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2013年12月02日
今年いちばん面白かったスパイ小説はこれ!
前回のエントリーで紹介したマーク・グリーニーもそうですけど、
今年は実力のある新しい作家との出会いが多い年でした。
スパイ小説の分野でいえば、
チャールズ・カミングが素晴らしかった。
1971年スコットランドに生まれ、
エジンバラ大学で英文学を学び最優等で卒業、
SIS(英国秘密情報部)にもスカウトされたという逸材です。
本国では5作目となるようですが、今年1月には本邦初訳となる
『ケンブリッジ・シックス』熊谷千寿訳(ハヤカワ文庫)が出版されました。
スパイの歴史に詳しい人であれば、
キム・フィルビー、アンソニー・ブラント、ガイ・バージェス、
ドナルド・マクリーン、ジョン・ケアンクロスという名前に心当たりがあるはずです。
1930年代にケンブリッジ大学に在学していた彼らは、
ソ連の情報機関によってスパイとしてリクルートされ、
大学卒業後はイギリス外務省やMI5、MI6といった情報機関に勤務。
ソ連側の調教師(ハンドラーといいます)に大量の機密書類を渡していました。
彼らの所業はやがて白日のもとにさらされるところとなり、
「ケンブリッジ五人組」の名で知られるようになります。
全機密書類の閲覧が許され、初の正史として書かれた
『MI6秘録』キース・ジェフリー 高山祥子訳(筑摩書房)には、
「SIS最悪の裏切り者」としてキム・フィルビーの名前が出てきます。
(歴史の本でありながらこの本も無類に面白い!これも今年の収穫のひとつ)
彼らの事件がいかに英国情報部のトラウマになっているかがわかります。
『ケンブリッジ・シックス』は、
「もうひとりスパイがいたら?」というアイデアのもとに書かれた作品です。
歴史学者のサム・ギャディスは、親友の女性ジャーナリストから、
このもうひとりの人物に関する本の共同執筆を持ちかけられますが、
彼女はある日急死してしまいます。
彼女の遺志を継いで調査を続けたギャディスは、
SISがある男の死を偽装していたことを知ります。
しかし偽装工作に関与した病院関係者に接触するうちに、
彼らは次々と不慮の死を遂げていきます。
ギャディスは知らず知らずのうちに
国際情勢を左右するとてつもない機密を暴こうとしていたのでした——。
「もし6人目のスパイがいたとしたら」という着想が素晴らしいのはもちろんですが、
なによりも強調しておきたいのは、このチャールズ・カミングという作家が、
イギリスの伝統的なスパイ小説の流れを汲む作家であるということです。
スパイ経験を持つ(あのキム・フィルビーの元部下!)グレアム・グリーンや、
外交官だったジョン・ル・カレなどと同じ系統の作家であるということは、
いくら強調しておいてもし過ぎることはないでしょう。
嬉しいことに今年8月には、はやくも本邦2作目として
『甦ったスパイ』横山啓明訳(ハヤカワ文庫)が登場しました。
こちらは訳あってSIS をクビになった元スパイのトーマス・ケルが主人公。
SIS初の女性長官に就任予定だったにもかかわらず突如消息を絶った
アメリア・リーヴェンを探し出すよう古巣から依頼されたケルは、
捜索を進めるうちに、アメリアの知られざる過去と驚くべき国際的陰謀をあぶり出していきます。
トーマス・ケルを007のようなスパイだと思ったら大間違い。
銃を手に立ち回ったりすることもなければ、
何人もの敵を素手で倒すような技量も持ち合わせていません。
ごくごく普通の人物です。
そんな普通の人間が、
わずかな手掛かりを頼りに少しずつ真相に迫っていく。
このあたりのストーリーの運び方に実に説得力があるんですね。
実際のところは佐藤優さんのようなスペシャリストに
お聞きしてみないとわかりませんが、
ぼくは情報機関に所属する人物というのは案外トーマス・ケルのような
人物なのではないかと思ってしまうのですがいかがでしょう。
チャールズ・カミングは『甦ったスパイ』で
英国推理作家協会賞イアン・フレミング・スティール・ダガー賞を受賞しています。
この優れたスパイ小説の書き手と出会えたことも今年の大きな喜びのひとつでした。
投稿者 yomehon : 2013年12月02日 00:00