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2014年03月09日

なぜ人は騙されるのか


先日、銀座に用があったついでに
ちょっと立ち寄ったのが有楽町の三省堂書店。
(というかここは毎度素通りできないのですが)

この書店は店員さんが熱心に本をすすめることで知られていて、
店内のあちこちに手書きのPOP広告が掲げられています。

「なにがなんでもこの作家を推すんだ!」という
熱意が伝わってくるコメントがしたためられたPOPもあれば、
世間の関心が高い出来事にひっかけて行われる
ちょっとした関連書籍のフェアもあります。


その日は、そんな小さなフェアの一環として、
佐村河内守さんの一件をネタに関連書籍が並べてありました。

先日もご本人の謝罪会見が行われましたね。
あまりにマスコミが大きく報じるのに呆れて、
そんなに大騒ぎするようなことかとおっしゃる人もいます。

でもぼくはそうは思いません。

たしかにトホホな一件ではありますが、
今回のケースは、「人はなぜニセモノに騙されるのか」という
テーマを考える上で、格好の例でもあるからです。


書店で佐村河内さんの自伝(誰が買うんだろう?)の隣に並べられていたのが、
『開運!なんでも鑑定団』でお馴染み、中島誠之助さんの
『ニセモノはなぜ、人を騙すのか?』(角川one テーマ21)でした。


これは素晴らしい本。
手にとりやすい新書であるにもかかわらず、
ニセモノと本物をめぐるものすごく深い考察が書いてある一冊です。

中島さんはかつて南青山で骨董店を営み(「骨董通り」の名付け親でもあります)
古伊万里を世に広めたことでも知られる超一流の古美術の専門家でいらっしゃいます。
「いい仕事してますね」の名文句は流行語にもなりました。


中島さんによれば、骨董の世界にはニセモノが氾濫しているそうです。

かつてテレビで月之輪湧泉という名工の植木鉢を紹介したところ、
こんなことがあったそうです。

それは小さな盆栽用につくられた手のひらサイズの植木鉢で、
200万から300万の価値があるそうですが、
テレビでホンモノに100万以上の値段をつけたところ、
またたくまにネット上に「月之輪湧泉作」の植木鉢が氾濫したのだそうです。

中島さんによれば、焼き物の8割、掛け軸の9割はニセモノだとか。

それもそのはず。
器にその時代っぽい仕掛けを施す(「時代づけ」と呼ぶそう)「汚し屋」や、
器の修復のプロである「直し屋」といったプロたちがいて、
ニセモノづくりはビジネスとして成り立っているからです。

鑑定書がついているからホンモノかと思えば、それも大間違いだったりとか、
おいそれと素人が手を出せるような世界ではないことがよくわかります。
(鑑定書のからくりについてはぜひ本書をお読みください)


それくらいニセモノが氾濫しているからこそ、
中島さんのような「目利き」が重宝されるわけですが、
スゴイなと感心させられたのは、目にしただけでモノの真贋がわかるというところ。
テレビだからわざわざ手にとって品物を見るパフォーマンスもするけれど、
本来は10メートルくらい離れていたところから見ても真贋を見抜けるのだとか。

40年以上、骨董の世界に身を置いて身につけた「感覚」だから、
なかなか素人がわかるような言葉には出来ないと断りつつも、
中島さんは「ホンモノには、善意のラインがある」と表現します。

人を幸せにしようと作られたモノには善意が宿り、
人を騙すためにつくられたニセモノには厭味なラインが伴うのだそう。

中島さんのようなプロが身につけている暗黙知って
確かに翻訳しづらいところがありますが、
ニセモノとホンモノは、明らかに見た目が違うらしい。

ラインの他にもニセモノだとわかるポイントがあって、
それは「伝来」、つまり言い伝えに無理があるという点だそう。

ニセモノほど、饒舌に背景が語られるのだそうです。

佐村河内さんの一件もそうですよね。

曲そのものよりも、「全盲で正規の音楽教育を受けたことがない」という
彼自身のバックボーンのほうが饒舌に語られていました。
彼のケースなどは、目利きの中島さんからすれば、「眉唾」ということになるのでしょう。


本書では、人がニセモノにひっかかる法則として、
「欲にかられる」ことと「懐が甘い」こと、それに「不勉強」の三点が挙げられています。

本書は、人はなぜ騙されるのかというケーススタディーの宝庫で、
心理学でいうところの「認知バイアス」の生きた実例が学べる良書。
骨董の豆知識もあわせて身につくのでおススメです。


さて、もう一冊おススメ本をあげておきましょう。

なぜ人は騙されるのか、
そのプロセスを小説で見事に描いてみせたのが、
篠田節子さんの『讃歌』(朝日文庫)です。

佐村河内さんの一件を彷彿とさせる音楽がテーマ。
ただしこちらは弦楽器のヴィオラなのですが。


テレビ制作会社に勤務するディレクターの小野が、
無名のヴィオラ奏者・柳原園子と出会うところから物語は始まります。

園子はかつてヴァイオリニストとして海外の演奏会で賞をとったことがあり、
天才少女と脚光を浴びるも、ある出来事があって寝たきりの生活になり、
二十数年ぶりにひっそりと演奏活動を再開していました。

その過酷な半生と演奏に感動をおぼえた小野は、
園子のドキュメンタリーを制作します。

ドキュメンタリーは反響を呼び、園子のCD は爆発的にヒットしますが、
その一方で彼女を激しくバッシングする動きが広がり、小野は窮地に立たされます。

彼女の半生は本当なのか?
そして彼女の演奏はホンモノなのか?

世間がヒートアップする中、園子が突如失踪。
糸を手繰り寄せるように真相へと近づいて行った小野は、
やがてある残酷な結末に直面することになるのでした……。

小野がつくったドキュメンタリーのタイトルは、
『心へ届け ヴィオラの響き 天才少女ヴァイオリニスト 挫折から再生へ 三十年の軌跡』。

なんなんでしょうね、この既視感は。
メディアが「感動」を演出しようとする時に陥りがちな紋切り型をうまく表したタイトルです。


この小説でいちばんの読みどころは、
小野がドキュメンタリーを制作して発表するまでのくだりでしょう。

当然の事ながら、彼の独断で放送ができるはずもなく、
そこには制作会社の上司や、大手テレビ局の制作や編成の人間も関わってきます。

彼らのあいだでどんな判断が下され、その後、どのような手順で作業が進められて行ったか、
特に充分な予算と取材期間もない中、突貫工事のように番組が作られて行き、
結果として後に発覚する重大なミスへとつながっていくところなどは、
同じメディアの仕事に携わるものとして正視できませんでした。

メディアは時に事実を捏造してしまうことがあります。

そのプロセスを見事に描き出したこの小説も、
今回の一件をきっかけに読む価値のある一冊といえるでしょう。

投稿者 yomehon : 2014年03月09日 10:53