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2015年10月04日
誰にも邪魔されずに飯を食うということ
社会人になって心からよかったと思うことがひとつだけあります。
それは自分のお金で好きなものを食べられるようになったこと。
かつかつの生活だった学生時代は行けるお店も限られていましたが、
社会人になって可処分所得が増えるとお鮨屋さんにだって行けるようになります。
誰にも邪魔されずに好きな店へ行けることが嬉しくてうれしくて、
毎日まいにちいろんな店に足を運びました。
居酒屋、レストラン、定食屋、バー。
考えてみれば、
かなりの時間をひとりそうしたお店で過ごしてきました。
もっともぼくの場合、調子に乗って行き過ぎたものだから、
いい年になったいまも相変わらずあっぷあっぷで生活している有様なのですが。
まぁでもお金は貯まりませんでしたが、
長いこといろんなお店に足を運んでそれなりに学んだことはあります。
原作・久住昌之、作画・谷口ジローのコンビによる『孤独のグルメ』を初めて読んだとき、
ぼくが漠然と大切に感じていたことが明瞭に描かれていて嬉しくなったことをおぼえています。
『孤独のグルメ』は、輸入雑貨商の井之頭五郎が、
いろいろな街の飲食店で飯を食う様を描いたマンガ。
松重豊さん主演のドラマをご存知の方も多いでしょう。
(そういえばいよいよシーズン5が始まりましたね!)
この本の第12話で、五郎はある街の洋食屋に入ってハンバーグランチを注文します。
ところがこの店の親父はつねにイライラしていて
アルバイトの留学生の要領の悪さを口汚く罵ったりします。
(こういう店、時々みかけますよね。なぜか夫婦でやってて奥さんに辛くあたるパターンが多い)
で、アルバイトに手をあげるに及んで、
「人の食べている前で、あんなに怒鳴らなくたっていいでしょう」
ついに五郎の堪忍袋の緒が切れるのです。
凄んできた店の親父にここで五郎が言うセリフがいいんですね。
「あなたは客の気持ちを、全然まるでわかっていない!」
「モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず自由で、
なんというか救われてなきゃダメなんだ」
「ひとりで静かで豊かで……」
その通り!
ここで井之頭五郎の言っていることは、
ひとりで食事をすることの豊かさを的確に表現していて実に正しい。
もっとも店の親父は
「なにをわけのわからないことを言ってやがる。出ていけ。ここは俺の店だ」
と五郎にまで手をあげたところを逆に締め上げられてしまうのですが。
ひとりで好きなものを食べること。
やや大げさに言うならばそれは、
日常のなかで「自分は自由なのだ」ということを確認できるささやかな機会だといえるでしょう。
その貴いひとときをもたらしてくれるのが、
ちゃんとした料理人が心をこめてつくってくれた料理なわけで、
だからこそ客は「ありがとう」のひとこととともに代金を支払うのです。
大切なのは、お客もお店も対等だということ。
よく「俺はお客様だぞ」と横柄にふるまうヤツとか
「ここは俺の店だ」と客に偉そうな口をきく店主がいますけど、
若い人たちはそういうバカな大人にだけはならないようにしましょうね、ダサいから。
『孤独のグルメ』の「孤独」という言葉に、
なんとなく寂しいイメージを感じる人もいるかもしれませんが、
そんなことはありません。
孤独というのは、実はとても豊かなものでもあります。
テレビ版の『孤独なグルメ』で、
五郎が食べているときの脳内セリフがどれだけ饒舌なことか。
寂しいなんて思いが一瞬たりともよぎる暇なんてあろうはずもなく、
頭のなかは目の前の美味いモノのことでフル回転。
言わばそれは、たんなる食事が、
豊かな体験へと変化していくプロセスだといえるでしょう。
好きなときに、
お気に入りの店で、
誰にも邪魔されずに好きなものを食べる。
それがどれほど豊かな行為か。
『孤独のグルメ』がこれほどまでに支持されるのは、
読者がそこに自由の貴さを見出しているからではないでしょうか。
このほど18年ぶりに『孤独のグルメ2』(扶桑社)が刊行されました。
井之頭五郎は相変わらずで、
こんどは飲めない部下に酒を強いるパワハラ上司に黙っていられず、
大立ち回りを演じてしまいます。
変わらないなぁ。
でもこれは五郎が正しい。
何人たりとも他人に飲み食いを強制されるいわれはないのだ。
『孤独のグルメ』シリーズは、
食事という日常のごく平凡な営みを通じて、
ぼくらの社会の根幹をなすもっとも基本的なコンセプトである
「自由であることの価値」に気がつかせてくれる傑作。
社会がどんどん自由を制限する方向へと向かっているいまだからこそ、
読んでいただきたい作品です。
投稿者 yomehon : 2015年10月04日 13:55