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2016年01月11日

直木賞候補作を読む(1) 『つまをめとらば』

トップバッターは青山文平さんの『つまをめとらば』です。

青山さんは『鬼はもとより』で第152回直木賞の候補作になり、
惜しくも次点で受賞を逃しましたが(受賞作は西加奈子さんの『サラバ!』)、
その後、第17回大藪春彦賞を受賞しています。

「藩札」(その藩のみで通用する貨幣の代用品)という思いもよらない切り口で、
ある貧しい藩の財政の立て直しを描いたこの小説は、
ちょうどアベノミクスが話題になっているタイミングで発表され、
時代小説でありながら現代の経済政策への批判的視点も感じさせる作品でした。

「鬼はもとより」というのは、「鬼と言われるのはもとより承知のうえ」という意味。

現代風にいえば、「痛みを伴う改革」を描いているわけですが、
命がけで藩を立て直そうとする武士たちの覚悟と壮絶な最期には、
読んでいるこちらの居住まいを正すような力がありました。
当時の書評はこちらをどうぞ


経済という斬新な切り口といい、
命を賭して政道と向き合うその迫力といい、
並々ならぬ筆力を持つ時代小説の書き手が現れたものだと驚いたものですが、
その印象のままにこの『つまをめとらば』を読むと、
「あれっ?」と肩透かしを食うかもしれません。


『つまをめとらば』は、
天下泰平の世を舞台に、
さまざまな武家の夫婦のかたちを描いた短編集です。


いつだったか、テレビの深夜番組だったと思いますが、
千原ジュニアさんが男と女についてとてもうまいことをおっしゃっていました。

過去につきあった相手をどんなふうにとらえるかが男と女では違うという話題で、
千原ジュニアさんは「男は横に並べるけれど、女は縦に並べる」と表現していたのです。

つまり男は過去つきあった女性をいつでも思い出せるように並列に並べるけれど、
女性の場合はつねにいまつきあっている男性というのがいちばん前にいる、というのです。

あまりにうまい表現だったので、女ともだちにこの話をしたら、
当たり前のことをいまさら何?みたいな表情で
「そうそう、女はどんどん上書きして過去を消去していくからね」と
そっけなく返されたことをおぼえています。

男からすれば、一時は恋人どうしだったのだから、
別れた後も自分のことを忘れずにいてくれるはずだという思い込みがあるのですが、
当の女性にしてみれば、いまつきあっている相手のことがいちばんの関心事で、
昔のことは「なかったこと」になっている……。

こういう女性が持つある種の精神のタフさを指して、
男どもはよく「女は強いよな……」としみじみ酒を酌み交わしたりするのですけど。


え?話がどんどん脱線してないかって?

いえいえ、そんなことはありません。

要するにこの『つまをめとらば』』は、
「女は強いですよね」と男の視点で語った女性礼賛の作品なのです。


表題作の「つまをめとらば」なんてまさにそう。

互いに女性で失敗した過去を持つ幼馴染の男同士の交流を描いているのですが、
過去にいろいろあった当の女性はいまでは逞しく明るく生きていたりして。

どうなんだろう?
女性読者からするとこの手のお話は。

男からするとお馴染み感のとても強い作品なんですけど、
女性には鼻で笑われそうな気が……。


むしろこの作品集のなかではやや異質な、
男ではない女性の視点で描かれた『乳付(ちつき)』のような作品が際立っていいですね。

嫁いだ先で子を産むも、乳が出ずに悩む女性を描いているのですが、
義理の母の人生の先輩としての深い思慮にもとづいたはからいであるとか、
自分にかわって子に乳を与えてくれる女性の意外な過去であるとか、
「おっぱい」を軸に女という生き物の不思議さに踏み込んだ秀作です。

「女の乳房はけっして一人の女のものではなく、一族の乳房なのでございます」
という乳付の女性のセリフがとてもいい。

人は皆、誰かの乳房で命をつないできたのだという、
女という性の偉大さ、大きさを感じさせるくだりです。


こういう秀作もあるにはあるのですが、
この作品集のテイストをひとまとまりに言うのならば、
男の視点で女を描き、
「女性って偉大だよね」、「男って弱いよね」
と言っている小説、ということになるでしょうか。

武士(つまり男)の世界をがっつり描いた『鬼はもとより』からは百八十度の転換。

さて、選考委員のみなさんはどう判断されるでしょうか。


投稿者 yomehon : 2016年01月11日 15:00

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