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2013年01月15日
第148回直木賞直前予想!(後編)
(前のエントリーからのつづきです)
次は志川節子さんの『春はそこまで 風待ち小路の人々』です。
不覚にもぼくはこの著者のことを知りませんでした。
単行本の著者略歴をみると、
1971年、島根県のお生まれで、早稲田大学を卒業後は、
会社勤めのかたわら小説を書き続け、2003年(平成15年)に
「七転び」で第83回オール讀物新人賞を受賞。
2009年(平成21年)になってようやく、
初の単行本『手のひら、ひらひら 江戸吉原七色彩』を上梓されています。
新人賞受賞から初めての単行本出版まで6年もかかっています。
これで思い出したのが、時代小説の第一線で活躍されている山本一力さんが、
オール讀物1月号に掲載された宇江佐真理さんとの対談で披露されていたエピソード。
山本さんはオール讀物新人賞を受賞してから、
何度も何度も編集者に原稿を提出してはボツにされ、
受賞第一作がようやく掲載されたのは受賞から2年もたってからだったそうです。
いつも編集者の段階で原稿がボツになることに納得のいかない山本さんが、
「何でお前しか読まねえんだ。何で編集長に読んでもらえねえんだ」
と詰め寄ると、編集者はこんなことを言ったそうです。
「山本さん、私はあなたの味方だから編集長に見せないんです。
編集長に読んでもらうときは勝負を賭けるときなんです」
この言葉を聞いた山本さんは、今はまだ自分の小説は編集長に見せるほどの
レベルに達していないのだということを悟り、目が覚めたそうです。
経歴から想像するかぎりでは、おそらくこの志川さんも、
編集者と二人三脚で自分を鍛えてきた方ではないでしょうか。
会社勤めを続けながら小説を書き続けるというのは、
なかなか出来ることではありません。
芝神明宮のすぐそばに「風待ち小路」と呼ばれる小さな店が
肩を寄せ合うように並ぶ通りがあります。
『春はそこまで』は、この小路で生きる人々の人間模様を描いた連作短編集。
絵草紙屋や生薬屋など江戸の商売人の世界が実に活き活きと描かれています。
いやーこんな人がいたんですね。心のこもったとてもいい小説です。
芝神明宮は文化放送のすぐそばにありますし、余計に親近感を覚えてしまいました。
ただこの作家はまだ一作しか世に問うていません。
(もちろんその背後には膨大なボツ原稿があると想像しますが)
この作家が果たして書ける腕力を持っているのかどうか、そのあたりは未知数です。
(前のエントリーで示した〈モノサシ〉でいえば、「その3」ですね)
ですので、今回は名刺代わりと受け止め、今後の活躍をみたいと思います。
さあ次は、伊東潤さんの『国を蹴った男』にいきましょう。
伊東さんは今回の候補者の中ではもっとも精力的に作品を発表している作家です。
この方もサラリーマン生活のかたわらずっと小説を書き続けてこられた方で、
作家専業になってからは、怒濤のように作品を発表し続けておられます。
すでに時代小説の書き手としても定評がありますし、
いつ直木賞をとってもおかしくありません。
『国を蹴った男』は、武田信玄や上杉謙信、織田信長、豊臣秀吉など、
天下にその名を轟かせた英雄たちの下で生きた男たちにスポットをあてた短編集。
蹴鞠の達人として知られた今川氏真に仕える鞠職人を主人公にした
表題作の「国を蹴った男」の出来映えなどは見事のひと言に尽きます。
脇役たちに光を当て物語の主役に引き立てるという着想。
そして脇役を用いて力強い物語に仕立て上げてみせるその筆力。
あの、想像してみてください。
「フジテレビの月9の枠で、無名の俳優ばかりを集めて、
一話完結のドラマをつくったら、それがむちゃくちゃ面白かった」という事態を。
この小説はそれくらいのことを成し遂げているわけです。
たぶん候補作がここまでだったなら、
ぼくは迷わず『国を蹴った男』を受賞作に推したと思います。
でも今回はこの作品があるから、そうはいかないんですね。
そう、安部龍太郎さんの『等伯』です。
長谷川等伯は、時代で言えば安土桃山時代を生きた人物です。
辻惟雄さんの名著『日本美術の歴史』(東京大学出版会)には、
等伯は狩野永徳の向こうを張る桃山画壇の一方の雄で、
「かれは能登出身で、信春と称する地元の絵師として
仏画などを制作していたが、三十歳頃上洛し、牧谿、周文らの
水墨画技法にまなび、永徳の新画法を吸収して独自の画風をつくりあげた」
と書かれています。
代表作は国宝にも指定されている「松林図屏風」。
白濁した靄の中にぼうっと浮かびあがる松が、
六曲一双の屏風に描かれた図柄を目にしたことがある方もいるかもしれません。
まず押さえておきたいのは、
長谷川等伯という人は大変な苦労の末、
天下一の絵師と言われるまでになったということです。
武家に生まれたものの武士失格の烙印を押されて仏画師の家に養子に出され、
その後、養父母の非業の死により妻子とともに故郷を追われ、
都に向かうものの戦に巻き込まれ……という具合に。
名声を得てからも狩野派との暗闘により愛する者を奪われたり、
心の師である利休との悲しい別れがあったり、次々と悲劇に襲われます。
にもかかわらず等伯は、
まだ誰も描いたことのない絵を目指して絵筆をとるのです。
圧巻はなんといっても松林図に取り組む場面でしょう。
自らの命を賭けてこの名作を生み出すまでの等伯の内面描写は、
まさに小説でしか成し得ないもので、読んでいて心が震えました。
またもうひとつ、特筆すべきなのは、
この作品が東北大震災発生時に新聞に連載されていたということです。
(2011年1月22日〜2012年5月13日まで日本経済新聞朝刊に掲載)
安部さんは、津波による甚大な被害とその後の原発事故を目の当たりにして、
「この現実を前に小説家に何ができるのか」と無力感に押し潰されそうになりながら
この小説の執筆を続けていたと振り返っていらっしゃいます。
思い悩み葛藤を繰り返す日々の中で、安部さんはひとつの結論に達します。
それは「魂の救済に通じる作品を描く以外にない」ということでした。
そして等伯の人生がまさにそのようなものだったということにも気がつくのです。
選考会では執筆背景みたいなものがどれだけ考慮されるのかはわかりませんが、
苦しみながら数々の傑作を生み出した等伯の姿には、おそらく3・11以降、
血を流すようにしてこの小説を書き継いだ著者自身の苦しみが反映されているはずで、
それがこの小説が並々ならぬ迫力をたたえている理由ではないかと思うのです。
「鬼気迫る」という言葉がありますが、まさにそのような迫力をぼくはこの小説に感じます。
この迫力の前では残念ながら他の候補作は霞んで見えてしまう。
というわけで、
第148回直木賞は、不世出の絵師の生涯を
圧倒的な迫力と感動のもとに描ききった傑作『等伯』と予想いたします!
投稿者 yomehon : 2013年01月15日 01:07