« 直木賞候補作を読む(1) 『つまをめとらば』 | メイン | 直木賞候補作を読む(3) 『戦場のコックたち』 »

2016年01月12日

直木賞候補作を読む(2) 『ヨイ豊』


続いては梶よう子さんの『ヨイ豊(とよ)』

渾身の作とはまさにこのような作品のことを言うのでしょう。
時代小説の読み手のあいだでは「傑作」と評判になった一作です。


冒頭、以下の人物の没年が記されます。


安政五年(一八五八)九月六日、初代歌川広重没。享年六十二。

文久元年(一八六一)三月五日、歌川国芳没。享年六十五。

元治元年(一八六四)十二月十五日、三代歌川豊国(初代国貞)没。享年七十九。


これがなにを意味しているのか。

ここに挙げられているのはいずれも浮世絵のビッグネーム。
そう、この小説は、あれほどの隆盛を誇った浮世絵がなぜ滅び去ったのかを描いているのです。

時は幕末。

江戸から近代へと時代が風雲急を告げるなか、
広重、国芳、三代豊国の「歌川三羽烏」亡き後、
歌川一門を守ろうと時勢に抗い続けた二代国貞こと清太郎。

清太郎は江戸絵の大看板と言われた三代豊国のもとで修行を積み、師匠の娘婿となった人物。
真面目で慎重な性格で、絵はうまいけれど、いつもその絵には何かが足りないと言われています。

一方、清太郎には八十八というひとまわり歳が下の兄弟弟子がいます。
清太郎とは正反対に粗野で図々しい性格ですが、
絵の腕前に関しては清太郎を戦慄せしめるような才能の持ち主です。


このふたりの対比を通して、
作者は巧みに「浮世絵とはなにか」を描いていく。
たとえば、

「新しい物ってのは一日一日、古くなる。いま飛びついたところで、
次に目新しい物がでりゃ、おしまいだ」

と新しもの好きな八十八をたしなめる清太郎に対して、
八十八が次のように言い返す場面があります。


「だから、いまのうちに面白がる。そいつが浮世を写すことじゃねえか。
時ってのは流れるもんだ。そこに留まっている訳じゃねえ。
昨日はもう過ぎ去ったもんになる。けど、おれたちはそういう流れる時の移り変わりを写して、
面白がるんじゃねえのかい?」

時が移ろうことを面白がる精神こそが浮世絵の本質だということですね。
ならばそんな浮世絵のどこに当時の人たちは魅了されたのでしょうか。


浮世絵のなかには錦絵と呼ばれる多色刷りの華やかな絵もあって、
お上の発する倹約令で、歌舞伎などとともにたびたび贅沢品として槍玉にあげられました。

清太郎が知遇を得た七代目團十郎の言葉は、庶民が好む娯楽の本質を衝いています。


「因果な商売さ。だってさ、芝居も錦絵も、突き詰めれば、この世に、あってもなくてもいいものさ。
けど、偉いお方は、そうした要らないもののほうが、人を惹きつけるのが、わかっちゃいない。
たった一瞬でもね、芝居小屋という限られた中で、憂いの世を、面白おかしい浮き世に変える。
それが私たち役者の矜持、いや執念、なのかもしれないね。死ぬまで舞台に立っていてえってさ」


憂き世を浮き世に変える――。

ここで語られるのは、人はなぜエンターテイメントを求めるかという問いへのひとつの答えです。

しかし時が移ろうように人の心も移ろっていく。

いくら浮世絵が変化を面白がる精神を持っていたとしても、
やはり時の流れというのは残酷です。

時代が血なまぐさくなっていくに従って、
人々の関心は伝統的な浮世絵から離れていきます。

ジャンル全体が地盤沈下をはじめると、
ブランドネームに頼ってなんとかしようとするのはいつの世も同じで、
浮世絵の版元たちは清太郎に「四代豊国」を襲名するよう繰り返し迫ります。

三代豊国は後継を指名しないまま逝ってしまいましたが、
娘婿である清太郎が後を継ぐのが筋だろうと周囲はみていました。

しかし自分には歌川の看板を背負って立つだけの才能がない、と
清太郎は迷いつつもその要請を固辞し続けるのです。


この小説の大半を占めるのは、
このように清太郎が豊国の名を継ぐかどうか、
逡巡し続ける様だといってもいいでしょう。

もしかしたらこの部分をかったるいと感じる人もいるかもしれません。

でもぼくはこの長い迷いの描写は必要だったと思います。

清太郎が自問自答の迷いのなかにいるかたわら、
徳川の治世は少しずつ終焉へと向かっていきます。

江戸の世が終わりを告げ、
時代が明治になってからようやく清太郎は答えをみつけます。

清太郎がどんなふうに絵描きとしての生涯を終えたのか、
それはぜひ本書で確かめていただきたいと思いますが、
読む者に実に深い余韻を残すエンディングであると申し上げておきましょう。

ここに至るまでの清太郎の長きにわたる逡巡がしっかりと描かれているからこそ、
読者は深い余韻にひたることができるのだと思います。
(この時、「ヨイ豊」という一風変わったタイトルの意味も明らかになります)


果たしてこの清太郎の最期の姿は、
直木賞の選考委員たちにどう受け止められるでしょうか。

小説の市場もかつての浮世絵と同じように終焉へと向かっているように見えます。

浮世絵がかつてのような繁栄をみせることは二度とない。
それがわかっていながら清太郎がとるある行動に、
いまやマイナーな市場となりつつある小説の書き手たちが何を感じるのか。

このあたりが今回の選考会でひとつのポイントとなるような気がします。


最後に。
この作品でぼくがもっとも心を動かされた箇所を挙げておきましょう。


清太郎亡き後、
明治も半ばへと差しかかろうという頃に、
清太郎や八十八のことをよく知るある人物が、
フランス帰りで美術学校で洋画を教えているという薄っぺらい人間を相手に、
当時を振り返る場面が出てきます。

「江戸期の庶民は、美という観念を持たずとも、美しいものを愛した。
美の概念などなくとも、それらを当たり前のように愛でた。
極彩色に彩られた、ただの風景、ただの役者、ただの女たち、を――。
特別なものだと感じていなかった。だからこそ、素晴らしいのだ。
「それこそが、我が国の美であったはずなのです」
だが、それらを愛した大衆たちこそが離れようとしている。
政府の興した近代化の波によって忘れ去ろうとしている。
真に美をわかっていないのは、他の誰でもない、いまのこの国の者たちだ。
(略)
路傍にひっそり咲く花へ眼を向け、きれいだと呟くそうした思いだ。
雨の音を聞き、風に戦き、月を愛で、虫の音、鳥のさえずりに季節を感じる、
日常のすべてを五感で慈しんだ我々の感性は誇るべきものであったはずなのだ。
(略)
なぜ、流れる時に線引きをするのか。新しいものを取り入れる柔軟さを持ちながら、
なぜこの国は、旧いものを恥じ入るように忘れようとするのか」

時代の転換点に立つぼくらに多くのことを教えてくれる作品です。

投稿者 yomehon : 2016年01月12日 17:00