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2015年01月13日
直木賞候補作を読む(5) 『悟浄出立』
「近代日本文学史のなかで天才だと思う作家をひとりだけ挙げよ」
と問われたら、どんな作家の名前が挙がるでしょうか。
たぶん人それぞれ、答えは異なることでしょう。
では、「3人挙げよ」と言われたら?
まず間違いなくこの人の名前は入るのではないでしょうか。
誰あろう、
中国古典と近代文学を融合させた天才・中島敦です。
万城目学さんの『悟浄出立』(新潮社)を読んだときに思ったのは、
「ああ、万城目さんは中島敦がやりたかったのだなぁ」ということでした。
万城目作品いえば、鹿やひょうたんがしゃべったり、大阪国が日本から独立したり、
山田風太郎の系譜に連なるかのごとく奇想天外な作風でお馴染みの作家。
そんな万城目さんが、中島敦の衣鉢を継ごうというのです。
さて、どんな作品を書いたのでしょうか。
『悟浄出立』は、5つの短編からなっています。
どの話も独立していますが、全体を貫く共通コンセプトはあります。
まず、中国の故事に材をとり、それを語り直すということ。
そして、いずれも脇役にスポットを当てるということ。
表題作の『悟浄出立』をみてみましょう。
タイトルから想像がつくとおり、この作品の主人公は沙悟浄です。
沙悟浄といえば、中国古典を代表するトリック・スターである孫悟空は言うに及ばず、
デブキャラで愛される猪八戒と比べても、なんとも影の薄い存在。
いつも真っ先に妖怪につかまってしまうのがお約束で、
物語の中では傍観者的な地位に甘んじているキャラクターです。
『悟浄出立』は、そんな沙悟浄が、
猪八戒とのあるやりとりをきっかけに、
傍観者であることをやめ、
自分を変えるための小さな一歩を踏み出すというストーリー。
「まず一歩踏み出してごらん。きっと景色が変わるよ」
そんなふうに迷いや悩みを抱えた読者の背中をそっと押してくれるような作品です。
この作品を読んでぼくが思い出したのが、
中島敦の『悟浄出世』と『悟浄歎異』でした。
(『山月記・李陵』所収)
『悟浄出世』では、三蔵法師と出会うまでの沙悟浄が描かれます。
彼はある病気にかかっています。「我とはなにか」という哲学的な問いに取り憑かれているのです。
沙悟浄はその答えを求めて、流沙河の底をさ迷い、
賢人たち(といっても妖怪ですが)のあいだを訪ね歩くのです。
一方の『悟浄歎異』では、沙悟浄の手記のかたちをとって、
三蔵法師や孫悟空、猪八戒らに対する沙悟浄の観察が記されます。
見る前に飛ぶタイプである孫悟空の圧倒的な行動力を前に、沙悟浄は自らにこう問いかける。
「俺みたいな者は、いつどの世に生まれても、結局は、調節者、忠告者、
観測者にとどまるのだろうか。決して行動者にはなれないのだろうか?」
でもこんなふうに本人は悩んではいるけれど、
この2編で描かれる沙悟浄は、とても魅力的です。
それはおそらく、懊悩の極みにあっても、
沙悟浄がその問いから目をそらさないからではないでしょうか。
そして、ゆっくりと少しずつではあるけれど、前に進んでいるからではないでしょうか。
ぼくらは孫悟空のような凄い存在にはなれないかもしれないけれど、
沙悟浄のようになら生きることができるかもしれない。
ぼくはこの作品から、中島敦のそんなメッセージを感じるのです。
『悟浄出立』におさめられた作品がどういう順番で書かれたかは存じ上げませんが、
万城目さんはきっと中島敦のこの作品に触発されて、
この本を書いたのではないかと勝手に想像しています。
沙悟浄に注がれる作者のまなざしがとても似ているからです。
中島敦は、「わが西遊記」というタイトルで、
沙悟浄を主人公にした小説を書こうとしていたのではないかと言われています。
残念なことに、33歳で夭折したことから未完となってしまうのですが、
万城目さんなら名作の続きを書き継げるのではないかと夢想してしまいました。
あ、急いで付け加えておきますが、もちろん書き継ぐといっても、万城目さんですから、
いま風にポップにトリビュートするイメージですけどね。
中島敦のような天才作家と肩を並べられる人なんてそもそもいないですし。
さて、本書におさめられたこの他の作品でも、脇役にスポットが当てられています。
『三国志』に材をとった『趙雲西航』では、マニアックにも趙雲が取り上げられ、
「四面楚歌」の故事をもとにした『虞姫寂静』では、項羽ではなく虞姫が取り上げられます。
映画やドラマにもなった始皇帝暗殺未遂事件をベースにした『法家孤憤』では、
有名な刺客・荊軻ではなく、彼と一瞬人生が交わった京科なる小役人の内奥が描かれ、
あるいは『父司馬遷』では、偉大なる司馬遷の姿が、その娘を通じて描かれる。
万城目さんがとても楽しそうに書いているのがわかります。
だから読んでいるとこちらの気持ちまで明るくなる。
しみじみいい短編集だと思います。
世界では日々いろんな出来事が起きていて、
その出来事の連なりがやがて歴史と呼ばれるようになるわけですが、
そのほとんどに関して、ぼくらは傍観者、脇役に過ぎません。
でもその一方で、
ぼくらはそれぞれが自分の人生の主人公でもあります。
当たり前のことだけれど、忘れがちなこと。
そんな大切なことをあらためて教えてくれる一冊です。
さて、5回にわたって候補作をみてまいりました。
第152回直木賞の受賞作はどの作品でしょうか。
最終的な予想は、
1月15日(木)の『福井謙二グッモニ』にて行います。
ぜひお聴きください!
投稿者 yomehon : 2015年01月13日 13:29