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2015年01月06日

ミステリーの大いなる収穫 『その女アレックス』


あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

......とご挨拶をしてみたものの、
なにか忘れものをしているような気がしてなりません。

なんだろうこの違和感は?と考えるうちに、はたとその原因に思い至りました。

そうなのです。
昨年もたくさんの面白い本と出会ったにもかかわらず、
そのほとんどをご紹介できないまま、年があけてしまったことに気がついたのです。

このなんともいえない消化不良な感じは、
別に正月の暴飲暴食だけが原因だけではなかったのですね。

今年はできるだけ多くの本をみなさんにご紹介できるよう努めますので、
あらためてよろしくお願いいたします。


さて、そうなると本来は年始早々に読んだ新刊をご紹介する流れになるはずですが、
振り返ってみると、昨年ご紹介できなかった本の中にも
「さすがにこれは取り上げておかないとマズいだろう」というものがたくさんあります。


今回はその筆頭をご紹介いたしましょう。

それは、『その女アレックス』ピエール・ルメートル 橘明美・訳(文春文庫)です。

帯に華々しく「史上初の6冠受賞」と記されたこの本が
本屋さんの店頭にずらりと並べられているのを目にした方もいるのでは。

ちなみに6冠というのは、
「週刊文春ミステリーベスト10」(文藝春秋)、
「このミステリーがすごい!」(宝島社)、
「『IN☆POCKET』文庫翻訳ミステリー・ベスト10」(講談社)、
「ミステリが読みたい!」(早川書房)、
「リーヴル・ド・ポッシュ読者大賞」(フランス)、
「英国推理作家協会インターナショナル・ダガー賞」の6つ。

日本のミステリー・ランキングを4つ制覇したうえに、
本国フランスとイギリスでも高い評価を得たわけです。

たしかに個人的にも2014年に読んだすべてのエンタメ小説の中でもっとも面白い一冊でした。


しかしこの小説、みなさんに紹介するのが実に難しい。
というのも、絶対にネタバレをしてはならないからです。

いや、ネタバレしてはいけないのはもとより当たり前なのですが、
少しでもストーリーの紹介を誤っただけで、ネタが割れてしまう可能性があるというか。

ともあれ、慎重を期しながら、少しでもこの小説の面白さが伝わるよう紹介してみましょう。


この小説が発売された当時の帯には、
「あなたの予想はすべて裏切られる!」という惹句が踊っていました。
その売り文句のとおり、この小説の醍醐味は、読み進めるなかで、
あなたの脳裏に浮かぶ光景が、次々と姿を変えていくところにあります。

物語はアレックスという女性がショッピングをしているところから始まります。
正確にいえば、ヘアウィッグ(かつらですね)などを扱う店であれこれ試着しているところが描かれる。

小説作法としては、当然のことながら、ここで彼女の人となりが語られることになります。

あなたの頭の中には、アレックスがどういう女性なのか、イメージが浮かぶでしょう。

ところが、このイメージは次々に裏切られていくことになります。


物語冒頭からほどなくして、アレックスは路上で男に拉致されます。
誘拐した男は、「おまえが死ぬところをみたい」と言い、
彼女を全裸で狭い檻の中に閉じ込めます。

必死に脱出を試みるアレックス。
しかし彼女は孤独で、親しい友人もいないことがすでに読者には明かされています。

はたしてアレックスが誘拐されたことを警察は突き止めることができるのか。
そしてなによりも、謎めいたアレックスという女性は、いったい何者なのか――。


ストーリーでご紹介できるのはここまで。

個人的な好みを言わせてもらうと、
ぼくは女性と子どもが虐待される小説が大嫌い。
この作品にも目を覆いたくなるシーンがたくさん出てきます。

でもそれでもなお、ぼくはこの作品をおすすめしたい。
しかも女性にこそ読んでいただきたいと思っています。

ちなみにうちのヨメにすすめてみたところ、
「えー、分厚いしやだー」などと当初は言っていたものの、
気がつけば正月三が日のあいだ無言で貪り読んでおりました。
(おかげで実に静かな正月だった)


この作品の魅力はまず、
「ひとりの女性の人物像がここまで変わるのか」
という驚きにあるでしょう。

いまにして思えば、冒頭のウィッグのシーンなど実に示唆的です。
ただでさえ女性というのは、いくつもの顔を持っているものですが、
アレックスはそのはるか上を行っています。

これほどまでに物語の中で登場人物の印象がガラリと変わるケースはそうそうありません。
それだけでも稀有な読書体験となるでしょう。


それともうひとつ。

ここが読者がもっとも共感できるポイントだと思いますが、
世の中には、命を奪われなくても殺されてしまうケースがあるのだということ。

とりあえずここでは「魂の殺人」という言い方をしておきます。

魂を殺されて、それでも生きていかなければならない人間がいるということ。
その悲惨さ。

そしてそこから必死に脱出しようとしている人間がいるということ。
その哀しさ。

時に残虐な描写があるにもかかわらず、
それを超えてこの小説が読者(特に女性)の心を鷲掴みにするのは、
おそらくこのような部分が作品のコアになっているからではないでしょうか。


なんだか新年早々、隔靴掻痒な感あふれる書評で申し訳ございませんが、
『その女アレックス』は、一読どころか、二読、三読したくなる作品です。
ぜひお読みください。


さぁ新年早々ということでいえば、直木賞も迫ってまいりました。
次回からは、第152回直木賞の予想もスタートいたします。

投稿者 yomehon : 2015年01月06日 12:50