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2014年09月10日
アギーレ・ジャパンと日本の課題
ハビエル・アギーレ監督率いる新生日本代表がついに始動しましたね。
4年後のロシア大会を見据えた長い長い戦いが始まりました。
アギーレ監督がいったいどんなサッカーを見せてくれるのか、
今回の親善試合はそんな期待感で本当にわくわくしましたが、
アギーレ・ジャパンがスタートしたいまだからこそ
「あらためて読み直しておかなければ」と手に取った一冊が、
金子達仁さんの傑作スポーツ・ノンフィクション『28年目のハーフタイム』(文春文庫)でした。
これは名著です。
なぜなら、この本が指摘した問題点や課題は、
いまでも日本代表チームや日本社会にそのまま当てはまるからです。
この本で描かれるのは、1996年アトランタオリンピックのサッカー日本代表。
この大会で28年ぶりに五輪出場を果たした日本代表は、
初戦のブラジル戦で奇跡的に1−0の勝利をおさめ、世界中を驚かせました。
現在でも「マイアミの奇跡」として語り継がれるこの一戦をご記憶の方も多いでしょう。
けれども次のナイジェリア戦で、
日本代表はまるで別のチームになったかのような惨敗を喫してしまうのです。
実はこの時のハーフタイムで、
オリンピック代表チームが空中分解してしまうような出来事が起きていたのでした。
いったいこの時、ロッカールームで何が起きたのか。
著者はまず初戦のブラジル戦に遡って丁寧に再現していきます。
活字メディアの武器は、「時間を自在に操れること」にあります。
たとえば山際淳司さんの名作『江夏の21球』などが典型といえますが、
あの作品では、江夏投手の投じる1球ごとに、
両チームのベンチや選手たちが何を考えていたかが
細かく描かれていき、あの球史に残る9回裏の攻防が濃密に再現されました。
現実のゲームの時間というのはあっという間に過ぎ去ってしまうものですが、
活字は現実の時間をいちどバラバラにして、それをドラマとして再構築することができます。
(だから優れたスポーツ・ノンフィクションは読ませるし面白いのです)
金子さんも優れたスポーツライターの例に漏れず、
あの奇跡的なブラジル戦でのゴールがいかに生まれたかを丁寧に再現していきます。
後半27分、なぜ伊東輝悦選手は持ち場を離れて突然走り出したのか。
なぜ遠藤彰弘選手もそれにつられるようにタッチライン際を駆け上がっていったのか。
逆サイドにいた路木龍次選手は、なぜふたりの動きに気がつかないまま、絶妙なクロスをあげたのか。
そしてなによりも、なぜディフェンダーのアウダイールとゴールキーパーのジダは交錯したのか……。
ブラジル守備陣の信じられないミスから決勝点は生まれ、
この虎の子の1点を守って日本はブラジルから歴史的な勝利をあげたのです。
普段、サッカーが下手な選手のことを「まるで日本人のようだ」とたとえる表現があるくらい、
日本のことを見下している国ですから、予想だにしない敗戦にブラジル国内は大騒ぎになりました。
一方の日本では、新聞の号外が配られ、選手の親や恩師などのもとに取材陣が殺到するなど、
奇跡をおこした選手たちを英雄に祭り上げる動きが一気に過熱しました。
ここでひとつ浮かび上がるのが、「マスコミの問題」です。
著者いわく「世界で最も代表チームに対して甘い論評をする国」である日本では、
代表チームがランキング上位のチームに勝つたびに、「チーム一丸」であるとか
「耐えてつかんだ感動の勝利」といったクリシェ(紋切型)が見出しに乱舞するものの、
本当のところその試合での実力差はどうだったのか、といった掘り下げた検証はみられません。
著者はブラジル戦での奇跡の勝利も、
「巷間言われているように”チーム一丸”となって勝利をつかんだのでもなければ、
恐るべき団結力を発揮したわけでもなかった」と言います。
著者が選手たちの証言をもとにつぶさに再現してみせた試合経過をあらためてみると、
選手たちの多くはブラジルとのあいだに圧倒的な力の差を感じていて、
「未知なる世界に引きずり込まれていく得体の知れない感覚」や
「腹の底から湧き上がってくる畏怖の念」をおぼえながらプレーしていたことがわかります。
要はいっぱいいっぱいだったわけです。
いっぱいいっぱいのブラジル戦で幸運にも勝利した日本は、
次のナイジェリア戦のハーフタイムでチームが崩壊してしまいます。
いったい何かあったのか。
西野朗監督が、ご本人の表現を借りれば「生まれて初めてってぐらいキレちゃった」のです。
誰にキレたのか。
相手は当時19歳だった中田英寿選手でした。
ハーフタイムでロッカールームに引き上げてきた中田選手が、
同じ左サイドでプレーすることが多かった路木選手に対して、
「もっと押し上げてくれないとサッカーにならない」と不満をぶつけ、
それを耳にした西野監督が
「みんな頑張っているのに、なんでお前はそういうことを言うんだ!」とキレたというのです。
(中田英寿選手の半生を描いた小松成美さんの『鼓動』をみても
同じような状況が描かれていますから、ここに書かれているのはおそらく事実なのでしょう)
実は路木選手は「あんまり飛び出すな」という監督からの指示を守っていただけだったのです。
西野監督は中田選手の発言を、自分への重大な反逆ととらえ激怒したのでした。
この一件で動揺したチームは、後半いくつものミスを重ねて、ナイジェリアに惨敗してしまいます。
中田選手はなぜ路木選手に不満をぶつけたのでしょうか。
西野監督の怒りからは、「チームの和を乱すな」というニュアンスが読み取れますけれども、
中田選手の視点からみると、まったく違った背景がみえてきます。
実は前半の45分間で中田選手は「ナイジェリアの弱さに愕然としていた」というのです。
勝てる相手に引いてちゃダメだ、もっと上げないといけない、という思いから、
路木選手に対してあのような要求を出していたのでした。
ここでふたつめの問題が浮かび上がります。
それは「世界を知る選手と知らない選手との差」です。
かつてジュニア・ユースと呼ばれていたアンダー17世界選手権が、1993年、日本で開催されました。
日本は堂々ベスト8の成績をおさめるのですが、中田選手はこの時のメンバーでした。
ナイジェリアにはカヌーがいて、スペインにはラウールがいて、というように、
後に世界でもその名を知られるようになった凄い選手たちと、中田選手は互角に戦ってきたのです。
この時、ディフェンダーでありながら、中田選手の言う事にも一理あると感じていたのが、
同じくアンダー17で世界大会を経験していた松田直樹選手でした。
(ご存知のように2011年に34歳でお亡くなりになられました。惜しい選手を亡くしました)
ナイジェリアの怪物フォワード、カヌーのマークにつきながら、
「初めてやった時に比べたら全然動けなくなっているな」と感じていたというのです。
敵が弱くなっていることに自分たちは驚いているのに、仲間は脅威を感じている。
ゲームの中でのこの認識のズレが、
監督が選手に対してぶちキレるという最悪の事態として現れてしまったのでした。
この本の中に、オリンピック代表のトレーナーを務めた
並木磨去光さんの興味深いエピソードが出てきます。
ブラジル戦のキックオフ直前、少しでも選手の緊張をほぐそうと、
並木さんは耳のマッサージを申し出たそうです。
人間、本当にプレッシャーを感じだ時というのは、耳がガチガチになってしまうそうなんです。
そこで並木さんがほぐそうとしたところ、案の定みんなガチガチ。
ところがその中で3人だけ、普段とまったく変わらない柔らかい耳の人がいた。
それがワールドユースに監督として出場経験のある山本昌邦コーチと中田選手、
それに松田選手の3人だったというのです。
世界を知っているかどうか。
それは言葉を換えれば、経験の有無、ということです。
著者は、ワールドカップで勝った経験が、
いかにその国を強くしていくかということをいくつもの例をあげて示しています。
たとえばウルグアイは人口300万の小国なのになぜあのように強いのかと言えば、
1930年と1950年のワールドカップで2度の優勝経験を持っているからです。
一方、ウルグアイの11倍もの人口がありながら、コロンビアは90年のイタリアW杯まで、
ほぼ毎回、地区予選敗退の憂き目にあい続けてきたうえに、今回のブラジル大会で初めて
ベスト8を経験しました。(だから今後は強豪国になっていくのかもしれません)
本書を読んでいると、
サッカーが強くなるために必要なのは、まず勝利の経験であり、
では勝つためになにが必要なのかといえば、
それは「個の確立」であることがよくわかります。
著者の次のような指摘は実に示唆に富んでいます。
「思えばサッカーは、近代国家としての形態を完成しつつあったイギリスで誕生した。
言ってみれば実に近代民主主義的なスポーツである。
まず個人の権利が尊重され、
それを尊重したうえでより大きな利潤を生むために集団を形成するのが近代国家だとしよう。
”権利”という言葉を”技術”、”集団”を”組織”とでもすれば、
近代民主国家の定義は、そのままサッカーの定義にも置き換えられる。
他の競技ではあれほど強かった共産主義国家が、なぜサッカーでは頂点に立てなかったか。
オリンピックはボイコットしてもワールドカップの予選には出場し続けた彼らが、
なぜ陸上競技や水泳のように常勝集団たりえなかったのか。
サッカーと民主主義を関連づけて考えると、こんな答えもでてくる。
それはつまり、サッカーを生んだ国ほどには、個人が尊重されていなかったからだ、と」
そして著者は問いかけるのです。
日本では個人の権利が確立されているか。
日本では真の民主主義が定着するのかと――。
本書の単行本が出版されたのは1997年のこと
でも、マスコミの未熟な報道や
世界を知る選手と知らない選手とのあいだに生じる格差などは、
ブラジル大会を終えたいまの日本にも引き続きあてはまる課題ではないでしょうか。
だから初版から17年がたったいまも、この本の価値はいささかも古びるところがないのです。
なお、今回のワールドカップの総括でもっとも面白かった本として、
湯浅健二さんと後藤健生さんという海外サッカーに通暁するベテランジャーナリストが、
ブラジル大会と同時進行で行った全7回の対談をおさめた
『日本代表はなぜ敗れたのか』(イースト新書)もおススメします。
この本の中でも、いま日本に求められる人材として、
「変化こそを常態とする創造的破壊ができる人間」があげられています。
表現こそ違えど、
ここでも同じような課題が指摘されていると思いました。
投稿者 yomehon : 2014年09月10日 15:06