« 新しい「誘拐小説」の挑戦 | メイン | 時代の最先端を行く読書ガイド »
2015年11月30日
追悼 水木しげるさん
訃報というのはいつもきまって突然で、
心の準備ができているなんてことはそもそもあり得ないとはいえ、
このたびの水木しげるさんの死去の報には大きなショックを受けました。
子どもの頃から、
水木しげるさんは妖怪の仲間に違いないと信じ込んでいて、
人間の死など超越した存在だと勝手に思い込んでいたものですから、
いまもってお亡くなりになったことが信じられません。
水木さんは日本文化の歴史の上に偉大な足跡を残された方ですが、
自分自身を振り返ってみても確実にその一部は水木さんの漫画によって形づくられてると思います。
水木さんに教えられたこと。
それは、自然界には目に見えないものの存在があるのだということ。
そして、そういう見えざるものたちと、ぼくたちは共存しているのだという世界観です。
鬼太郎やラバウルでの戦争体験を描いた作品などについては、
新聞の追悼記事などでさかんに取り上げられるでしょうから、
ここではそれ以外の読んでおくべき水木作品を紹介することにいたしましょう。
かつてこの国には、
人間と見えざるものたちとが
当たり前のように共存していた時代がありました。
中世です。
水木さんはそういう時代を舞台にした作品をいくつも描いています。
『今昔物語)(中公文庫)は、
日本最大の仏教説話集に材をとった作品。
仏教説話集というのは実に面白いもので、
当時はこういう「お話」のかたちを借りて仏教を布教したのですよね。
なかでも水木さんが選んだお話には、
ちょっとエッチな話やいまで言うストーカーの話もあったりして、
遠い中世が現代と地続きのものとして身近に感じられます。
このように、見えざるものと共存していた中世の人々の生活がいきいきと描かれた作品は、
今年の夏に出版された『水木しげるの日本霊異記』(KADOKAWA)でも堪能することができます。
こちらは日本最古の仏教説話集。
自然界に宿る目に見えないパワーを解き明かそうとした人といえば、
熊野で粘菌の研究に明け暮れた偉人・南方熊楠です。
この知の巨人を飼い猫の視点で描いたのが『猫楠』(角川文庫ソフィア)。
博物学や民俗学、生物学などで業績を残し、
18か国語を操ったといわれる天才・熊楠ですが、
一方で年中裸で過ごすなど数々の奇行でも知られています。
南方熊楠をアカデミックな視点で取り上げた本は数多くありますが、
愛すべき奇人っぷりをここまで生き生きと描いたのは『猫楠』以外ないのではないでしょうか。
まさに奇才、奇人を知るといった趣の作品。
『劇画・ヒットラー』(ちくま文庫)は、
あのアウシュヴィッツに象徴されるナチスの蛮行が詳しく描かれていないことで
よく批判される作品です。
でも、ここで水木さんがやろうとしているのは、
ヒトラーという無名の貧乏画家がいかに独裁者に成り上がったかを描くこと。
その背後で働いていた運命というみえない力をつかまえようとしたのがこの作品なのです。
美術学校への入学が叶わず、
浮浪者の施設に入所して細々と絵を売っていたヒトラーに、
水木さんは極貧時代の自分自身を重ね合わせているかのよう。
ここにあるのは、「ヒットラーは自分だったかもしれない」という視点。
ごくごく平凡な人が殺人という行為に手を染めてしまう戦争の恐ろしさを
身を持って体験した人ならではの視点なのです。
水木しげるさんの見えないものに対する感性はいかにして生まれたのか。
その秘密が描かれたのが名作『のんのんばあとオレ』(ちくま文庫) 。
故郷・境港で水木少年に妖怪話を語って聞かせた「のんのんばあ」。
この「のんのんばあ」自身も病気の人の快癒を願う「拝み手」でした。
生きとし生けるものはもちろん、
この世では目に見えないものたちもすべて、
大いなる自然のサイクルの一部なのだということ。
いま世界が向かおうとしている先には暗い雲が待ち構えていますが、
だからこそ、水木しげるさんが教えてくれた世界観は、
今後ますます重要性を増してくるのだと思います。
それにしても、紙芝居からはじまって貸本漫画、少年漫画雑誌と、
まさに漫画界の発展とともに歩んでこられた水木さんがお亡くなりになったことに、
ほんとうにひとつの時代が終わったのだと実感させられました。
水木しげるさんの作品は、
調布の深大寺門前にある「鬼太郎茶屋」の品揃えが充実していておすすめです。
こんどの週末にでも足を運んでみてはいかがでしょうか。
投稿者 yomehon : 2015年11月30日 20:23