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2015年11月18日
正義のもうひとつの顔
いつも年末になると、
その年のやり残したことばかりに目がいって焦ります。
本の紹介もそのひとつ。
今年も素晴らしい本との出合いがたくさんあったにもかかわらず、
この場でいくらも紹介できないままに今年が終わってしまいそうです。
でも、どうしてもこれだけは紹介しておきたい一冊があるんです。
それが、柚月裕子さんの『孤狼の血』(KADOKAWA) 。
これ、まもなく発表されるであろう年末恒例のミステリーランキングで、
1位をとるかとらないかというくらいの出来栄えです。
つまり今年を代表する作品というわけ。
舞台は昭和も終わろうかという頃の広島県呉原市(呉市をモデルにした架空の街)。
呉原東署で暴力団担当の班長を務める大上章吾巡査部長は、
これまでに警察庁長官賞をはじめ数々の受賞歴を誇る反面、
訓戒などの処分を受けた数もこれまた数知れずという刑事です。
この凄腕かつトラブルメーカーというアクの強い人物のもとに配属されたのが、
広島大学出身の若手刑事・日岡秀一。
読者はまず冒頭から
暴力団担当の刑事の世界がどういうものか思い知らされて驚くはず。
なにしろ配属初日に日岡に大上が命じるのが、
パチンコ屋でみかけたヤクザに因縁をつけろということなのですから。
ケンカを職業にしているヤクザ相手ですから
当然、日岡は健闘も空しくやられてしまう。
ここでおもむろに大上が登場して、ヤクザを締め上げ、情報を得るのです。
なんて最低な人物でしょう。
またなんと理不尽な世界なのか。
しかし大上に言わせれば、
上の者が白を黒だと言えば
絶対に従わなければならない縦社会に住むヤクザを相手にしているのだから、
刑事の側も理不尽な世界に身を置いて当然だという理屈になるのです。
マル暴刑事といえば、
暴力団に深く食い込むために、
暴力団以上に強面というイメージがありますが
大上はその典型的な人物として読者の前に登場します。
(実際にはマル暴担当にもいろいろな人物がいます。
詳しくは森功さんのノンフィクション『大阪府警暴力団担当刑事』をどうぞ)
要するに、読者の大上に対する第一印象は「最悪」ということですね。
ただ、この小説の最大の魅力は、
そんな最悪で最低な大上の人物像が、
読み進むうちに変わってくるということなんです。
物語の舞台となる呉原市では、
戦前から一帯を仕切る昔気質な尾谷組と、
最大勢力の五十子会傘下の加古村組が小競り合いを繰り返していました。
ある時、加古村組系列の金融会社の経理担当者が失踪したことがわかり、
大上と日岡がその行方を追い始めたことから事態が動き始めます。
過剰なまでに尾谷組に肩入れする大上。
やがて尾谷と加古村の小競り合いは本格的な抗争へと発展するのでした――。
広島といえば、すぐにみなさんが思い浮かべるのが、
『仁義なき戦い』ではないでしょうか。
本書の作品世界はそれに『県警対組織暴力』をプラスしたような感じ。
(作者もその2作品がお好きだとどこかで語っていらっしゃいました)
この両作品を手がけた名脚本家・笠原和夫さん的な世界は、
若い頃にヤクザ映画に魅せられたような年配の読者にとってはたまらないでしょうね。
もっと言えば、
暴力団に地元メディアが立ち向かった記録
『ある勇気の記録 凶器の下の取材ノート』中国新聞社報道部(現代教養文庫)も
ぜひ古書店で探して読んでいただきたいと思います。
さて、抗争の火蓋が切られたなか、
尾谷組の側に立とうとする大上の真意はどこにあるのか。
抜き差しならない状況のもと捜査を続ける大上の姿を追ううちに、
読者は次第に、自分たちが抱いていた正義についての観念が
揺らいでいることに気づかされるはずです。
そこにあるのは、青臭い、学級委員的な正義とは対極にある
「裏の正義」とでも呼ぶべきもの。
毒をもって毒を制するかのような正義なのです。
同時に、当初は最低のクズにみえた大上が、
人間味あふれる人物にみえてくるから不思議です。
これぞ作家の技で、
柚月裕子さんの見事な筆力には惜しみない拍手を送りたい。
優等生的な正義からいえば、
「大上のような汚れた刑事なんてトンデモナイ」ということになるのでしょうが、
校則手帳に書いてあるようなきまりごとだけで世の中が回れば苦労はありません。
実際には世の中にはとんでもない悪い輩がたくさんいるわけで、
そういう連中と渡り合っていこうと思えば、
こちらの手だってキレイなままでいられるわけがないということなのでしょう。
要するに世間知らずな優等生には読んでも理解できない作品ということですね。
「汚れっちまった悲しみ」を知る大人の読者にこそ、ぜひ手にとっていただきたい。
あ、あと、この作品は頭からお尻まで、構成にも気配りが利いています。
冒頭と最後のシーンで出てくるZIPPOのライターの使い方の巧さ!
思わず「そうだったのか!」と唸ること請け合い。
こうした粋な小道具の使い方も、大人の小説には欠かせない要素なのです。
投稿者 yomehon : 2015年11月18日 20:01