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2014年06月17日

裸足のラグジュアリー

いま大手町界隈を歩いていると、
ひときわ目立つ真新しいビルの威容に目を奪われます。

「大手町タワー」と称されたそのビルの足元には、
都心のオフィス街にしては珍しい豊かな緑が配され、
黒っぽい外観と相まって、なかなかの存在感を放っています。

このビルが大手町の新たなランドマークとして注目を集めているのは、
その外観もさることながら、日本で初めて開業するあるホテルの存在があるからです。


そのホテルの名は「アマン東京」。

世界のリゾートに革命を起こしたアマンリゾーツのホテルです。

アマンがなぜそれほど注目を集めるのか。

それはアマンリゾーツが、
世界のリゾートのハイ・スタンダードを作り上げてきたからに他なりません。

1988年、タイのプーケットに一軒のリゾートホテルが開業しました。
サンスクリット語で「平和の場所」を意味する「アマンプリ」という名のそのホテルは、
それまでのリゾートホテルの常識を覆すコンセプトでつくられたホテルでした。

少数の客室はすべて戸建てのヴィラ。
しかも一般的な広告宣伝を一切行わず、
旅行会社との提携もないという手法をとっていました。

にもかかわらず、情報のアンテナ感度の高い、
ごくごく一部のセレブのあいだで、その存在は口コミで広まったといいます。


その翌年、こんどはインドネシアのバリ島に
「平和な精霊」を意味する「アマンダリ」という名のホテルが開業しました。

このふたつのホテルが、世界のリゾートに革命を起こしていくのです。

アマン革命の一例をあげましょう。

女性誌のリゾート特集などで
こんな写真を目にしたことはないでしょうか。

青い海をバックにしたプールの写真。
プールは、縁まで溢れんばかりの水で満たされていて、
その水は背景の海のほうへ流れ落ちているかのよう。

水面がそのまま、水とその上にひろがる空とを切り分ける
カッティング・エッジになったかのような美しいプールの写真を、
みなさんもどこかで目にしたことがあるのではないかと思います。
(みたことがないという方はこちらをご覧ください)


このプールは「インフィニティプール」といいます。

アマンダリが初めてインフィニティプールを打ち出したとき、
人々はそのあまりの美しさに息をのみました。
(山の中のウブドゥにあるアマンダリのインフィニティプールは、
海辺のそれとはまた違った雰囲気なのです)

以来、このプールは、世界のリゾートのスタンダードになります。
(最近では都会のど真ん中のホテルの屋上でもインフィニティプールがあるほど)


普段、なかなか旅行に行く機会がないので、
女性誌で旅行特集などをやっていると必ず手に取って
妄想旅行を楽しむのが常なのですが、
たとえば沖縄などのリゾートホテルの写真をみるたびに思うのは、
「アマンの影響は大きいなぁ」ということです。


「アマン以前/アマン以降」では、確実にリゾートのあり方は変わりました。
いまや世界中のリゾートが、アマンの影響下にあるといっていいでしょう。

「アマンなんて興味ないよ」という方もいるかもしれませんが、その考えは早計です。

なぜアマンが重要かといえば、
ひとつは、ぼくたちが「おしゃれなリゾート」と聞いた時に思い浮かべるイメージは、
アマンリゾーツにそのルーツがあるから。

そして、もうひとつは、アマンについて考えることが、
「おもてなし」という言葉に象徴される日本的なサービスの本質を見つめ直すことにつながるからです。

ホテルに関する著作を多く手掛ける山口由美さんの『アマン伝説』(文藝春秋)は、
この革命的なホテルの成り立ちをつぶさに調べ上げた労作。

メディア嫌いといわれる創業者のエイドリアン・ゼッカ氏へのインタビューなど、
貴重な情報が詰まった一冊です。


特に多くのページが割かれた「アマン前史」の部分は重要です。

たとえば、ジェフリー・バワという名前をご存知でしょうか。

アジアン・リゾートの歴史を語るうえで、バワは最重要人物です。


ジェフリー・バワ(1919-2003)は、
スリランカを代表する建築家で、生涯に手掛けた作品のほとんどがホテル建築でした。
しかもそれらは「モンスーンアジア」と呼ばれる熱帯に位置していたのです。

モンスーンアジアというのは、
スリランカ、南インド、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイ、
カンボジア、ベトナムといった南の国々のこと。


建築好きを自称する人でも、
フランク・ロイド・ライトやル・コルビジェ、磯崎新や安藤忠雄は知っていても、
ジェフリー・バワの名前を知る人は少ないかもしれません。

バワは、「インフィニティプール」のオリジナルを考案した人でもあります。
このことに象徴されるように、彼の作品は、その後の世界のリゾート建築に多大な影響を与えました。

バワに影響を受けた建築家たちを総称する言葉として、
「Beyond Bawa ビヨンド・バワ」という言葉もあるほどです。

本書にも何点かバワの手掛けたホテルの写真が載っていますが、
ぼくたちには見覚えのあるデザインがいくつもあります。
それだけバワのデザインは後進に模倣されているということでしょう。

アマンが世界のリゾートに与えた影響というのは、つまるところ何だったのでしょうか。

それは、リゾートにおける新しい「ライフスタイル」の提供であったといえます。

本書の中に、そのアマン的なライフスタイルをうまく表現した次のような関係者の言葉が出てきます。


「一言で言うならば、裸足のラグジュアリーです。裸足のままサロンを巻いて、
リラックスして、人生をエンジョイする」


素晴らしいデザインのホテルで、
自然の懐に抱かれながら、ただただ、ボーっと、何もしない贅沢な時間を過ごす。

誰もが憧れるこんな贅沢なリゾートライフの生みの親こそ、アマンリゾーツだったのです。

アマンが「アマンジャンキー」と呼ばれるほどの
熱狂的なリピーターを世界中に生み出すに至ったのは、
そのサービスにも理由があるでしょう。

いかなるゲストに対してもNoといわないOne to Oneのサービスは、
多くのユーザーのハートをつかみました。


本書でも紹介されている日本の『カシータ』というレストランは、
アマンジャンキーを自認するオーナーが、
アマンと同じような感動を与えたいとオープンさせたレストラン。

なかなかアマンには行く機会がなくても、
ここに行けば少なくともアマンっぽいサービスは体験することができます。

ではカシータのサービスとはいかなるものでしょうか。

たとえば夫婦の記念日に、あなたが奥さんとカシータを訪れるとしましょう。

テーブルに案内されて着席します。
すると、奥さんは、まずテーブルに置かれているナプキンに、
自分の名前が丁寧に刺繍されていることに気がつき、思わず微笑むことでしょう。

渡されたメニュー表も、
その日のふたりのためだけにあつらえられたもの。
メニュー選びからして会話が弾みます。

飲み物が運ばれてきて、
最初の一杯に頼んだシャンパンがグラスに注がれます。

スタッフが置いて行ったシャンパンのラベルをよくみてください。
ふたりのためにお店が特別につくったデザインのものに貼り替えられていて、
またもやあなたの奥さんのテンションは上がるのです——。

カシータのサービスを実況中継ふうに記述するとそんな感じでしょうか。

もちろんサービスのかたちは、お客の要望によって変わるので、
必ずしも上の通りではありませんが、
あなたが事前に希望を伝えておけば、お店は全力で応えようとするでしょう。
(ぼくが聞いた話では、季節外れなのに店内に雪を降らせて欲しいと頼んだ猛者もいるらしい)

ただ、このようなマニュアルと一線を画したサービスが、
アマンに端を発するものかといえばそうではありません。

アマンのホスピタリティが、
日本の旅館に似ているというのはよく言われるところです。

本書は、アマンにも影響を与えたと言われている
日本を代表する旅館、京都・俵屋の女将、佐藤年さんにもインタビューして、
興味深い証言を引き出しているのですが、それはぜひ本を手に取ってご覧ください。


この他、エイドリアン・ゼッカと三浦半島のある別荘の知られざる関係を発掘していたり、
日本での幻のアマン・プロジェクトの詳細が明らかにされていたり、
とにかく読みどころ満載の一冊です。


アマンというフィルターを通して、
世界のリゾート文化の変遷や
日本の「おもてなし」までをも射程におさめる本書は、
今後、サービスについて学ぼうとする人が
避けては通れない基本文献になるのではないでしょうか。


投稿者 yomehon : 2014年06月17日 15:00