« 直木賞候補作を読む(3) 『永い言い訳』 | メイン | 直木賞候補作を読む(5) 『流』 »

2015年07月11日

直木賞候補作を読む(4) 『アンタッチャブル』


候補作も4作目に突入。

馳星周さんの『アンタッチャブル』(毎日新聞出版)です。

馳さんといえば、やはり『不夜城』のような「暗黒小説」(ロマン・ノワール)の
書き手という印象が強いのですが、この作品は意外にもコメディ。
まずそこに驚かされました。


で、興味津々読み始めたのですが、
なるほど、この小説は、以下のような公式で読み解けるようです。


『相棒』 × 『イン・ザ・プール』 = 「お笑い公安小説」

容疑者を追跡中に一般人をはねて植物状態にしてしまうという大きなミスをおかし、
捜査一課から左遷された宮澤が配属されのは、まったくの畑違いの公安部。

しかもそこで待っていたのは、公安のアンタッチャブルと言われる椿警視でした。

警視庁公安部外事三課に籍を置く椿警視は、エリート中のエリート。

父は外務省のキャリア官僚で豪邸に暮らすお金持ち。
東大法学部を首席で卒業し、国家公務員Ⅰ種試験もトップ合格。

全国約29万人の警察職員を統括するわずか500名ほどのキャリアの中でも
別格の毛並みの良さと頭脳をあわせ持ち、ゆくゆくは警察庁長官も間違いなしと言われた人物です。


ね?
ミスをした捜査官が閑職に追いやられたかと思ったら、
そこにいたのが警察組織きってのエリートという設定。
これがまず『相棒』を彷彿とさせるでしょ。

ただこの椿警視、杉下右京のようなスマートな人物とは程遠いんですよね。

妻の浮気がきっかけで離婚したことから人格が崩壊、
いまは常に妄想にとらわれたイカレた人物として、公安内でも持て余されています。

他人の都合もかえりみず、無理難題を押し付けたり、傍若無人にふるまったりする椿をみていて、
「あれ?この感じどっかで……」と既視感をおぼえてよくよく考えてみると、
これって奥田英朗さんの『イン・ザ・プール』の主人公、
人格が破たんした精神科医・伊良部一郎にそっくりでした。

物語は、椿が独自の情報源から、
北朝鮮の大物スパイが日本に潜入しているという情報を入手し、
宮澤が巻き込まれていくという展開に。

ストーリーの本筋は、北朝鮮スパイをめぐるコンゲーム。
(コンゲームというのはストーリーが二転三転する犯人との追いかけっこのような小説のこと)

そこに、宮澤が公安上層部から椿の行動を監視しろと命じられたり、
植物状態にしてしまった一般人の娘・千沙とのからみがあったりで、
物語はさらに派手に、そして賑やかに転がっていき、
ラストでは意外などんでん返しを迎えるのです。


先日、読売新聞の読書欄で、
奥田英朗さんが特集されていたのですが、
その中で奥田さんが珍しく自作について語っていて、
『イン・ザ・プール』ことを、「余技」だとおっしゃっていたのが印象的でした。

ちなみに奥田さんはこのシリーズ2作目の『空中ブランコ』で直木賞を受賞しています。

奥田作品に親しんできた者からすれば、当時「なんでこの作品が?」と疑問に思ったものです。
「代表作は他にあるじゃないか」ということですね。

でも直木賞というのは、よくこういうことがあるんです。

これまでのキャリアからすれば、とうに授賞していなければおかしい相手に、
タイミングを逸してしまって、まったく的外れの作品で賞を与えてしまうということが。


普段、本をあまり読まないような人が、
直木賞をきっかけに初めてその作家に興味を持ってくれたのに、
受賞作を代表作であると勘違いしてしまったらどうしよう……。

余計なお世話と言われるかもしれませんが、
昔からその作家を追いかけてきた者からすると、
そういうことまで心配してしまうんですよね。

この『アンタッチャブル』にも、まさしくそういう心配をしてしまうわけです。

馳さんはこれで6回目の直木賞候補。

どうみても『アンタッチャブル』は、馳さんが楽しみながら、「余技」で書いたものとしか思えません。

もしこれで受賞したら、
日本を代表する「暗黒小説」の書き手の受賞作がコメディということに……。

そんなの、あり???

投稿者 yomehon : 2015年07月11日 22:39