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2013年05月22日

これぞ「おもてなし小説」の最高峰!


先日、サービスの達人として知られる
リッツ・カールトン元日本支社長・高野登さんの
『リッツ・カールトン 至高のホスピタリティ』(角川Oneテーマ21)を読んでいたら、
在職中に経験したお客さんとのこんなエピソードが紹介されていました。

窓の外を飛ぶジェット機をみたお客さんから
「あのジェット機が欲しいから、なんとかしてくれ」
と頼まれたというのです。

無理難題もいいところですが、
さすがホスピタリティでは定評のある一流ホテルのホテルマン。
そんな無茶なオーダーにも見事に応えてあげるのです。
(高野さんがどんな対応をしたかはぜひ本をお読みください)


さて、高野さんの本を読みながら、
「小説に関してわがままな注文をする客」というのを想像してみました。

それはきっとこんなふうなオーダーになるんじゃないでしょうか。


「腹を抱えて笑える場面もあれば、
目頭が熱くなるようなシーンもあって、
おまけに切なくなるような恋や、
手に汗握るサスペンスやアクションももれなくついてきて、
知的好奇心を満足させてくれるような情報もちゃんと盛り込まれていて、
読み終えた後には清々しい余韻が残るような、そんな小説が読みた————い」


普通の作家であれば
「素人がバカいってんじゃないよ」
と怒り出しそうなこんなわがままなオーダーにも、
超一流の小説家はリッツ・カールトン並にちゃんと応えてくれるのだから凄い。

その作家とは誰あろう、当代随一の小説の名手・浅田次郎さんであります。


参勤交代を題材にした『一路』(中央公論新社)は、
まさにわがままな読者の要求にすべて応えてみせたといっていい作品。

笑って、泣けて、恋もあり、サスペンスとアクションもあり、
しっかりと歴史も勉強できて、読後感は初夏の青空のように爽やかです。

コメディ、人情小説、ラブロマンス、スパイアクション小説、
ビルドゥングスロマン(教養小説)……などなど、すべてのジャンルの要素が入っています。
これだけの要素を見事まとめあげてみせる腕前は、もはや神業といっていいでしょう。


時は尊王攘夷の声が澎湃とわき起こる幕末、第14代将軍・家茂の治世。
(先日『グッモニ』で本書を紹介した際、生放送でとっさに「家茂」を
「いえしげ」と言ってしまいましたが、正しくは「いえもち」です。
大変失礼いたしました。ご指摘くださったリスナーの方ありがとうございました)


父の不慮の死を受けて、江戸から故郷の西美濃・田名部郡へ戻った小野寺一路に、
御供頭(おともがしら)として参勤交代を差配せよと突然の命が下ります。

この時、一路は数えで19歳という若さ。

代々、御供頭を務めて来た家柄とはいえ、
頼りになる父は失火による焼死でこの世におらず、
どのように参勤交代を仕切れば良いのか皆目わからない。


そんな時に、焼け跡から出てきたのが、二百数十年前の家伝書。

そこには、関ヶ原の戦いの後、江戸の初期に、
どのように参勤交代が行われていたかが記されていました。
言ってみれば、現代でいうマニュアル本です。

家伝書を読み込んだ一路は、
古式に則った参勤交代を幕末の世に復活させんと奮い立つのですが……、
ここで問題となるのが、
古式といっても何を持ってして古式と言うのか、ということ。


そもそも参勤交代とはいかなる目的のもと行われたものだったのか。

昔、歴史の授業で習った知識によれば、
その目的は、軍事政権だった徳川幕府が、
諸大名の反乱を恐れて、定期的に江戸へ出仕することを義務づけたというもの。

一年おきに江戸と領地とを往復するには莫大な金がかかるうえに、
江戸屋敷には妻子が人質としてとられているも同然。
諸大名に出費を強いて、その牙を捥いでしまう目的で
参勤交代という制度がつくられたのだということでした。

ところが、浅田次郎さんはこの参勤交代観に異を唱えます。

浅田さんによれば、そもそも参勤交代というのは、
「いざ鎌倉!」という時にいち早く主君のもとに駆けつけるための
軍事演習の一環だったというのです。


だとするならば、のんびりとした大名行列などもってのほか、
参勤交代は堂々たる行軍でなければならず、
たとえ行く手を雪山や土砂が阻んでいようと、これに怯んではならない。
一刻も早く江戸に駆けつけるべく、
命がけで障害を乗り越えなければならないということになります。

さあて、このように若き「参勤交代原理主義者」が登場したがために、
次々と騒動が巻き起こり、物語は俄然面白さを増します。

ここへ可憐なお姫様との身分違いの淡い恋や、
お家転覆を狙った謀略なども絡むのですから、盛り上がらないわけがない。
本当に息つく間もない面白さです。

なにより凄いのは、涙と笑いが交互に襲いかかってくること。

それも当然、
浅田さんはよく「泣かせの名手」だなんて言われますけれども、
もうひとつ、くだらないギャグを書かせたらこれまた天下一品の、
「笑いの名手」だということも忘れてはなりません。

想像してみてください。
『鉄道員』ばりの名シーンにホロリとさせられた次の場面では、
『きんぴか』ばりのお下劣なギャグに腹を抱えて笑ってしまうのです。

こんなお得な小説があるでしょうか。

浅田次郎さんがこれまでお書きになってきた「涙」と「笑い」という、
いわば車の両輪のごとき2種類の小説のエッセンスが交互に堪能できる、
信じられないくらいにお買い得な作品であるということは、
いくら強調しておいてもいいでしょう。

泣いてデトックスしたい人も、
笑ってすっきりしたい人も、
どちらもとことんまで面倒をみてあげようというこのホスピタリティ!

まさに一流ホテルのサービスを彷彿とさせる
小説の名手によるおもてなしに、ぜひいちど身を委ねてみてはいかがでしょうか。


投稿者 yomehon : 21:51

2013年05月14日

「わからない」は面白い!


故郷が九州の久住高原のすぐ近くにあるため、
帰省するたびに、空港から実家へ向かう道すがら、
放牧中の牛がのんびりと草を食んでいる光景を眺めるのが恒例となっています。

もし皆さんも同じような場面に遭遇したなら、
ぜひ試してみていただきたいことがあります。

それは、「牛がどの方角を向いているか」をチェックすること。

驚くなかれ、そこであなたは
大半の牛が同じ方角を向いて草を食べているのを目撃するはずです。


毎日新聞の名物科学記者・元村有希子さんの書くエッセイには、
いつもこのような魅力的な疑問の提示があります。

「わからないこと」を前にした元村さんは、
まるで子供のように柔らかな感性で、
「わぁすごい!おもしろーい!」と全身で反応し、
好奇心のおもむくまま、疑問をどこまで解き明かすことができるのか調べていく。
その様が読んでいてなんとも楽しい。

『気になる科学』(毎日新聞社)は、
そんな元村さんのコラムやエッセイをまとめた
科学の魅力に満ち溢れた一冊。

この本を読んでいると、
小さい頃に誰もが感じていたようなこと、
たとえば天高く澄み渡った空の青さに感じた不思議や、
夜空に瞬く星に異星人を想像して感じた胸の高鳴りなどが、
もういちど自分の中に甦ってくるはずです。

「科学コミュニケーション」という言葉があります。
科学の専門家と一般の人々とのあいだをつなぐコミュニケーションのことで、
イギリスがその先進国として知られています。

科学コミュニケーションがイギリスでどれほど盛んか、
その一例を挙げると、もっとも有名なのは、
クリスマス休暇の時期に科学者が子供向けに行う
「クリスマス・レクチャー」です。


歴史に残る「クリスマス・レクチャー」といえば、
なんといってもマイケル・ファラデーの講義でしょう。

ロンドンの貧しい鍛冶屋に生まれ、
のちに王立研究所の実験所長となったファラデーは、
電気分解や電磁誘導の法則を見出し、
「イオン」という用語をひろめたことでも知られる19世紀の科学者です。

彼が1861年のクリスマス休暇に行ったレクチャーのあらましは、
『ロウソクの科学』という名著中の名著としていまでも手軽に読むことができます。

1本のロウソクを取り上げて、
ロウソクの身の上話をいたしたい、と語り始めたファラデーは、
「この宇宙をまんべんなく支配するもろもろの法則のうちで、
ロウソクが見せてくれる現象にかかわりをもたいないものは
一つもないといってよいくらいです」と述べて、
科学と自然、人間との交わりについててつもなく深いレベルで語っていくのです。


クリスマス・レクチャーの他にも、
科学フェスティバルがあちこちで開催されていたり、
サイエンスカフェと呼ばれる専門家と一般人との交流会も盛んだったり、
なぜかイギリスでは科学と市民の距離が近い。

元村さんは、『科学の横道』佐倉統 編著(中公新書)という本の中で、
このように科学が身近なのは、疑い深くて議論好きな、
イギリス人の国民性に由来するのではないかという説を披露しています。

なぜなら、「疑うこと」と「議論すること」は、
いずれも科学の基本姿勢だから。なるほど!


さて、科学といえば、
昨年の夏、世界中の科学者たちをあっと驚かせたのが、
「ヒッグス粒子」の発見でした。

物質を構成する最小単位である素粒子に、
質量を与えたとされるヒッグス粒子は、
イギリスのピーター・ヒッグス博士が
その存在を予言していながら、
実際に確認されるまでに半世紀近くかかりました。

いきなり「ヒッグス粒子」なんて言われてもよくわからないという人のために、
元村さんは次のように巧みな比喩でその役割を説明してみせます。


「最近あちこちで見かける『ビーズクッション』を想像していただきたい。
中に詰められた無数の小さなビーズ一つ一つがヒッグス粒子と考えよう。
あのビーズの中に指を入れて、うにうにーと動かす時、指は多少の抵抗を感じるだろう。
博士は、その『動かしにくさ』を『質量』と定義したのだ」


元村さんは、大発見に沸く科学界の興奮をぜひ伝えたくて、
朝刊のメニューを決める編集会議に参加します。

ヒッグス粒子とは何か、その役割は、検出方法は……と熱くプレゼンしていたら、
気がつくと参会者全員がぽかんとしている。

ややあって、口を開いた会議の主催者と元村さんとのやり取りが素晴らしい。

「すごいことは何となくわかるが、わからんな」

「それでいいんです!」

「で、その発見は何か役に立つのか」

「何の役にも立たないですが、心が豊かになります」


このひと言に座はどっと沸き、記事の掲載が決まったそうですが、
一連のやり取りの中で、元村さんはファラデーのエピソードを思い出します。

実験で人々を魅了することで知られたファラデーに、
ある婦人がこんなことを聞いたそうです。


「そんな役にも立たないつまらないことをして何になるのですか?」


これに対してファラデーはこう返したそうです。


「生まれたばかりの赤ん坊が、何の役に立つというのですか?」


先ほど「疑うこと」と「議論すること」が科学の基本姿勢だと書きましたが、
ぼくはここにもうひとつ、「わからないことを面白がること」を付け加えたい。

この『気になる科学』には、
わからないことをどこまでも面白がる精神がぎっしり詰まっています。


さて、ここで冒頭の牛の話に戻れば——、
放牧中の牛や休息中のシカなどが、南や北を向いているというのは、
ドイツとチェコの研究チームによって確かめられた話。
彼らは「地磁気による影響」という仮説をとなえているそうです。

でも、なぜ牛やシカが地磁気に反応して、
頭を南北に向けるのかは依然わかっていません。

世界を揺るがす大発見も、
はじまりはこういう「ちょっとしたわからないこと」を
面白がる精神から生まれてくるのかもしれませんね。

元村さんは、このコラムをこんなふうに結んでいます。

「これを読んで『ウチのポチはいつもどっちを向いているかしら』、と思ったあなた、
さっそく今日から方位磁石を片手に、ポチを観察してみていただきたい。
そこにノーベル賞級の発見が潜んでいるかもしれない」


なるほど!と思ったぼくは、
牛の気持ちになってみようとご飯を食べながらおもむろに立ち上がってみました。

牛が反すうするように口を動かしながら目を閉じて、
地磁気を感じることができるか、じっと自分の内なるセンサーに耳をすませてみました。

うーん、何も感じない。

なんだかヨメが「救急車!」などと騒いでいるのが聞こえるのは気のせいだろうか……。

投稿者 yomehon : 21:24