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2014年07月20日
ビッグデータ社会はみんなを幸せにするか?
アンドリュー・ポールが、ディカウント・チェーン店を展開するターゲット社の
データ処理専門家として働き始めた頃、マーケティング部門の同僚からこんな質問をされました。
「君のコンピュータで、客が妊娠しているかどうかわかるかい?
たとえ客がそのことを、僕らに知られたくないと思っても」
ニューヨークタイムズ記者のチャールズ・デュヒュッグが書いた
『習慣の力』(講談社)という本に、そんな興味深いエピソードが紹介されています。
ポールは顧客の個人情報と購入履歴を細かく分析することで、
やがて妊娠した女性の買い物パターンを発見、およそ25の商品を特定しました。
これらを同時に分析することで、
女性客が妊娠したかどうかはもちろんのこと、妊娠しそうかどうかまでわかるようになりました。
たとえば、アトランタに住む23歳のある女性は、
ローション、紙おむつが入りそうなバッグ、鉄剤、マグネシウム、明るい色のラグを購入しました。
彼女が妊娠している確率は87%で予定日は8月末あたり。
あるいはサンフランシスコに住む39歳の女性は、
250ドルでベビーカーを購入したけれど他には何も買っていない。
2年前に離婚していることから、ベビーカーは友人への贈り物だと思われる、というふうに。
1984年にUCLAのアラン・アンドリーセンが発表した論文によれば、
人が買い物の習慣を変えるのは、「人生における大きなイベントを経験するとき」なのだそうです。
たしかに新たに親となる人々は多くのものを買います。
おむつ、おしり拭き、ベビーベッド、哺乳瓶、ベビーウェアなどなど。
2010年にアメリカで行われた調査では、子どもが1歳になるまでに、
親が赤ちゃんに使う金額は平均で6800ドルと推定されているとのこと。
まさに企業にとって、「妊娠した女性は宝の山」なのです。
しかしポールが妊娠予想モデルを完成させ、
いざ顧客に宣伝攻勢をかけようとしたところで、ある女性社員が、ふとこんなことを尋ねました。
「ターゲット社がこれほど多くのことを知っているとわかったら、客はどう感じるかしら?」
ポールは著者のインタビューに対してこんなことを言っています。
「妊娠していることを誰にも言っていないのに、カタログが送られてきて、
”ご懐妊おめでとうございます!”なんて言われば、それは気持ち悪いと感じるかもしれません」
「プライバシーに関する法律の遵守については、みんなとても保守的です。しかし法を守っていても、
人を不快にさせてしまうことはあります」
事実、ミネソタではこんなことが起きていました。
ひとりの男性が店舗にやってきて、店長にクレームを入れたというのです。
「うちの娘のもとに、こんな広告が送られてきたんだ。娘はまだ高校生なのに、
どうして赤ん坊の服やベビーカーの広告が入っているんだ?妊娠を勧めているのか?」
店長は必死に頭を下げ、後日、謝罪の電話をかけました。
ところが、その父親はきまり悪そうにこう言ったというのです。
「娘と話しをした。私はまったく気づいていなかったが、この家では重要なことが起っていた。
あんたたちに謝らないといかん」
これらのエピソードには、個人情報の問題を考える上で重要なヒントが詰まっています。
ベネッセ・ホールディングスから個人情報が大量流出したことが発覚した際の記者会見で、
原田泳幸会長兼社長が、
「クレジットカード番号のようなセンシティブな(重要な)情報は流出していない」
と発言したのを目にした時、瞬間的に「これはまずいことになるぞ」と感じました。
子を持つ親(特に母親)にとっては、
我が子に関する情報はすべて例外なく「センシティブ情報」だからです。
案の定、批判が殺到して、その後ベネッセはあらためて謝罪をすることになるわけですが、
この記者会見からもうひとつ問題点を抽出するとすれば、
それは、ある人間の個人情報を「それは重要」だとか「これは重要じゃない」だとか、
いったい誰がどのような権限や立場でもって判断を下せるのか、という点になるでしょう。
言葉を換えればそれは、「個人情報は誰のものか」という問題です。
いつも時代の最先端の問題をテーマにすえる小説家ジェフリー・ディーヴァーは、
『ソウル・コレクター』(文春文庫)で個人情報の問題を真正面から取り上げています。
四肢麻痺で寝たきりでありながら、全米有数の科学捜査のスペシャリストである主人公、
リンカーン・ライムの従兄弟が、殺人の疑いで逮捕されるところから物語は始まります。
証拠が不自然に揃い過ぎていることに疑いの目を向けたライムは、
同じような冤罪と思しき事件が他にも発生していたことを突き止めます。
そこから浮かび上がって来たのは、膨大な個人情報を操り、
ターゲットを犯人に仕立て上げてしまう恐るべき知能犯でした——。
この小説のなかで、犯人はターゲットの人々のことを「シックスティーン」と呼びます。
シックスティーンというのは、個人を識別する為に与えられる16桁の識別番号のこと。
その個人がどのようなデータでもって構成されているか、
その内容が本書のなかで列挙されていますが、これが凄い。
氏名や住所といった誰でも思いつくような項目から始まり、
指紋や網膜スキャンデータや歩き方のクセといったバイオメトリックデータ、
病歴や体組織のデータ、支持政党やどこに寄付をしているかなどのデータ、
性的嗜好などセックスにまつわるもの、給与履歴などの財務データ、
保有資産、雇用状況、メール履歴、閲覧サイトなど各種通信データ、
購入商品などのライフスタイルデータ、位置情報データなどなど、
なんと22ページ(!)にもわたって、個人情報を構成する膨大な項目が列挙されています。
デジタル化された膨大な個人情報が日々蓄積され利用されていく——。
そのような社会のありようをつぶさに取材した貴重な一冊が、
気鋭のノンフィクション作家・森健さんの『ビッグデータ社会の希望と憂鬱』(河出文庫)です。
(ぼくの知る限り、この手のテーマでは唯一の本ではないでしょうか。名著です)
森さんによれば、いま世界のビッグデータ業界ではしばしばこんな言葉が語られているといいます。
「Data is the new oil」(データは新しい原油だ)
それだけ全世界的にデータが重要視されているにもかかわらず、
日本では驚くほど個人情報とプライバシーをめぐる議論が少ない、と森さんは指摘します。
本書によれば、欧米では顧客の情報を収集しようとした大企業に抗議する
不買運動などが当たり前のように起きているのだとか。
そういえば、小説『ソウル・コレクター』では、
個人に紐づくあらゆるデータを収集している
データマイニング会社(マインは「採掘する」という意)が物語の鍵となります。
この会社の創業者が書いたプログラムの名前が「ウォッチタワー」で、
会社のロゴは灯台の窓から明かりがもれている図柄。
このあたりはおそらく「パノプティコン」からの連想でしょう。
パノプティコンは18世紀のイギリスの法学者ジェレミー・ベンサムが考案した監獄で、
高い塔の周囲をぐるりと取り囲むかたちで独房を配し、塔の中から一望に監視できるようにしたもの。
(ベンサムは現代の尺度では測れない規格外の人物だったようです。
ベンサムについては、哲学者の土屋恵一郎さんが『怪物ベンサム』という面白い伝記を書いています)
ポイントは囚人たちの側からは、塔の中が見えないことで、
誰かに監視されているのか、それとも誰もいないのかが、囚人たちには判断できないこと。
人間というのは面白いもので、
誰に監視されているのかがわからないと、不安に駆られ、かえって規律を守るようになります。
フランスの哲学者ミシェル・フーコーは、古典的名著『監獄の誕生』(新潮社)の中で、
パノプティコンを管理される近代社会の比喩として取り上げました。
生涯にわたって、権力の問題を考え続けたフーコーは、
「生権力」という新しいコンセプトを提示したことでも知られています。
権力というと、身柄を拘束したり、命を奪ったりといった強権的なイメージでとらえられがちですが、
そうではなく、相手を生かしながら管理するという権力のかたちがあるのだ、という考え方です。
相手に管理されていると気づかれないままに管理するという新しい権力のかたち。
冒頭でご紹介した『習慣の力』に登場するアンドリュー・ポールは、
妻が子どもを身ごもったという著者に向ってこんなことを言ったそうです。
「赤ちゃんが生まれるまで待っていてください」
「あなたが欲しいと気づいてさえいないような商品のクーポンをお送りしますよ」
プライバシーの定義は、アメリカ連邦最高裁判所判事のルイス・ブランディスによれば、
「何者からも放っておかれる権利」なのだそうです。
でもいまや、いくらプライバシーを望んだとしても、
決して放っておかれることなく、いつの間にか、
あなたの行動は誰かに把握されるようになってしまいました。
そのような社会がはたして幸せといえるのかどうか。
でも、好むと好まざるとにかかわらず、
もうそのような社会は、現実のものとして、既にぼくらの眼の前にあるのです。
投稿者 yomehon : 2014年07月20日 16:14