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2015年03月11日
ハードボイルドな鬼平
本ほどではないにせよ、
CDも毎月それなりの枚数を購入します。
ここ数年、よく買うようになったのがカバーアルバム。
いまやいちジャンルを形成しているといってもいいカバーアルバムですが、
出来不出来の差がはっきりしているところがとても面白いですね。
たとえば、
アレンジはそのままで歌い手だけ違うというケースを考えてみるとよくわかります。
これではただのカラオケですよね。
わざわざお金を出して買うほどではありません。
カバーの醍醐味というのは、
アーティストがその曲をいかに再解釈したかにあります。
広く知られた名曲が、
アーティストによって咀嚼され、消化されて、
まったく別の曲に生まれ変わる。
「この曲にはこんな聴き方もあったのか!」とか、
「この曲はこんな顔も持っていたのか!」といったような
耳からウロコの音楽体験ができるところが、
カバーというジャンルの魅力ではないでしょうか。
優れたカバー曲を聴いたときのような読書体験を味わえるのが、
逢坂剛さんの『平蔵狩り』(文藝春秋)です。
オリジナルは言わずと知れた池波正太郎の傑作シリーズ。
小説は読んだことがなくても、中村吉右衛門さん演ずる鬼平に親しんだという人も多いでしょう。
原作とテレビドラマ、どちらの鬼平も、
悪には苛烈なまでの厳しさをみせる一方で、
情に篤く、世事や粋な遊びにも通じた器の大きな人物として描かれています。
ちなみにシリーズ中、個人的にもっとも好きな作品をあげるならば、
なんといっても、「むかしの男」( 『鬼平犯科帳』3巻所収)ですね。
妻・久栄の過去の男をめぐるエピソードで、
鬼平の男としての度量の大きさが存分に描かれています。
(読むたびに「男子たるものかくあれかし」と思うのですが、
哀しいかなヨメからは「器の小さな男」という言葉を何度投げつけられたことか・・・・・・)
ともかく鬼平は、キャラクターの魅力ということでいえば、
わが国のエンターテイメント小説のなかでも屈指の存在といっていいのではないでしょうか。
これほどまでにキャラの立った鬼の平蔵をカバーしようというのですから、
逢坂さんのプレッシャーたるや、相当なものがあったのではないかと推察します。
ではその試みは結果的にどうだったか。
逢坂版の鬼平第一作『平蔵の首』を読んだとき、
ぼくは逢坂さんは見事にこの勝負に勝ったと思いました。
池波正太郎の生み出した長谷川平蔵というキャラクターをカバーするにあたって、
逢坂さんが選んだ手法は「ハードボイルドな鬼平を描くこと」でした。
切り詰めたシャープな文体であるとか、粋な台詞であるとか、
ハードボイルド小説の特長はいろいろ挙げられますが、
もしその手法をひとことでまとめよと言われたら、
それは「人物の内面を描かない」ということに尽きます。
行動や言動だけをもって、主人公を客観的に描写していく。
怒りに震えるとか感傷に浸るといったような、
主観的な描写を徹底的に排するとなると、
血の通わない、なんとも冷たい作品が
出来上がるかのように思われるかもしれませんが、
意外や意外、内面描写をしないことでかえって、
その作品はなんともいえない情趣を帯びるのです。
哀しい出来事を前に主人公が黙しているにもかかわらず、
読者の側で勝手に「心の中で泣いている!(に違いない)」と想像するというか。
池波版の鬼平をカバーするのに逢坂さんが選んだこの手法は、まさに逆転の発想でした。
逢坂版の平蔵は、悪人には顔をみせません。
悪人がその顔を拝んだ時はすなわち死ぬときなのです。
素晴らしい!
実にシビれる設定ではありませんか。
ハードボイルドの手法を選んだ結果、
同じ器のデカさでも、池波作品とは違って、
底の見えないスケール感というのでしょうか、
肚の内が見えないだけに、時として不気味さすら感じさせる新たな平蔵が出来上がりました。
逢坂剛さんはこのシリーズ二作目となる『平蔵狩り』で、
エンターテイメント小説界最高峰の文学賞である
第49回吉川英治文学賞を受賞しました。
逢坂さんのキャリアからすれば、
これまでに受賞していなかったことが意外ですらあります。
しかもただの受賞ではありません。
表紙や挿絵をお描きになっている御年104歳の中一弥さんは、逢坂さんのお父様。
昨年、吉川英治文学賞の文化賞を受賞されていて、初の親子受賞となりました。
しかも、お父様は池波正太郎の『鬼平犯科帳』の挿絵も描いていらっしゃるうえに、
池波さんも鬼平で吉川英治文学賞を受賞しているのでした。
長谷川平蔵というキャラクターがとりもつ不思議な縁。
逢坂版の平蔵シリーズも末永く続いて欲しいと思います。
投稿者 yomehon : 2015年03月11日 16:00