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2014年09月17日
デング熱禍で読み直したい傑作小説
デング熱がどんどん拡がっていますね。
9月17日時点で確認されている感染者は、全国17都道府県であわせて131人にのぼります。
デング熱ウイルスの感染が拡大していく様をみて思い出したのが、
篠田節子さんの傑作パニック小説『夏の災厄』(文春文庫) 。
これはいまこそ広く読まれるべき小説です。
なぜなら、ここには、我が国で深刻な感染がとめどもなく拡大した際に、
どんな事態が引き起こされるのかという事があますところなく描かれているからです。
舞台となるのは埼玉県の架空の自治体・昭川市。
人口8万6千人、池袋まで私鉄の特急で43分とあって、
近年は東京のベットタウンとしても開発が盛んな街です。
春だというのにアスファルトから熱気が立ち上がるほどの暑さに見舞われた4月半ば。
市の保健センターの夜間救急に、発熱の症状を訴える男性がやってきます。
奇妙なことにこの男性は、医者が照らしたペンライトの光を嫌がり、
花のような甘い香りがするとしきりに訴えます。
そして翌日にも同じような症状の女性患者がやってきます。
夫の定年退職を機に看護師の仕事に復帰していた房代は、
二日続けて奇妙な症状を訴える患者が来たことに違和感をおぼえます。
でもこれはほんの前兆に過ぎませんでした。
突然の発熱と頭痛、嘔吐にはじまり、首のこわばり、体の硬直、
そして意識障害、痙攣、異常行動を伴う患者がどんどん運び込まれるようになっていきます。
そして何の手も打てないまま、バタバタと死んでいくか、幸い命をとりとめたとしても、
半身不随になるなど深刻な後遺症が残ってしまうのでした。
やがてこの奇病は、日本脳炎であると診断されます。
蚊を媒介して感染する日本脳炎は、戦前までは恐ろしい伝染病とされていましたが、
現在では年にわずかな感染例が報告されるに過ぎません。
撲滅されたはずの日本脳炎がいまなぜ復活したのか。
またそもそも、この奇妙な病気は日本脳炎なのか――。
感染防止と原因究明に向けて、
房代は保健センター職員の小西とともに奔走しますが、
その前に、硬直した行政システムの壁が立ちはだかります。
対応が後手後手になるうちに、昭川市は暑い夏を迎えようとしていました……。
原因不明の奇病によって現代社会が抱える脆さを露呈させた本書は、パニック小説の傑作です。
なすすべもなく死んでいく人々、感染地域の住民への差別、
一家の大黒柱に重い後遺症が残り絶望する家族などなど、
この手の感染拡大で想定し得る悲劇はすべて網羅されているといっても過言ではありません。
また「ヒーロー不在」の小説であるという点も特筆すべきでしょう。
看護師や市の職員といったごく普通の人々が力をあわせて真相に迫っていくプロセスには、
とてもリアリティがあります。どの登場人物もぼくらと同じ、ひとりでは無力な一市民だからです。
作者の篠田節子さんは、想定外の事態が起きた時に、
行政がどのように機能不全に陥るかということを実にきめ細かく描いています。
それは管轄であったり、法律であったり、予算であったり、
どこまでも具体的なシステムの問題なのですが、
そのあたりの細部の描写は、元八王子市役所職員のキャリアを持つ篠田さんならではでしょう。
メディアにおいて、お役所批判というのは、ある種の定番ですけれど、
それらの批判がいかに本質を欠いた上っ面なものかということが、
本書を読むとよくわかります。(いたく反省)
デング熱禍をきっかけに、
本書をひさしぶりに読み直してみてあらためて怖くなったのは、
感染地区の消毒に行く作業員が集まらない、というくだりを読んだ時でした。
消毒作業を民間業者に委託したものの、
ウィルスを持った蚊がうようよいるようなところになんか行けるかということでバックレたのです。
国民やメディアによって行政改革が叫ばれ、組織がスリム化されたはいいのですが、
その結果、役所の仕事の多くが民間委託されることになってしまいました。
民間業者はもとより公僕ではありません。
なので、このような住民が危険にさらされる事態が起きると、
我先にと仕事を放り投げて逃げ出してしまうのも無理もありません。
行政の民間委託は、おそらくこの作品が世に出た1995年当時よりも、
現在のほうが当たり前になっているのではないでしょうか。
橋下徹さんが大阪府知事に就任した時、
府庁職員に厳しくあたる姿をメディアはずいぶんと持ち上げました。
その裏に、お役所=悪、改革者=善という単純な図式があったことは否めません。(これも反省)
でも彼が信奉する競争主義や市場原理は、
役所の仕事のある部分とは相容れないものだということが、
この小説を読むとよくわかります。
東日本大震災の時にも、役場から住民に避難を呼びかけ続けて逃げ遅れ、
命を落とした方がいらっしゃいましたね。
この小説でも、心ある公僕が住民のために危険をかえりみず行動する様が描かれます。
篠田さんは単行本あとがきでこう書いています。
「勇気あるジャーナリストも、良心的で有能な研究者も、
崇高な精神をもってかけつけるボランティアもここにはいない。
活躍させたかったのは、否応なく災厄に向き合うことになった人々、
文句を言われることはあっても感謝されることはなく、
落ち度を指摘されても成果を評価されることはなく、
仕事だから投げ出すわけにもいかず、
最後まで前線に留まって事態を収拾しなければならない人々だ」
ここで挙げられているのは、
本書の登場人物でいえば、
主に行政の人間ということになるでしょう。
けれども人口減少に伴い、
自治体の中には今後消滅してしまうところも出てくると言われる中で、
(そんな衝撃的な未来が書かれているのが増田寛也さんの『地方消滅』です)
ぼくたちひとりひとりが災厄と向き合い、
前線にとどまって戦う当事者にならなければならない時代は、
もうすぐそこまで来ているのかもしれません。
投稿者 yomehon : 2014年09月17日 17:47