赤十字は飾りかよ!」
自動曳索の紐が伸びきり、プツンと切れた感触が肩に伝わる。なんとか背筋をまっすぐにして
体勢をたてなおすと、パラシュートが開いた。体が吊り上り、股間に通したレッグストラップが
ぐっと食い込んでイチモツを締め上げ、激痛が脳天まで突き抜けた。ふと、ふくらぎが軽くなって
下を見ると、足に巻いたレッグバッグが落下し、暗闇に吸い込まれて消えた。
せっかく地雷とナイフを入れておいたのに!」
読みながら思わず股間を押さえたくなる文章です。
このような肉体の痛みをリアルに想起させる文章を書く力があるからこそ、
読者に戦場をリアルにイメージさせることができるのではないでしょうか。
(ちなみに、イチモツを締め上げ……なんて書いてますが作者は女性)
「日常の謎」から戦場の狂気へ。
この小説は、顔つきが最初と最後ではまったく異なるのです。
このあたりもこの作品の魅力でしょう。
それと物語のエピローグが素晴らしい。
ぼくたちの生きる世界では今もいたるところで戦争が続いていますが、
そうした世界に対する作者からの祈りのメッセージにもなっていて心を動かされます。
主な舞台は第二次大戦中のヨーロッパだし、
最初から最後まで日本人はまったく出てこないしで、
直木賞候補作としてはちょっと異色のものではあるのですが、
でもいますぐ世界で通用する作品を選ぶのであれば、
間違いなくこの作品がいの一番に選ばれることでしょう。
まだそれほど実績がないにもかかわらず、
世界水準の作品を書き上げた作者の才能は素晴らしいと思います。
いえ、才能というよりも努力かもしれませんね。
巻末に挙げられた参考文献をみると、
作者が国内外のさまざまな文献を読み込んでこの作品を書いたことがわかります。
さて、この若き俊英を選考委員たちはどう評価するでしょうか。
以前、オリジナリティあふれるSF作品で候補となった宮内悠介さんのときと
ちょっと似た感じがするのはぼくだけでしょうか・・・・・・。
投稿者 yomehon : 2016年01月13日 15:00