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2012年12月05日
横山秀夫の『64』は今年の国内ベストミステリー!
気がつけばもう師走!
師である僧がお経をあげるのに東奔西走するほど忙しいさまを見て
師走と呼ぶようになったという説がありますが(諸説あり)、
本読みにとっては、今年読み残した本を、
まさに走りながら読むかのごとくに貪り読むのがこの季節。
またこの時季は、
今年のミステリー小説のベスト10が
各誌で発表されるタイミングでもあります。
後出しじゃんけんと言われないように、
この場を借りて声を大にして言っておくと、
まず今年のミステリー小説海外部門の第1位は、
スコット・トゥローの『無罪』二宮謦・訳(文藝春秋)でしょう。
リーガル・サスペンスというジャンルの嚆矢となった
名作『推定無罪』から実に24年ぶりとなる続編。
詳しくは機会をあらためますが、
厚みのある人間ドラマの中に人生の苦さや感動が含まれた、
まるで熟成したシングルモルト・ウイスキーのような味わい深い傑作です。
一方、国内ミステリーに目を向けてみると、ベストワンは、
横山秀夫さんの『64(ロクヨン)』(文藝春秋)で決まりでしょう。
警察小説の旗手と目され、
次々と話題作を発表していた横山さんが突如沈黙してから7年。
ファンとしては本当に心待ちにしていた新作です。
舞台は横山秀夫ファンにはお馴染みのD県警。
ご存じない方のために説明しておくと、
横山さんのデビュー作『陰の季節』の舞台がD県警で、
以来『動機』や『顔FACE』などが「D県警シリーズ」として書き継がれてきました。
警察組織には直接捜査にあたる刑事部と裏方を担う警務部がありますが、
『陰の季節』がそうだったように、『64』も警務部の人間が主人公。
D県警警務部広報官の三上がその人です。
刑事生活が長かった三上は、
思いも寄らないタイミングで広報室へと異動になったものの、
広報室の改革に前向きに取り組もうとしていました。
マスコミの言うがままに記者発表のお膳立てをするだけのセクションではなく、
刑事部から得たナマの捜査情報によって武装することで記者たちと対峙する。
互いを牽制し合う「大人の関係」をマスコミとの間に築く。
そんな理想の広報の姿を胸に仕事に取り組んでいたのです。
ところが、そのような志とは裏腹に、
私生活では16歳になる一人娘が家出をして行方不明になるという
深刻な問題が起きたばかりか、仕事では交通事故加害者の匿名発表をめぐって
記者クラブと後戻りできないような対立関係に陥ってしまいます。
そんな折、警察組織のトップに立つ警察庁長官が視察に来ることになり、
D県警に緊張が走ります。
視察の目的は、関係者のあいだで「ロクヨン」と呼ばれる
未解決事件の現場を訪れ、遺族に面会をすること。
それに加えて、メディアの「ぶらさがり」会見で
何か重要なメッセージを発しようとしているらしいこと。
「ロクヨン」とは、
昭和64年にD県警管内で発生した事件の符丁です。
昭和64年という、昭和最後となる年に、
近所の親戚の家にお年玉をもらいにいった小学生の女の子が
何者かに誘拐され、その後殺害されるという痛ましい事件が起きました。
犯人は身代金を奪い逃走。
「たった七日間で幕を閉じた昭和64年という年。
平成の大合唱に掻き消された幻の年。だが確かに存在した。
犯人はその昭和最後の年に七歳の少女を誘拐し、殺し、
そして平成の世に紛れていった。『ロクヨン』は誓いの符丁だった。
本件は平成元年の事件に非ず。必ずや犯人を昭和六十四年に引きずり戻す——」
けれど捜査関係者の願いもむなしく、
その後、決定的な手掛かりがないまま14年がたち、
時効があと1年後に迫っていました。
なぜこのタイミングで長官がやってくるのか。
本庁の真意はどこにあるのか。
D県警のトップに座るキャリアは何を隠しているのか——。
警察関係者のさまざまな思惑が入り乱れ、
人々はふたたび「ロクヨン」の悪夢を思い出すことになるのです。
デビュー作『陰の季節』が画期的だったのは、
主人公を捜査畑の人間ではなく管理部門の人間としたことです。
たとえば表題作「陰の季節」で主人公となるのは、
D県警の警務部警務課で人事を担当する二渡真治でした。
(二渡は『64』でも三上の同期として登場します)
この『64』の魅力は、
未解決事件「ロクヨン」をめぐる予想外の展開もさることながら、
刑事の身分を奪われ、広報室という不本意な職場へと異動させられた三上が、
組織の中でもがき苦しむ点にあるといっていいでしょう。
刑事部との対立、上司からの圧力、部下とのすれ違い、
キャリアへの反発、マスコミとの反目……。
もちろんここに行方不明の娘への心配と
日に日に憔悴していく妻との関係も含まれるのですから、
三上が背負っているプレッシャーやストレスは並大抵のものではありません。
ともかくこの著者は「ドS」なんじゃないかと疑ってしまうくらい、
三上に目を覆いたくなるくらいの負荷をかけるのですね。
でもここまで徹底的に主人公を追い詰めたからこそ、
組織の中で三上がどう生きていくかというテーマが、
曇りなく、くっきりと浮かびあがってくるのです。
このあたりの筆の運び方は本当に見事というほかありません。
「組織と個人」というのは普遍的なテーマです。
組織の中で確かなポジションを占めていると自負していたとしても、
所詮そんなプライドは辞令の紙切れ一枚でいとも簡単に崩れ去ってしまいます。
「春に異動がなく、捜査二課に残留していたらどうだったか。
あるいは刑事の身分のまま東京に出向していたら。
メッキを剥がされることはなかった。刑事部のテリトリーにいる限り、
生涯見ずに済む地金だった。きっと誇れる自分でいられた。
葉でも枝でもなく、刑事として一本の木になっていた。
法治の大地にしっかりと根を張り、検挙実績の年輪を重ね、
朽ち果てるまでここに立ち続けることを信じて疑わなかった。
そんな唯一無二のリアルな世界が辞令交付の紙切れ一枚で瓦解した。
職種の縄張りだけでなく、厳密に線引きしていた公私の境まで破られた。
娘を思う心に手を突っ込まれた。組織の職種で家族を雁字搦めにされた上、
あるはずのない疑念まで植えつけられた。あゆみのため。美那子のため。
果たしてそれは真の思いか、と」
いま自分の仕事を天職だと思えている人はどれくらいいるのでしょう?
たぶんほとんどの人が、意に沿わない職場で
迷いながら仕事をしているのではないでしょうか。
三上も同じです。
暗闇の中でもがく彼の姿に、
読者はそれぞれ自分自身を重ね合わせて見るはずです。
けれども三上は、
迷いながらもやがて広報官としてやるべきことを見つけ出していきます。
影の薄かった父の口癖を夢うつつの中で不意に思い出す場面。
あるいは、ある決意を胸に記者たちの前に立ち彼らに語りかける場面など、
読む者の胸を熱くする名シーンを効果的に挟み込みながら、
作者は三上が新しい自分を見つけ出していくプロセスを丁寧に描き出します。
「俺の職場はここだ。キャリアにも刑事部にも好き勝手にはさせない」
生まれ変わった三上の目の前で、
ふたたびD県警を震撼させる大事件が起き、
東京から大挙してマスコミが押し寄せてきます。
でもそこにかつての鬱屈とした三上の姿はありません。
圧倒的な熱量を抱えて物語がラストまで突っ走る中、
あなたは、天職とはいえない職場で何かをつかみとった人間の強さを目撃するはず。
「組織と個人」をテーマを描き続けて来た横山作品の中でも、
この『64』はひとつの到達点を示すものといえるでしょう。
組織の中でもがいているすべての人に読んでいただきたい傑作です。
投稿者 yomehon : 2012年12月05日 23:19