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2015年07月08日

直木賞候補作を読む(3) 『永い言い訳』


では3作目まいりましょう。

西川美和さんの『永い言い訳』

ご存知のとおり西川美和さんはすぐれた映画監督でもあり、脚本家でもあります。
『ゆれる』(06年)なんてゼロ年代の邦画を代表する傑作じゃないかと思いますね。


ぼくはこの『永い言い訳』を帰りの電車で読んでいたのですが、
駅で降りたところで残った最後の数ページを、そのままホームのベンチに座って読み続けました。

読み終えて目をあげたときに景色が煙ってみえたのは、
そぼ降る雨のせいばかりじゃなかった。

気がついたら、泣いていました。

ただでさえ梅雨の長雨で鬱陶しいのに、
デブの中年男がベンチで泣いている光景は
さらに輪をかけて鬱陶しいものだったに違いありません。

でもこの作品は、それだけ読むものの心を揺さぶる力を持っている。
実に素晴らしい小説です。

ここでみなさんにひとつ質問を。

あなたは過去の自分のことを好きですか?それとも嫌いですか?

ぼくは大嫌い。

もし時間をさかのぼれるなら、あの時代のあの時に戻って、
自分の首根っこをつかまえて、とことんぶん殴ってやりたいと本気で思う、
そんな消したい過去が山のようにあります。

人生とは、後悔が積み重なったものであり、
生きるとは、大切なことにいつも手遅れになってから気づくことではないでしょうか。

この小説を読んでいるときにぼくは、
そのような過ぎ去った時間への取り返しのつかない思いを何度も呼び覚まされました。

主人公は「津村啓」というペンネームを持つ流行作家の衣笠幸夫。
(あの鉄人・衣笠祥雄さんと同じ名前。この仕掛けは主人公のキャラ付けにうまく活かされています)

幸夫の性格は屈折していて、自分のことにしか関係がなく、他者とうまく関係が結べません。

大学時代に知り合った美容師の妻がいますが、ふたりの関係は冷え切っています。

そんな折、親友とバス旅行にでかけた妻が突然事故で亡くなってしまうのです。


流行作家の妻が事故に巻き込まれたとあって世間の注目が集まり、
そんな世間体との折り合いをつけることにばかり頭がいく幸夫。
カメラの前で哀しみの演技をしつつ、その裏では、
妻の死を心から悲しめず、涙を流すこともできずにいました。

ある時、バス会社の説遺族向け説明会の席で、
幸夫は感情をあらわにバス会社に食ってかかる大宮陽一という人物と知り合います。

誰あろうこの陽一こそが、妻とともに事故の犠牲になった親友の夫だったのです。

長距離トラックの運転手をしている陽一には、小6の息子・真平と4歳の娘・灯がいました。

被害者同士が親友だったという縁で、
互いに面識のなかった幸夫と大宮家のあいだに交流が生まれます。


これまでまったく違った環境にいた両者のぎこちない交流を、
作者は時に優しく、時に残酷な視点でもって描き出していきます。

作中に配置したいくつものエピソードの中で、
大の大人がみせる卑小さであったり、子供の驚くような大人びた内面であったり、
普段の生活ではそこまで人がみせないようなこと、見落としがちなことを丁寧に掬い取っていくのです。

両者の経済的な格差から生じるささいなすれ違いに胸を痛め、
他人とうまく関係を結べない幸夫が
子供たちと関わることで変わっていく場面に鼻の奥をつんとさせ……というように、
作者に導かれて泣いたり、笑ったりしているうちに、
やがてひとつの事件が起き、物語は思ってもいなかった方向へと舵を切ります。


もちろんここでストーリーの詳細は明かせませんが、
ひとつだけ言えるのは、この物語は、
「大切な人の死がきっかけで出会った両者のあいだに新たな絆が生まれる」
というようなありがちな展開にはとどまらないということ。


万感迫るラストから伝わってくるのは、
「人生は他者そのものだ」という作者のメッセージ。

大切な誰かとの別れを経験した時、人はいつも
「もっとこうしてあげればよかった」とか、
「あの時あんなことを言わなければよかった」と後悔の念に駆られます。

大切なことに気がつくのは、いつも手遅れになってから。

でもだからといって、別れがすべて美化されるかといえば、それも違うと思うのです。

ひどい言葉をぶつけてしまった相手がそのまま帰らぬ人になってしまったり、
謝るきっかけを失ったまま二度と会えない関係になってしまったり……。

そのようなことは世の中にはままあることです。


「別れ」がいつも切なくて、甘酸っぱいものであるとは限りません。
むしろキレイごとではない別れのほうが多いのではないか。

この小説は、そういった「みっともない別れ方」というか、
別れに際してじたばたとあがくしかない人々を真っ直ぐに見つめた作品なのです。

後悔はもう取り返しがつかないけれど、
でも一方で、人はまた、生きている他者ともともにあるのです。
他者がいるからこそ、悲しみの中にあっても人は踏みとどまることができるのです。


「あのひとが居るから、くじけるわけにはいかんのだ、と思える『あのひと』が、
誰にとっても必要だ。生きて行くために、想うことのできる存在が。」(306ページ)

人間の愚かさと美しさを、真摯に描いた素晴らしい作品。

もし選考委員のどなたかがケチをつけるとすれば、
作中、視点人物が頻繁に切り替わる箇所があるところかもしれません。
でもそれも、映画におけるカットの切り替えのようなものだと思えばなんということもない。

そんな瑣末なことで、この小説の価値はいささかも揺るがないと思います。


投稿者 yomehon : 2015年07月08日 17:08