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2013年11月07日
人間観察のプロはストーカーといかに戦ったか
あらゆるものを削ぎ落して生活をシンプルにしていった時、
最後に残るものはいったい何でしょうか。
先日、藤原敬之さんの『カネ遣いという教養』(新潮新書)を読んでいたら、
そんな魅力的な問いかけを目にしました。
藤原さんはかつて億単位の収入を得るファンド・マネージャーでした。
この本は、ありとあらゆることにカネを注ぎ込んだ結果
みえてきたものについて書かれた、
いわば「浪費の哲学」とでもいうべき面白い本なのですが、
藤原さんは「あとがき」で、浪費や蕩尽とは逆に、
極限までモノを削ぎ落した生活からは何が見えるだろうかと問いかけます。
都の外に方丈(四畳半)の庵を結んだ鴨長明は、
あんなに狭い空間にもかかわらず、かさばるものをふたつも所持していました。
琵琶と琴です。
これを指して藤原さんは、
鴨長明は「ノー・ミュージック、ノー・ライフ」だったのではないか、
と面白い指摘をしています。
シンプル・ライフの果てに残るのは音楽かもしれない、ということですね。
「ノー・ミューシック、ノー・ライフ」は、
キャサリン・ダンスにとってもきっと人生の合言葉に違いありません。
世界屈指のエンターテインメント作家ジェフリー・ディーヴァーの
キャサリン・ダンス捜査官シリーズでお馴染みの彼女は、
相手のボディランゲージをもとに瞬時にウソを見破る「キネシクス」の達人で、
全米きっての尋問のプロフェッショナルとして知られています。
それと同時にダンスは、「ソング・キャッチャー」の顔も持っています。
休みをやりくりしては録音機片手に各地へ出かけ、
消えゆく民族音楽などを収集してウェブサイトにアップしているのです。
待望のシリーズ3作目となる
『シャドウ・ストーカー』池田真紀子訳(文藝春秋)は、
ダンスの愛する音楽が真正面から扱われていて、
ミステリーファンのみならず音楽ファンも必読の一冊。
物語はまとまった休暇をとって音楽収集の旅にでたダンスが、
旧知のカントリー歌手ケイリー・タウンに会いにいくところから始まります。
ケイリーは、カントリー界の大御所ビショップ・タウンの娘で、
天性の美貌と美しい歌声を持っていました。
(ちなみにぼくはテイラー・スウィフトをイメージしながら読み進めました)
人気歌手であるケイリーはストーカーに悩まされていました。
エドウィン・シャープという名のその男は、
ケイリーのことはどんな些細なことでも知っていて、
たとえメールアドレスを変えたとしても、
すぐに新たなアドレスを探り当てて接触をしてくるような人物です。
ダンスが休暇で訪れた街フレズノでは
ケイリーのコンサートが予定されているのですが、
その会場でコンサートクルーのチーフが惨殺されます。
殺害状況は、ケイリーのヒット曲のある一節を連想させるものでした。
いわゆる「見立て」による殺人というわけです。
執拗にストーキングを繰り返すエドウィンが犯人なのか?
再びケイリーの曲の歌詞をなぞるような殺人事件が起きます。
ダンスは現地の捜査チームとともに連続殺人事件の解明へと挑むのでした——。
我が国でも最近、不幸な結末を迎えてしまったストーカー事件がありましたね。
警察関係者に聞いたところ、ストーカー事案は2001年以降、
毎年1万件を突破していて、昨年は過去最高の1万9920件を記録し、
いまや2万件に迫らんかという勢いだそうです。
にもかかわらず警察がなかなかストーカーを摘発できずにいるのは、
すぐにでも刑事罰に問えるような犯罪行為が見られないというのがその理由。
本書でも、ダンスがストーカーについて捜査チームに講義をする場面があって、
読者としてはアメリカのストーカー事情を把握するのに大いに役立つのですが、
ストーカーをつかまえづらいのは彼の国でも同様なようで、
ストーカーを規制する法律はあるものの、
実際には明白な脅迫行為などがない限り逮捕は難しいとのことです。
ディーヴァーの作品はどれもそうなのですが、
本作も読み始めるとページを捲る手が止められなくなります。
この作品が読ませる理由は、
まず上記のストーカー摘発にまつわるジレンマ——拒否しても拒否しても
目の前に姿を現す人物をどうすることもできない恐ろしさを、
うまく小説に活かしている点があげられるでしょう。
また本作では、ダンスが初めて
ホームタウンを離れた場所で犯人と対峙する点も見逃せないポイントです。
休暇中であるがゆえに捜査権もなく拳銃も使えない。
主人公に課せられたこの制約も、読者の危機感を程よく煽るスパイスとなっている。
それともうひとつ、特筆すべきなのは、
ダンスの武器であるキネシクスが今回は封じられてしまうこと。
なぜキネシクスは通用しなかったのか。
それは相手がストーカーだからです。
ストーカーは相手とお近づきになるためであれば、作り話をするのも平気。
ダンスによれば、ウソをつくことに苦痛を感じない人間の心理を読み解くのは、
とても難しいことなのだそうです。
今回はXO——メールなどの文末に記されるキスとハグを意味する記号を、
相手からの好意のしるしであると男が受け止めてしまったところからつきまといが始まりました。
ケイリーからエドウィンに送られたのは、ファンクラブの自動返信メールで、
文末の「XO」は誰もが日常的に使うお決まりの挨拶に過ぎないにもかかわらず、です。
もはやエドウィンは、ケイリーが運命の女性だと心の底から信じきっていて、
恋愛関係になりたいと切に願う一方、
ケイリーもそう望んでいるに違いないと思い込んでいます。
ここまで強く信憑しているものを覆すのは並大抵のことではありません。
「人間嘘発見器」キャサリン・ダンスは、いかに犯人を追い詰めるのでしょうか。
事件は意外なところから突破口が開けるのですが、それは読んでのお楽しみ。
本作ではこの他、ふたりの子どもを抱えるシングルマザーであるダンス自身の
恋愛も描かれていて、物語に彩りを添えています。
もちろんドンデン返しの魔術師ディーヴァーお得意の二転三転する結末も健在。
そしてさらに!
今回は作中に登場する歌が、
ディーヴァーのホームページで実際に聴けるようにもなっています。
お時間のある方はこちらもぜひ。
最後に版元に注文もひとつ。
387ページの下段に「仕事仲間」が「仕事中ま」となっている変換ミスがあります。
デジタル入稿になってこの手のミスが各社で頻発していますが、
首を長くしてディーヴァーの新作を待っているファンからしてみれば、
この手のうっかりミスはとても残念なもの。
ぜひ第二版からは直してくださいね。
投稿者 yomehon : 2013年11月07日 21:03