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2014年01月12日
祝!第150回直木賞 直前予想その①
新年早々、大層おめでたいことに、直木賞がこのほど150回を迎えます。
例年だと候補作は年が明けてから発表されるのですが、
今回は記念すべき回ということもあってか、年末にはもう発表となり、
書店では候補作を並べたフェアなどが始まっています。
直木賞がスタートしたのは1935年(昭和10年)。
爾来、直木賞は我が国の大衆文芸の屋台骨を支えてきました。
記念すべき第1回の受賞者は川口松太郎さん。
いまでも水商売の女性を「夜の蝶」と呼ぶことがありますが、
あの表現はもともと川口松太郎の小説からきたものです。
このように大衆文芸が文化に与えきた影響には無視できないものがあります。
(余談ですが、『夜の蝶』が書かれた当時の銀座のことが知りたければ、
石井妙子さんの素晴らしいノンフィクション『おそめ』をどうぞ)
記憶を辿ると、ぼくがリアルタイムで直木賞を追いかけるようになったのは、
たぶん第96回(1986年下半期)あたりからではないでしょうか。
このときの受賞作は逢坂剛さんの名作『カディスの赤い星』。
ぼくは16歳で、この小説の影響で生まれて初めてスペイン文化に興味を持ちました。
それからというもの、年に2回の直木賞は、
まるでクリスマスやお正月のような年中行事のひとつとして、
ぼくの人生のカレンダーに当たり前のように組み込まれてきました。
とはいえ、150回という数字を目にすると、やっぱり感慨深いものがあります。
気持ちは若いつもりでもおっさんになったんだなぁ、という個人的な思いと、
戦前から綿々と続く直木賞の歴史を前に、膝を正して背筋が伸びるような思いと。
150回というのはやはり大変な数字だと思います。
そんなわけで、今回はいつも以上に気合いを入れて
受賞作予想に臨まなければなりません!!!
候補作は以下の通りです。
時代小説が3作。(朝井・伊東・万城目)
恋愛小説が2作。(朝井・千早)
女の一生・半生を描いたものが2作。(朝井・姫野)
短編小説集が3作。(伊東・千早・柚木)
過去候補実績がある者が3名。(伊東・姫野・万城目)
初候補者が3名。(朝井・千早・柚木)
まだまだいくらでもあげられそうなくらい
いろんなくくりかたができるラインアップになっていますね。
さあそれでは、今回は作者名であいうえお順にみていきましょう。
なんてったって150回ですからね。
いつも以上にじっくりみていきますよ。
さて、トップバッターは朝井まかてさんの『恋歌(れんか)』です。
いきなりものすごい傑作が登場ですね。
この小説は、個人的には昨年読んだ時代小説のナンバーワン!!
それだけではありません。
すぐれた時代小説であるだけでなく、恋愛小説としても超一級の作品なのです!!
物語の主人公は、中島歌子。
といっても、現代ではほとんど知られていない名前でしょうが、
明治時代に良家の子女に和歌や書を教える私塾「萩の舎」を興し、
千人を超える門人を集めるほどの成功をおさめたほどの人です。
当時の文化的なスター。先進的な生き方の女性の象徴。要するにセレブですね。
もちろん歌子自身も歌人ですけど、文学史的にみると、その作品よりも、
樋口一葉こと樋口夏子や、明治時代に女性として初めて小説を発表した
三宅花圃(夫は哲学者の三宅雪嶺)の師匠としてのほうが有名かもしれません。
ともかくこの小説は、
現代ではマイナーな存在である中島歌子の人生に秘められた
驚くべき過去を掘り起こした作品です。
読者はその苛烈な運命に慄然とした思いを抱くと同時に、
人を愛するとはどういうことかとか、
「義」とはなにかといったことを、深く考えさせられることでしょう。
歌子はもともと小石川にある池田屋という宿の娘でした。
近くに水戸藩の屋敷があり藩士たちがよく利用したため、
池田屋はたいそう繁盛していて、歌子もお嬢様として何不自由なく育てられました。
そんな歌子がある時、ひとりの水戸藩士に恋をします。
歌子が親の反対を押し切って嫁ぐまでの一途な恋のありようというのが、
ピュアな恋愛小説みたいな感じでひとつ前半の読みどころではあるのですが、
この小説の真の読みどころはむしろ後半です。
というか、後半にいけばいくほど、どんどん凄みを増していくというか、
お嬢様育ちの歌子が想像だにしなかった過酷な運命に巻き込まれていくのです。
というのも、嫁いだ先が、天狗党の家。
しかも夫の林忠左衛門以徳という男は天狗党のいってみれば幹部だったのですね。
ご存じない方のために、ものすごく簡単に説明しますと、
幕末の当時、尊王攘夷をとなえる水戸藩には、
天狗党と諸生党という派閥がありました。
どちらがどんな主張をとなえていたのかは割愛しますが、
ともかく両者はいがみあっていた。
歌子の夫は血気にはやる仲間を必死におさえようとしますが、
その努力も空しく天狗党は筑波山で反乱の狼煙を上げてしまう。
諸生党の工作もあって、
天狗党は幕府に歯向かった反逆者というだけでなく、
朝廷にも弓を引いた朝敵とみなされてしまうのです。
天狗党は幕府によって殲滅させられ、
藩士たちは悲惨きわまりない最期を遂げるのですが、
このあたりの一連の経緯は、
歴史小説の大家・吉村昭さんの『桜田門外の変』や『天狗争乱』などに
詳細に描かれているので、興味のある方はあわせてお読みください。
ともあれ、男たちがテロリストのレッテルをはられると、
その累が家族にも及ぶというのが古今東西あらゆる文化に共通するところで、
女こどもも囚われの身となってしまいます。
現代でいえば、強制収容所に入れられてしまったようなものですね。
ここからこの小説は、それまでの表情をがらりと変えます。
峻烈さ極まる運命が歌子を襲うのです。
読んでいて胸が苦しくなる。
怒りや悲しみで魂が揺さぶられるような思いがする。
でも著者の並々ならぬ筆力に首根っこをつかまれて、
決して、物語から眼を離すことができないのです。
この小説を読みながら、ぼくは何度も自問自答しました。
「大義とはなんだろう?」と。
歴史を振り返ってみるとよくわかるのですが、
声高に大義をとなえ、そのことに酔い、
思い通りにならないと拳を振り回したりするのは、いつも決まって男です。
澤地久枝さんに『妻たちの二・二六事件』という傑作ノンフィクションがあります。
なにゆえ傑作かといえば、
二・二六事件を女性の視点から描いた唯一無二の作品だから。
歴史は男と女によって作られるのにもかかわらず、
残念なことに世の中には男の視点で書かれた歴史ばかりが幅をきかせています。
天狗党だって例外ではありません。
だからこそこの小説は素晴らしい作品であるとも言える。
物語の面白さも当然のことながら、
『恋歌』のような視点から天狗党の乱を描いた作品はこれまでなかったのですから。
歌子は過酷な運命をどう息抜き、
後の世に何を残そうとしたのか。
物語にはあっと驚くまるでミステリーのような結末も待っています。
この小説はおおきなくくりでは時代小説ですが、
恋愛小説でもあり、幕末の志士のドラマでもあり、
知られざるこの国の近代史でもあります。
幾通りもの読み方ができることが傑作に必要不可欠の条件だとすれば、
この小説は紛れもない傑作であると断言できます。
それにしても、初っぱなからこんな傑作が出てくるなんて、
やっぱり150回だけのことはあるぜ直木賞!
というか、このテンションで読んでいって最期まで辿り着けるのか???
(まだまだ続きます!)
投稿者 yomehon : 2014年01月12日 01:29