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2014年03月11日
疑惑のSTAP細胞とアラン・ソーカル事件
世紀の大発見かと思われた「STAP細胞」ですが
かなり残念な経緯を辿っていますね。
ぼくもSTAP細胞の発見に興奮して
1月30日付のエントリーを書きました。
それは、iPS細胞に比べて驚くほど簡単に
万能細胞がつくれる点に驚愕したからです。
事実ならば、人類は再生医療の新しい扉を開くことになる。
それほど凄いニュースだったのです。
STAP細胞については、
別の論文の画像を使い回していたのではないかとか、
他人の論文の無断引用が数多くみられるとか、
ありとあらゆる疑惑が指摘され、
ついには論文の共同執筆者だった
山梨大学の若山照彦教授が論文の取り下げを提言するに至りました。
若山教授は、クローン羊ドリーの再現実験に世界で初めて成功された方。
クローン羊は1997年にスコットランドにあるロスリン研究所のイアン・ウィルムットらが
作製に成功しましたが、当初は誰も再現実験に成功しませんでした。
若山教授はその翌年、クローンマウスの作成に成功し、ネイチャーに論文が掲載され、
細胞クローンの技術は再現性があるものとして世界に認められたのです。
当時、若山教授は31歳。小保方晴子さんとほぼ同じ年齢です。
そうしたこともあってか、当初若山教授は小保方さんを擁護していました。
けれども、STAP細胞とされていた写真が別の幹細胞である可能性が出てきたことから、
若山教授は論文の根幹が揺らいだとして撤回を呼び掛けるようになりました。
若山教授の一連の対応は、
科学者の姿勢として極めて誠実だと思います。
さて、今回の一件を読書の世界から眺めてみるとどんなことが見えてくるでしょうか。
まず最初にお勧めしたいのが、
「科学界最大の捏造事件」といわれる
ヘンドリック・シェーン事件の顛末を描いた
『論文捏造』村松秀(中公新書ラクレ)です。
ノーベル賞受賞者を数多く輩出した名門中の名門、
アメリカのベル研究所に所属するヘンドリック・シェーンは、
29歳で科学界に彗星のごとく現れたスターでした。
シェーンが世界を驚愕させたのは、超伝導の分野での研究です。
超伝導というのは、マイナス数百度の超低温の世界で、
電気抵抗がゼロになるという現象のこと。
電気抵抗がゼロになるということは、
いちど電気を流せば永遠にそれが流れ続けるわけで、
もし実用化されれば、人類のエネルギー問題が
一挙に解決される可能性もある夢の技術と言われていました。
ただ実用化への高すぎるハードルがありました。
それは超低温の世界でしか起きない現象であること。
そのため、この温度をいかに高くできるかという点がポイントになります。
シェーンは「有機物の上に酸化アルミの膜をのせ電圧をかける」という方法で、
温度記録を次々に更新したと発表して、世界の科学者たちを熱狂させました。
ところが世界中の研究所が追試に乗り出しましたが、誰も再現できません。
いくらやっても再現できないため、
シェーンが特別な技術やマシンを持っているのではと囁かれたほどでした。
やがてシェーンの実験データに数多くの不自然な点がみられるという告発がなされ、
ベル研究所は詳細な調査を行うことを余儀なくされます。
半年にわたる調査の結果、シェーンがネイチャーやサイエンスなどの一流誌に
発表した論文のことごとくが捏造だったことが発覚。
ベル研究所はシェーンを解雇するとともに計り知れないダメージを受けました。
追試がなかなか成功しないとか、
次々と論文の矛盾点が発覚するとか、
国内有数の研究所の評判が地に墜ちてしまうとか、
なにやらSTAP細胞を連想させる話ではあります。
当のシェーンはといえば、解雇されてからの行方は杳として知れません。
STAP細胞の一件を考えるにあたってまず読むべきは、
この本の第4章「なぜ告発できなかったのか」でしょう。
著者は『ネイチャー』誌の編集部を訪れ、
論文が掲載されるまでにどのようなプロセスを辿るか取材しています。
全世界に70万人の読者を誇る『ネイチャー』は、
1869年の創刊以来、『サイエンス』誌と並んで
世界でもっとも権威ある科学ジャーナルの地位をキープしています。
その権威たるや、世界中の科学者が生涯にいちどでも
論文が掲載されることを夢見るほど。
編集部によれば、毎月全世界から1千以上もの論文が投稿され、
そのうち掲載までこぎつけるのは1割未満なんだとか。
投稿された論文は、まず編集部のなかで掲載に値するかどうか選別された後、
その分野に精通した複数の専門家(レフェリー)に送られます。
ちなみに誰がレフェリーを務めているかは公正を期すために秘密。
レフェリーからの質問は編集部経由で論文執筆者へまわされ、
なんどかのやり取りを経て掲載へと至るようです。
意外なのは、編集部の人間が、次のように語っていることです。
「(略)私たちは警察ではありません。論文のひとつひとつを、不正ではないかと
疑いの目で見てすべて答えることなど、実際には出来ません。私たちの責任の
範囲ではないと思います」
「(略)私たちが掲載する論文はすべて100パーセント間違いなく正確である、
というのは非現実的だと思います。私たちが掲載する論文の多くは、いろいろな
解釈が可能で、問題の部分的な解釈を提示するものであり、さらにたくさんの質問を
提起するものもあります。最終的に決着がついたものではないのです。数年後には、
科学的に間違っていたことがわかる場合だってあります」
いくら権威あるジャーナルとはいえ、論文の細かい正否までは判断しない、というのです。
もちろんこれはシェーンの論文を掲載してしまったことについてのコメントなので、
いつもよりも自己正当化の意識が働いているとは言えると思いますけれど。
ここで得られる教訓は、「ネイチャー』に掲載されたからといって、
内容を鵜呑みにしてはいけない、ということです。
掲載されるだけでも名誉な雑誌なのに、
信じてはいけないというのはなかなか難しいかもしれませんが、
掲載れた論文が後に間違いだったと撤回される可能性もあるのだということは
頭に入れておいてもいいでしょう。
「ネイチャー』のような超一流のジャーナルですら見抜けないというのであれば、
どこで不正を食い止めるのかという話になります。
バイオ分野の研究が盛んなアメリカで、その監視の役割を担っているのが、
1992年に設立された「研究公正局(ORI)」という公的機関。
なぜこのような組織が必要になったかといえば、
ひとつは1980年代に科学者による不正行為が多発して防止策を講じる必要があったこと。
バイオ分野の場合、不正がダイレクトに市民の健康に害を及ぼす可能性があるということ。
たとえば乳がんに関する治験でデータの捏造がなされ、その結果を鵜呑みにしてしまうと、
患者の女性たちに害が及んでしまう可能性があった事例などがあったといいます。
そしてここが重要なのですが、
バイオ研究の分野では対象が生物であることが多く、
データにはあいまいさがどうしてもつきまとってしまうということ。
「そのために、データをいじったり、でっち上げたりしても、
バイオのあいまいさ加減の中でその不正が見えにくいという側面もある。
誰がやっても同じ結果になるはずの『再現性』が、バイオの場合は
物理などに比べれば問われにくいのだ」
つまりアメリカでは、バイオ分野での不正が起こりやすいということを前提に
組織や制度をつくっているのです。
でもいくら捏造を防ごうとしても、
果たして本当に防ぐことができるのかという疑問はどうしても残ります。
人々が科学の装いをこらしたものにいかに弱いか、ということを
かつて世間に知らしめた事件がありました。
アラン・ソーカル事件です。
1994年のことです。
ニューヨーク大学物理学部の教授のアラン・ソーカルが、
カルチュラル・スタディーズ(社会学の一分野)の雑誌『ソーシャル・テキスト』に、
「境界を侵犯すること:量子重力の変換解釈学に向けて」と題した論文を発表しました。
ところがこの論文の内容がまったくのデタラメだったのです。
ポストモダン学派の著名な哲学者や社会学者だちの著作の引用と、
数学や理論物理学などの知識をさももっともらしくパッチワークしただけのシロモノでした。
さらに物議を醸すことになったのは、アラン・ソーカルがこの論文を、
編集者はもとより、科学の浅い知識をひけらかしてもっともらしいことを言う知識人を
からかうために仕掛けた悪戯だったことが判明したからでした。
事の顛末はソーカルの『「知」の欺瞞 ポストモダン思想における科学の濫用』(岩波書店)で
読むことができます。
この事件が明らかにしたことは、
世間で知識人とみなされている人物が語っていることにすら、
多くのデタラメが含まれているということでした。
これは僕自身の反省も含めて申し上げるのですが、
今回のSTAP細胞の一件でのマスコミの反応は、
アラン・ソーカルの論文を絶賛した連中とまったく同じではないでしょうか。
(まさか小保方さんがソーカルのような確信犯ではないでしょうが……)
科学の世界は基本的に性善説に基づいています。
実際、世界の真理を知りたいという
ピュアな動機から科学をやっている人がほとんどだと思います。
でもたとえ専門家だろうが人間は間違いを犯すのだということ。
そして僕たちのように専門家ではないほとんどの人間は
科学の衣装をまとったものに弱いということ。
STAP細胞をめぐる騒動は、
そうしたことをあらためて思い知らせてくれた一件でした。
投稿者 yomehon : 2014年03月11日 16:36