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2012年11月26日

警察小説の超進化形 『機龍警察』シリーズ


どんなジャンルも成熟すると、必ずそこに新たな進化が起きます。

『機龍警察』シリーズを読む時、
ぼくはいつも「警察小説もここまできたか」という感慨を新たにします。

実は警察小説というジャンルが、
昔から自明のごとく存在していたわけではありません。
警察小説のさきがけとなる作品が初めて登場したのは1950年代のこと。

この時期に書かれた警察小説の中でもっとも成功をおさめたのは、
1958年に発表された松本清張の『点と線』でしょう。
ただこの作品の後に、
次々と後続の作品が現れたかといえばそんなことはなく、
むしろ「社会派ミステリー」という曖昧な呼称のほうが世間に広まったせいで、
警察小説というジャンルが明確に確立されるのは、
ずっと後の1990年代を待たなければなりませんでした。

90年代は警察小説の黄金期です。
主立ったものだけを並べてみても、
大沢在昌さんの『新宿鮫』が発表されたのが1990年、
高村薫さんの『マークスの山』が1993年、
そして横山秀夫さんが1998年に『陰の季節』をひっさげて登場して、
初めて「警察小説」というジャンルが確立されたのです。
(横山さんの新作『64』は今年の国産ミステリーのベスト!また機会をあらためてご紹介します)

その後も今野敏さんや佐々木譲さんらが続き、
ミステリー小説界に確たる地位を占める一大ジャンルとなりました。
いまや警察小説というジャンルは成熟の極みにあると言っていいでしょう。


さて、このようにあるジャンルが成熟すると、
必ずそこから突き抜けようとするクリエイターが現れるというのは、
古今東西のあらゆる表現ジャンルに共通するセオリーです。

警察小説もしかり。
その格好の証明が、
『機龍警察』シリーズをひっさげて
突如現れた月村了衛という作家でした。


ところで最近、生物学の世界で
進化に関する面白い仮説があるのをご存知でしょうか?

モンシロチョウを40年以上にわたって研究してこられた
小原嘉明・東京農工大名誉教授は、
別の種類の蝶の雌と交尾する雄がいることを突き止め、
種をまたいだ交わりが、
進化を飛躍的に押し進めて来た可能性があることを指摘しました。
(この仮説はこれまでの科学的常識を覆す極めて刺激的なもので、
それはそれで別途たっぷりご紹介したいのですが、ひとまず興味のある方は、
『進化を飛躍させる新しい主役 モンシロチョウの世界から』をお読みください)


異種交配へと勇気ある一歩を踏み出した
モンシロチョウの「パイオニア雄」のごとく、
月村了衛氏は、「警察小説」と「SF小説」という
異なったジャンルをハイブリッドに交配させることを試みました。

その結果、私たちは『機龍警察』という、
これまで見たこともないような
新種の警察小説を目にすることになったのです。

現在、シリーズは『機龍警察』
『機龍警察 自爆条項』『機龍警察 暗黒市場』の3作。

物語の舞台となるのは、
手を伸ばせば届くような至近距離にある未来です。

この時代は、大量破壊兵器が衰退して、
代わりに、近接戦闘に使われる兵器である
機甲兵装が世界中で台頭していました。

簡単に言えばこれは、人体を模して作られた二足歩行型の有人兵器で、
人間の身体よりも一回り大きい3・5メートルほどの大きさのロボットに
人間が搭乗して動かすというものです。

日本でも警視庁がある事件をきっかけに、
この機甲兵装を装備に取り入れることになりました。

機甲兵装を擁する新たなセクションの名は、
警視庁特捜部——またの名を「機龍警察」。

警察法や刑事訴訟法などの関連法を改正して、
警視庁内部に特別に設けられた特捜部は、
刑事部や公安部などいずれの部局にも属さない
専従捜査員と突入要員を擁する特殊セクションです。

そしてこの特捜部の突入要員に与えられるのが、
通常の機甲兵装の性能をはるかに上回る性能を持つ
「龍機兵」(ドラグーン)と呼ばれる最先端の装備でした。

本来ならば世界有数の装備を誇る特捜部は、
警視庁内でも羨望のまなざしを浴びてしかるべき存在です。
ところが特捜部は警察組織の中で大きな問題を抱えていました。

「龍機兵」を操縦する突入要員として抜擢された3名が、
いずれも警察の外部から選ばれた傭兵だったからです。

プロの傭兵として世界中の紛争地帯で活躍してきた姿俊之。
北アイルランドのテロ組織に所属していたことがあるライザ・ラードナー。
元モスクワ警察の刑事ユーリー・ミハイロヴィッチ・オズノフ。

要するに、
人殺しを職業としていた者と、元テロリストと、
警察をクビになった元刑事が、
「龍機兵」を操って現場に乗り込んでくるわけです。

ただでさえ身内意識が強く保守的な警察組織においては、
外部から人を招くというだけでも大変な反発を招くのに、
これに加えて外部登用した3名は揃って経歴に問題があるときています。

このため特捜部は組織から疎まれ、
常に孤立した立場での任務を強いられることになります。

特捜部を率いる元外務官僚の沖津旬一郎は、
国民の命を危険にさらすテロリストや犯罪者だけではなく、
警察内部や他省庁との間で繰り広げられる神経戦にも臨まなくてはなりません。

このような官僚組織の中での軋轢が丁寧に描かれているのが、
この物語の特徴のひとつになっています。

もちろん、龍機兵による手に汗握る戦闘シーンも、
映像喚起力に富んだ作者の確かな筆力によって、
非常に読み応えのあるものとなっているといえるでしょう。


ただ、そういった部分は、
この作品が備えている新しさの前では、
さほどユニークなポイントとは言えません。

新しい犯罪に対応するため警察がロボットを導入するという設定では、
『機動警察パトレーバー』のような先行作品もあり、
特に目新しいものではありませんし、
また、警察内部のセクショナリズムを描くという点でも、
横山秀夫氏という偉大な先達がいるからです。

『機龍警察』シリーズの新しさ。
それは「国家機関の民営化」という問題を先取りしている点にあります。

ミステリー小説界きっての論客でもある笠井潔氏は、
かつて『国家民営化論』(古本で探してください)という本の中で、
国家をどこまで民営化できるかという、ある種の思考実験を行いました。

この本が発表された1995年当時は、
笠井氏が主張した警察や刑務所の民営化などは、
ほとんど空想の域を出ないアイデアのように思われました。

なぜなら、『国家とはなにか』などの著作で萱野稔人氏も言っているように、
「物理的暴力」を独占的に行使するというのが、国家の定義のひとつだからです。

誰かの身柄を強制的に拘束したり、
あるいは罰したりといったような権力の行使は、
誤解を恐れずにいえば、国家だけに許された行為です。
(もちろん国家の暴走を許さないために憲法があり、
三権分立の原則が定められているわけですが、ひとまず措いて話を先に進めます)

つまり警察や軍隊というのは、
古今東西のありとあらゆる国家において、
その根本をなすものなのです。

ですから、それらを民営化するということは、
すなわち国家を成り立たせている根本にメスを入れることになるわけで、
それこそ国家を解体しようと言っているに等しい話になってしまう。

そんなわけで、とてもじゃないけど、
そんなことあり得ないよなぁ……というのが、
笠井さんの『国家民営化論』を読んだ17年前の感想でしたが、
いまや時代は予想だにしなかった方向へと進んでいるようなのです。


アメリカで国家安全保障の問題を研究しているP.W.シンガーは、
『戦争請負会社』という本の中で、
世界で初めて民間の軍事請負企業の実態を明らかにしました。

それによれば、世界各国で軍縮が進む一方で、
地域紛争は増えており、その間隙を埋めるかのように、
戦争を請け負う民間企業が多数現れている。
その請負ビジネスは拡大の一途を辿っていて、
市場規模はなんと1000億ドルにも達するとのこと。

なんといまや国家は、
軍や警察といった治安維持組織まで
民間に任せるようになっていたのです。


『機龍警察』の作品世界が急に現実味を帯びて感じられないでしょうか。

「”至近未来”警察小説」とキャッチフレーズのつけられた
この新しい警察小説で描かれる未来は、本当にすぐそこまでやって来ているのかもしれません。

投稿者 yomehon : 2012年11月26日 00:59