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2015年01月24日

文学と「土地」の力  芥川賞『九年前の祈り』


小野正嗣さんが『九年前の祈り』(講談社)で芥川賞を受賞されました。
あらためておめでとうございます。

お目にかかったことはないのですが、
同い年で同郷ということもあって、なんとなく親しみをおぼえて
デビュー当時からずっと彼の作品は追いかけてきました。


印象的だったのは、記者会見で小野さんが、
土地の力に言及されていたこと。
小野さんはこんなことをおっしゃっています。

「小説は土地に根ざしたもので、そこに生きている人間が描かれると思うんです。
あらゆる場所が物語の力を秘めている。それを切り取って書くことが、普遍的な力を持つと。
世界の優れた文学は、個別の土地や人間を掘り下げて描くことで普遍的になっていると思います。」

小説の秘密に触れるとても重要な発言です。
自分にとって物語が湧き出てくる泉はどこにあるのか。
小野さんは率直に述べています。

と同時に、小野さんの言っていることはとてもよくわかる、と思いました。
彼の生まれた土地をぼくも知っているからかもしれません。


小野さんがここで話題に挙げている「土地」のことを、
批評の世界では、場所を意味するギリシア語で「トポス」と呼びます。
専門的な細かい定義は措いておいて、
とりあえず「意味が生成される場所」というくらいにとらえておいてください。

みなさんがよくご存知の作家も、
自分だけの特権的なトポスを持っています。

大江健三郎さんにとっては「四国の森」がそうだし、
故・中上健次さんにとっては「路地」がそうです。

いま合作の『キャプテンサンダーボルト』が話題になっている
伊坂幸太郎さんにとっては仙台がそうだし、
阿部和重さんにとっては、山形の神町がそれにあたるでしょう。


それぞれの作家の作品を思い浮かべれば、
トポスが作品にどのような影響をもたらしたかがイメージできるのではないかと思います。

では、小野さんの作品に、土地の力はどのように作用しているのでしょうか。


小野さんの出身地は、大分県南部にある蒲江(かまえ)というところ。
小野作品には「浦」という名称でしばしば登場しますね。
いまは佐伯市と合併しましたが、昔は南海部郡蒲江町といいました。
リアス式の海岸線に囲まれた小さな入り江の町で、真珠の養殖などで知られています。

同じ大分でも、ぼくは山のほうで、久住高原にほど近い山間の町で生まれました。

海と山、場所は違えど共通しているのは、まわりの住民が全部顔見知りだということでしょう。

お互いの家族構成はもとより、
誰それの奥さんがこれこれこういう理由で家を出て行ったとか、
あそこのお祖父さんは昔集落に用水路を引くのに尽力したとか、
各家庭の内情から一族の歴史に至るまでがみんなに共有されているのです。


ずいぶん前のことになりますが、ヨメを初めて実家に連れて行った時、
近所の畑で作業をしているおばちゃんやら道路の補修工事をしているおじちゃんやらが、
じぃーっとこちらを見るのを、ヨメが気味悪がったことがあります。

都会育ちのヨメからすれば無理もありません。

「見慣れない人が来た」というのは、彼らにとってはとても珍しいことで、
実は悪意などまったくなく、ただただ興味をもって見ているだけなんですけどね。

都会ではごく当たり前である匿名性がここでは成り立たないのです。


このように地縁・血縁関係が濃密にからみあって、ひとつの磁場を形成していること。

そこで暮らしてきた人々の記憶が、積もり積もって豊かな土壌をなしていること。

単なるいち行政区画であることを超えて、
その土地には、その土地固有の「土着的な力」としか言えないようなパワーが働いているのです。

ここで、人々をその土地に結び付ける役割を果たすのが、言葉=「方言」です。


時折、大分の方言について訊かれることがありますが、
みなさんいかにも九州男児の遣いそうな言葉という先入観をお持ちのようで、
「~たい」とか「~ばい」といった語尾をイメージしていることがほとんど。

ところが大分の方言はまったく違って、
語尾は「~やろ」とか「~やんか」、「~っちゃ」という感じ。

余談ですが、ぼくは関西へ行くと、わりと関西弁に感染しやすいです。
たぶん語尾がちょっと似ているからだと思いますが。


小野作品の中で登場人物が発する方言は、
漁師町ということもあるのでしょうが、大分弁のなかでもややワイルドなような気がします。


でもだからこそ、これらの言葉には、その土地の個性が強烈に刻印されている。
その独特の方言を聞くだけで、浦の風景をたちまち想起させられる。
方言にはそういうパワーがあります。

また方言と言うのは不思議なもので、生理的な部分に響いてきます。
理ではなく、情の部分に響く言葉が、人々の集合的無意識を結びつけているのです。

『九年前の祈り』のストーリーはシンプルです。

都会でカナダ人の男と暮らして、男の子を授かったものの、
捨てられて母子ともども故郷へと戻ってきたさなえ。

息子の希敏(けびん)は、
父親に似て美しい顔をしていますが、
発達障害を抱えているらしくコミュニケーションがとれません。

精神的に不安定で、気に入らないことがあると、
腕の中で「引きちぎられたミミズがのたくる」ように暴れる希敏。

物語は、知り合いのみっちゃん姉の息子が脳を患って入院しており、
見舞いの品として近くの島まで貝を拾いに行くことになったこと、
そしてそこに、かつてみっちゃん姉をはじめとする土地の女たちと
カナダへ旅行した回想などが挟まりつつ進行していきます。


この小説はとても豊かな言語空間を持っています。
まず、カナダ旅行で描かれる女たちのけたたましく方言が飛び交う場面が素晴らしい。

たとえば、町に留学生としてやって来たジャックがガイド役を務め、
レストランでケベックの郷土料理を女たちにふるまう場面をみてみましょう。


「ジャックさん、こりゃ何な?」とすみ姉がジャック・カロ―に尋ねた。山盛りのフライドポテトの上に
茶色いソースととろりと溶けたチーズがたっぷりかけられていた。「なんかーい、この泥水のような
もんは?」とふっちーが声を上げた。「泥水っちゅうか腹でも下したときの大便のようにあるな」と
みんなの気持ちを代弁してすみ姉がささやいた。「気持ちわりぃのぉ。こげなもんが食わるるん
かーい?」
(略)
「それにしたって見た目が悪いわ、この料理は」
「ほんとに食わるるんかーい?」
目の前に鎮座した気味の悪いソースがかかった食べ物そのものに尋ねるように、
ふっちーが言った。明らかにカロリー過剰なその料理はもちろん返事をしなかったが、
そこに注がれていた視線が瞬時に、ふっちーに向けられた。その視線に気づいたふっちーは、
そんな必要もないのに、みんなの期待を裏切れずに叫んだ。
「食われん、食われん!あたしゃ、こげなもんを食うたら、まーた肥えてしまう!」
驚いた鳥の群れが一斉に舞い上がるように笑い声が上がった。そこに屈託なく加わった
ジャックが実に見事な方言で言った。
「しゃーねー!しゃねーが!」


ちなみに最後の「しゃーねー」という方言は、「大丈夫」という意味。
(似た方言で「しゃーしー」というのもあるんですが、こちらは「うるさい」という意味になります)

おばさんたちが肥ったからだを揺すりながら笑っている。
にぎやかな食卓の描写です。

どうですか?
なんというか、とてもおおらかな光景だと感じませんか。

ちょっとおおげさに思われるかもしれませんが、
ぼくは神話の神々がにぎやかに酒盛りをしている光景を目にしているような気がしました。


さなえは、希敏と生きていくことに不安をおぼえています。
その不安との対比で、こういう場面が描かれているように思います。


あまりメタフォリカルに作品を読み解き過ぎるのもどうかと思いますが、
女たちの会話の場面で、「鳥の群れが一斉に飛び立つように」とあることに注意しましょう。
「引きちぎられたミミズ」のようになってしまう希敏との対比がここにはあります。


屈託なく楽しそうにさえずる鳥と、身を引きちぎられたようにのたうつミミズ。
自由に空を舞うものと、地を這うもの。
空と地の対比。

さなえはこの先もずっと、
地を這うように暮らしていかなければならないのかと不安をおぼえ
空を見上げているとも言えるわけです。

そして彼女たちとの旅行を思い出す過程で、
さなえは少しずつ恢復への階段を上がり始めている。
まだ本人は気がついていないけれど、「土地の力」がゆっくりと作用し始めているのです。


物語の白眉は、
貝を拾うために渡った島で、さなえが希敏を置き去りにする場面でしょう。

ちょっとここは幻想的な描写になるんですが(この手の描写は小野作品の特長でもあります)、
追い詰められた人間が魔が差したかのような行動に出てしまう瞬間や、
息子を捨てたことで思いもよらず解放感を感じてしまうところなどが巧みに描かれます。
それから、さなえの内面に訪れるある決定的な変化も。


古いお寺などで「胎内めぐり」ができるところがありますよね。
真っ暗な通路を進んで、地上に出ることで、
もういちど生まれる瞬間を体験するという。

さなえにとっては、島を訪れた時間がこの「胎内めぐり」のようなものでした。

ずっと悲しみが感情のベースにあったさなえが、
悲しみから切り離され、それを客観的に見ることができるようになる。
そこを描いたラスト1ページの描写は特に素晴らしい。

人間は劇的に変わることもあるけれど、
そうではなくて、ゆっくりと静かに生まれ変わることもあるのです。

そうしたさなえの内面を変化が、静謐に描かれていて胸を打たれました。

小野さんはこれからどんな作品を描いていくのでしょうか。


いまから十年以上も前のことになりますが、
スタジオ・ジブリの鈴木敏夫さんにインタビューをしたことがあります。

その時もっとも印象に残ったのは、
宮崎駿監督はじめ、ジブリのみなさんは、
「半径3メートルのことをとても大切にしている」というお話でした。

半径3メートル。
つまりは日常生活です。

作品のテーマもすべてそこから見つけるのだと。

そして、半径3メートルでみつけたものだからこそ、世界中の人の心にも響くのだと。


小野さんが記者会見で「土地の力」に触れたのを目にした時、
ぼくが思い出したのは、この鈴木敏夫さんの言葉でした。

真にローカルなものだけが、グローバルたりうるのです。

小野さんには、これからもずっと、
あの海辺の小さな町の物語を書いていただきたい。

あの近代化や都市化からは取り残されたような小さな、けれど美しい町から、
いつの日か、世界文学が生まれることを願ってやみません。


投稿者 yomehon : 2015年01月24日 08:17